note_h_その9

小鬼と駆ける者 −その9


 若者たちがゴブリンたちの大量の足跡を追うと、森は途切れ、薄暗い洞窟が姿を現した。しかし、そこに入る度胸は彼らにはなかった。洞窟からは、不気味な声が響いていた。

 若者たちが遠巻きに眺めていると、不意に何かが飛び出してくる。

 彼らはのけぞりさらに距離を開けるが、その現れた影が人間だということに気がつくと、ほっとして、その男に近づいていく。

「なんだ、マスケスのおっさんじゃねえか」

「ひとりか?」

「おい、おっさんひとりか?」

 若者たちは詰め寄るが、マスケスは挙動不審に爪を噛み、訳の分からぬことを呟いている。どろどろに汚れた衣服や、乾いて固まった泥にまみれたその顔は、もはや正気を失っているようにも見える。

 彼らはただならぬ雰囲気を感じ取り、顔を見合わせる。戸惑い、村に戻る提案をする者も現れる。

「おい、おい、ここまで来て怖じ気づいたのか?」「財宝はすぐそこだ。行こうぜ」

 血気盛んな数人の者が、尻込みする者たちをまくし立てる。しかし、そうして嘯く本人たちも率先して洞窟に赴こうとはしない。目の前でマスケスが震えている。変わり果てたその男の姿が、彼らを怖じ気づかせているのだ。

 すると、急にマスケスが叫び声をあげる。

「おいおい、どうしちゃったんだよ、おっさん」

 何かを恐れて逃げだそうとする彼を若者たちが押さえつける。

 マスケスは洞窟をじっと見ている。暗い穴の奥底からなにやら音が聞こえてくる。若者たちは再びのけぞる。

「ああああ、人殺しっ!」マスケスが叫び出す。

 気がつくとそこには、血だらけの男を抱えたストライダが立っている。



 これはどうしたものか。ソレルは現状を推察する。彼らが村の若者たちだということはわかるが、皆、警戒している。武器を持ち、興奮している。小鬼の死骸を棒切れに括り付け、掲げている男もいる。何となく察しはつく。若者の愚かさには経験がある。だがこれはかなり困った事態だ。

 とりあえずブウムウを下ろし、彼は叫ぶ。

「怪我人がいる!直ちに手当をしてもらいたい」

 誰一人として動き出す者はいない。

「騙されないぞ」集団から叫ぶ声がする。

 ソレルは若者たちのなかにゴゴルの姿を探すが見当たらない。代わりに奥で、マスケスが震えているのが見える。

「とりあえず、武器を捨てろ」もうひとりの若者が叫ぶ。

「なんだと?」

「武器を捨てるんだ!」若者たちが騒ぎ出す。財宝をよこせ!そんな声も聞こえる。

 激しい怒りがこみ上げてくる。これはわたしの落ち度だ。すべて自分の過信が招いた事態だ。ソレルは自分自身に激しい怒りを感じる。

 そして、こう思う。

 ここで斬り捨ててやろうか。まだその位の力は残っているだろう。試してやろうか。わたしの命の代償に、どれくらいの首を飛ばせるのかを。もう終わりにしようではないか。

 ソレルは剣に手をかける。若者たちはそんな彼の殺気に気圧され、後退る。

 しかし、そこで何者かが飛び出して来る。ストライダの激しい怒りに臆することもなく、真っ直ぐに向かって来る、小さき者の姿がある。

「父ちゃん!お父!」ブウルはしゃがみこみ、父親を揺する。それから自分の手にべったりと血が付いていることが分かると、愕然とし、ソレルの顔を見上げる。

「おい!そこをどけ!ブゥ!」若者たちも前に出る。ブウルの行動に触発されたのだ。彼らはそれぞれ持っている武器を構え、ストライダに詰め寄る。

 その瞬間、ソレルは咄嗟にダガーを抜いている。

 そして、ブウルを抱きかかえ、喉元に刃を当てている。

「引け!」

 その叫びに若者たちが再び数歩退がる。

「卑怯者!」集団は口々に罵る。



 ブウルは事態を飲み込めずにいる。ただ、自分が、どういう訳か人質にさられたということだけはわかる。それでもどちらが正しいのかは、深く考えずともわかる。彼は大人しくストライダの動向に従う。

 ストライダは倒れこむブウムウの元を離れ、若者たちとの距離をあけていく。

 若者たちはどうすることもできない。事態の代わり映えの早さにうろたえるばかりだ。この集団には頭目らしい者がいないのだ。ソレルはそう感じる。可笑しな話だ。小鬼でさえ統率されていたのに、この者たちときたらどうだ? 群れてはいるが何の意思もなく、ただ勢いに任せて行動している。なんと愚かなことだ。

 しかし、その愚かさこそが危うい。彼らの意思なき意思の流れがどう反転するのか、まるで読めないからだ。ソレルは警戒を緩めずに、ゆっくりと距離をとっていく。

 ブウルは、ソレルの動きに合わせて少しずつ歩を進める。抱きしめるその腕に力がこもっていないのがわかる。自分の髪や額に、ぽたぽたと暖かいものが滴ってくる。

 次第に離れていく父親が心配になる。彼は両手にべっとりと付いた父親の赤い血を眺める。どうすればいいのかまるでわからない。それでも、この事態の行く末の全てが、自分の動向にかかっているのだということだけは、はっきりと確信できる。

 そこでブウルの肩に何かが当たる。次に額に軽い痛みを感じる。それから次には腕に。集団のどこかから、小石が投げている者がいる。

 小石は次第に大きくなっていく。ソレルが庇うようにしゃがみ込む。若者達は口々に罵り、投石を繰り返す。そして自分自身のその行為、その言葉に自ら興奮し、行動をより過激にさせる。

 彼らが暴徒と化すのも時間の問題であった。もはやその矛先は、ストライダにだけ絞られてはいなかった。彼らはその沸騰した情動を解消できさえすれば、それがよそ者でも、生活をして共にしてきた村の子どもだとしても、どちらでも構わなくなっていた。

 これは一体何だろう?ブウルはぼんやりと考える。友だちや赤ん坊がさらわれるようになって、村がおかしくなって、母ちゃんもいなくなって、みんなが暗い顔をして、父ちゃんも笑わなくなって、長が村を捨てるといって、みんなが落ち込んでいるところにストライダが来た。ソレルが来てくれた。

 ソレルは村のためにゴブリンと戦ってくれた。追い出してくれた。それからソレルは森に入って、ゴブリンの親玉をやっつけに行って、たぶん敵を追い詰めて、…追い詰めて。

 でも、これは一体何だろう? みんなはソレルを責めている。ソレルが財宝を独り占めしていると言っている。騙していると思っている。父ちゃんは怪我をしている。ソレルも、どこかから血を流している。何なんだろう? ソレルはみんなを騙していたのだろうか。

 いや!違う!

 おかしくなったのはみんなのほうだ。あいつらのほうだ。あそこで石を投げているのはいじめっ子のヒルラだ。あいつがぼくに石を投げるのはわかる。あいつは弱い者いじめが大好きだからだ。けど、その隣にいるのはラウルだ。いつも優しいラウル兄ちゃんまであんなに楽しそうにぼくらをいじめているのはどういうわけだ? 財宝ってなんだ? あんなにもみんなをおかしくするものが、そんなに欲しいのだろうか。

 悪いのはこいつらだ! こんなやつらゴブリンにさらわれちゃえばよかったんだ。いなくなってしまえばいいんだ。

 ブウルはソレルの元を離れる。無意識に。前に出る。若者たちのほうへ数歩進む

 すると、突然に投石が止む。ソレルは自分の見ている光景に目を疑う。

 若者たちの周りが蜃気楼のように歪んで見える。そして、その歪みのなかで彼らが混乱している。逃げ惑う者、怒り出す者、叫び出す者、泣きだす者、どういうわけか仲間を殴りだす者までいる。

「これは、霧、いや幻覚魔法か!?」

 ソレルは慌ててブウルに駆け寄り、背後から抱きしめる。しかしブウルは彼のことなど見向きもせずに、じっと若者の集団の方に意識を集中している。

「ブゥブゥ!やめるんだ!」

 ブウルは聞く耳を持たず、何かに取り憑かれたように前へ出ようとする。そして突然に幻覚が消え、今度はブウルの両手が燃え上がる。炎が青みがかっていることから、これも魔法であることがひと目でわかる。

 幻覚の解けた若者たちは、何が起きたのかまるで分からない様子で、しばらくぼんやりとしている。それから腹を鍬で刺された者や、顔が腫れ上がっている者、倒れている者たちをみつけると、一斉に騒ぎだす。さらに若者のひとりが燃え上がるブウルの両手を見つけると、恐怖のあまり、集団は再び混乱の渦と化す。

「お、おい、ブゥ、…なんだよそれ?まてよ…」

 ブウルは両手を集団に向ける。中にはいち早く逃げ出す者もいるが、大概の者は恐れと混乱ですくみあがっている。

「いけない!」

 ソレルは咄嗟にその燃え上がる小さな両手を自分の両手で包み込む。そんなことでこの炎は決して消えないことは重々承知のうえ、そうせざるを得ない。

「抑えるんだ。ブゥ。」

 両手はすぐに燃え上がり、革の焦げる臭いがたち昇る。手袋の中で血液が沸騰するのがわかる。炎は両腕にまで登り、マントを焦がす。肉の焼ける臭い。煙で視界も遮られる。

 しかし、離すわけにはいかない。ソレルは耐える。魔法に対する己の無力さを呪う。刺すような痛みが握力を奪う。それでもこうするしか出来ない。

 ここでこの子の手を離せば、この子は…

 すると、突然に炎は消える。肩まで伝い、骨まで焼き尽くさんばかりだった魔法の炎は、嘘のように消えている。気がつくと我に返ったブウルがソレルを見上げている。何か起こったのか全く分からない様子だ。

「…ぼくは、…ぼくは?」

 焼けただれたソレルの両腕を見る。取り返しのつかないことをしてしまったという事実に、ブウルは反射的に気がつく。

「ああ、ぼくは何を…」

「いいのだ。気にすることはないのだ。ブゥ。ブウムウの息子よ。」

 ソレルは親鳥がそうするように、ブウルを焼けただれた灰色のマントで優しく包み込む。


−終話に続く−

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