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ガンガァクスの戦士たち −その9

 老人は優しい笑顔を向け、彼女の手紙を受け取る。

 「ちょうど、大鴉が戻った所じゃ」

 なんでもストライダにはそれぞれ飼いならした大鴉がいて、どこにいても主人のもとに戻ってくるのだという。近年、伝令鳩として広く利用されていた六つ羽鳩がうまく飛ばない今、実質的には、遠方への通信は、ストライダを頼ることが多くなっているそうだ。

 とはいえ、これほどの手紙の量を、大鴉が運べるわけでもなく、大きな荷物などは、ここから大鴉を飛ばすと、それを生業に近隣の村々を練り歩いている、いわゆる運び屋がやって来て、代わりに運んでくれるのだという。

 「…時にマール殿、唐突なんじゃがの」老人は少し照れながら言う。「…ちと、その剣を見せてはくれぬか。」

 マールは頷き、腰に差した蓮の剣を鞘ごと差し出す。老人がとり落とさないように手を添えて彼女が待つと、驚いたことに彼はそれを軽々と持ち上げてみせる。

 目を丸くする彼女を見た老人は「役立たずの剣とは、よくいったものだな。」声を上げて笑う。

 それから少しだけ鞘から抜いて刀身を眺めると、険しい顔をして頬を拭い、彼女のもとに返す。

 「…マリクリア鋼の魔法は、呪いとも考えられておる」

 「呪い?」

 「そう、ベラゴアルドには呪いが溢れかえっておる。剣に鎧に石に土地に、あらゆる種族に」

 マールは小首を傾げる。謂わんとしていることがまるでわからない。

 老ストライダはその様子を察すると再び笑顔になる。彼女はこの老人に早くも不思議な親しみを感じている。その柔和な顔つきを見ていると、何だか気持ちが穏やかになるのだ。

 「ふぉっ、ふぉっ、…では、マール殿は王族として、ベラゴアルド大戦のことをどれくらい知っておいでかな?」

 「…それは、おそらく、広く知られている程度には」

 ベラゴアルド大戦。あるいはドラゴン大戦。神々と協同してドラゴンに立ち向う神話。大戦で名を馳せた数々の英雄たち。それから、英雄アラングレイドが築いたと云われるレムグレイド王国。。尤も、どこまでが物語でどこまでが真実なのかは、まるでわからない。マールは老人にそう伝える

 「全てが真実であり、歪曲された物語でもある」すると老人は魔法使いのような言い回しをするが、今のマールは率直にそれに同意する。彼女はバジムとの会話を思い出している。ドワーフと人間との神話に対する解釈の違いを思い出している。

 「では、フラバンジのことはどれくらい知っておる?フラバンジの崇める、重力の女神のことは?」

 マールは頷く。

 フラバンジ帝国の狂信的な女神信仰。レムグレイドを定期的に襲う出来損ないのドラゴンの話。それは女神の加護によって操られたフラバンジの手先だという噂。

 「加護、といえばそうなのかもしれんな。だが、それも呪いと考えたほうが辻褄が合うことのほうが多い。」

 「…と、言いますと?」

 「フラバンジは女神に定期的に大勢の生け贄を捧げておる。そのほとんどが奴隷じゃが、時に貴族や皇帝の親族まで捧げられることもあると聞く」

 「そんなことが!?」

 だとすれば、この老人の言い分も頷ける。現在、ベラゴアルド中で起こりうるあらゆる奇蹟や加護は、大戦後、この地に残った四の神々の仕業だとも云われている。

 しかし、考えてみればベラゴアルドのすべての種族において、味方になり得る神々などいるのだろうか? だとしたら、我々は何故未だに争いを続けるのか? この不思議な老人の謂わんとすることが、何となくだが分かってきたような気がする。

 「生け贄を捧げての加護。人々の死の上に成り立つ帝国。あるいは、獣の力を持ったハーフウルフ。人の血を吸って生きる吸血鬼。そして、ストライダ…」

 「ストライダ?」

 「うむ。ストライダの力も呪いなのかも知れん。我々が魔窟でその生涯を終えるのは、もしかしたらその呪いを、自らの意思で断ち切ろうと抵抗するためなのかも知れんな」

 マールは炎の中を飛び込んでいった二人のストライダを思い出す。老ストライダに何かを言いたいが、掛ける言葉が見つからない。

 「二人の最後を見たのだろう?」それを察するように老人が言う。

 「はい、魔窟の入り口までは。…凄まじい戦いぶりでした」

 「優秀な男たちだった」老人はそれだけを言う。それから片手で何かを追い払うような素振りをして、「話題がだいぶそれたようじゃな、」そう呟き、話を続ける。

 「この大地の住人たちは、それぞれがそれぞれの都合で神々を崇め、奉る。神を利用しているといっても遜色あるまい。…だとしたら、その逆だって有り得はせんかね」

 「逆?たとえば、神が人間を崇めるということですか?」

 「いや、そうではなく。利用するといったほうが的確ではないかな?」

 「…つまり、人間が争いにその信仰心を利用するように、神々もまた、仇なす者と戦う為に、我々を利用する…?」そこでマールははっとする。

 「そうじゃ。加護や奇蹟は、神々が我々ベラゴアルドに住まう者全てをを、いうなれば武器として利用するために、制約付きの力を与えたものだとわしは考える」

 制約付きの力。マールは自分の蓮の剣を握る。

 「弱き者にしか扱えないとされる剣」マールの言葉に老人は頷く。

 「そう。その剣は、どこかの神が何かの都合によって、そういった呪いをかけたのかもしれん」

 「何者かと立ち向かうため。都合の悪い力に利用されないため…」マールが呟く。

 「…あるいは、何者かと戦わせるため、仇成すものにその力に使わせないため」老人はマールの言葉を受け継ぐ。

 「ま、解釈はいくらでもできよう。」

 神々が我々を利用した?強い力を与える反面、呪いという制限を付けて?だが弱者でしか扱えないという呪いに、一体何の取り柄があるというのだろう。

 「…歴史の授業はまだ続くのかな?」

 そんなことを考えていると、頭上で声がする。

 彼女が見上げると、ピークスが大きな翼を広げて降りてくる。



 「探したよ、マール」ピークスが親しげに言う。

 相変わらずマールはその美しい翼にみとれてしまう。傷だらけだが元気そうだ。

 「それにしても老アマストリスがこれほど多弁になるなんて、驚いたよ」彼は話の一部始終を聞いていた模様。

 「なんでも、あのレブラでさえ口をきいたというじゃないか」すごいよね。ピークスは嬉しそうに笑う。

 マールはその名を聞くと少しだけどきりとする。あれからレブラを見た者はいない。彼に限っては、それは珍しいことでもないらしい。何日も魔窟に潜ったかとおもえば、ふと前線に現れることも少なくないという。「あいつは、どうせゴブリンの生肉でも食って生き残ってるんだろうな」傷の見舞いに行った際に、クリクがそう嘯いていたことを思い出す。

 あれはやはり、人間ではないのかも知れない。マールは改めてそう思う。だがオーガでも他の種族でもないだろう。彼女は老ストライダにレブラのことをいつか別の機会に訊ねようと密かに思う。

 「…それで?ピークス殿、わたしに用というのは?」

 ピークスでいいよ。バードフィンクの司令官は気安く告げる。それを受け、彼女は照れながらも「それではピークス…」そう言い直す。

 「うん、他でもない、魔窟の話なのだけれど…」

 そこで彼女の顔が険しくなる。

 「近々、第二聖堂まで魔物どもを押し返す作戦を考えている」

 「規模は?」

 「全勢力を賭してでも」

 全勢力。マールは思わず繰り返す。

 「うん。やっぱり今のまま、入り口までの進行を許していたら、みんな気が休まらないものね。だから以前のように、第二聖堂あたりまではおれたちがある程度、管理できる領域にあったほうが良いと思うんだ。」

 それは完全に同意できる。魔窟の目の前で生活を営むドワーフたちは女や子どもなど戦えない者も多くいる。万が一、魔物どもが前線の防御網を抜け出したとすれば、彼らの暮らしは簡単に脅かされるだろう。

 「で!なんだけれど」急にピークスが大声を出す。マールはぴくりと硬直する。

 「その指揮を、マール、きみに取ってもらいたいんだ。」

 「わたし!?」マールは軽く飛び跳ねる。

 「ふぉっふぉっふぉっ!それはわしからも推薦しよう」

 「アマストリス殿まで!」マールは取り乱す。ここへ着任してからまだ日が浅い。いくらなんでもそれは乱暴な話ではないか。

 「うん。おれとアマストリスはずっとそう考えていたんだ。きみがここへ来る前からね。きみがここへ来て、きみが軍隊にも兵法にも詳しいことは分かったし、指揮官に向いているとも感じた。」それに人間だしね。ピークスはそう付け加え、いたずらっぽく笑う。

 「そんな…」彼女は失った仲間たちを思い出す。あの時、敵の前で立ち尽くしてしまった無様な自分の姿を思い出す。

 「わたしにそんな資格はありません」マールはきっぱりと断る。

 「資格など、誰にもありゃせんよ」老ストライダが言う。「皆を引っぱるのは人望だけあればそれで十分じゃよ」

 「そうだよ。きみはすごい人気なんだよ、マール」

 それは初耳だ。マールは訝しげにピークスを見る。それは、からかい甲斐があるという意味だろうか? あらから、クリクあたりがそう吹聴しているのだろう。それともわたしが王族だからか?いやいや、今さらガンガァクスの者たちがそんなことに拘るはずはない。

 「…少し、考える時間をいただきます」後で断る口実を考えればいい、マールはそんなことを考えてその場を取り繕う。

 「もちろん!」ピークスは大袈裟に喜ぶ。

 「それじゃあ、おれはさっそく引き継ぎの準備でもしてくるよ」あっけらかんとそう言うと、彼は早々に飛んでいってしまう。

 あれ? そんなピークスの態度にマールは疑問を感じる。 バードフィンクには、保留という概念はないのかしら。彼女は少しだけ心配になる。

 「もう少しだけ話を聞かせてもらいますか?」 ピークスが去り、マールがそう切り出すと、老ストライダはずいぶん大袈裟に喜んでみせる。

 「もちろんじゃとも! 若い者と話すのが老人の生きがいだからの」

 「さっそくですが、蓮の剣。いや、マリクリア鋼は、…それが呪いだとして、どうして扱えるものが制限されているのでしょう?」

 蓮の剣は弱者だから扱えるというものでも、必ずしも女や子どもが扱えるない。歴代の王のなかでも扱える者はいたし、そうかと思えば王国で名を馳せた女騎士レルーファには、持ち上げることすらできなかったと聞く。

 「その通り、マリクリア鋼は、弱き者に味方する金属などと簡単にまとめたとて、本当のところ、それだけで括るわけにはいかないほどに、持ち主を複雑に選ぶ代物じゃ。…ずいぶん偏屈な神がかけた呪いなのかもしれんな」

 「そういう意味では『選ばれし者の剣』の呼び名は間違いではないですね」

 「そうじゃのぉ」老人は少し考えてから言葉を続ける「だが問題は、何故、神々は時として弱き者に力を与えるのか。それも不平等に…」老人しばらく思案する。

 「マリクリア鋼が神の与えたもうた加護だとするならば、あまりにも都合が良すぎないかのう?」

 普通の戦士には扱えない武器が、虐げられし者たちにとっては、強力な武器になる。たしかに都合がいいように感じる。

 「例えば、英雄とはどこで生まれる?勇者とは? …どんな時代背景から呼ばれるものじゃろう。」

 「それは…、」マールは思考を巡らせる。「…やはり、動乱の時代でしょうか。虐げられし者たちを救うべくして、英雄は誕生する」物語の常套手段といってもいい。

 「では、英雄や勇者が打ち倒したものというのは、何じゃろうな?」

 「…時の権力者、圧政を強いた貴族や、…王族?」王族の自分が言うのも少し可笑しいが、…そう感じつつも言葉を続ける。「あるいは、魔の物たち。そして、この大地を蹂躙せしめるドラゴン?」

 老人は黙って頷く。まるでマールに答えを出させたがっているようだ。

 「つまり、神々が意図的に、英雄を作り上げていると? アマストリス殿はそう言いたいのですか?」

 「そうじゃの、そうかもしれんな。それを加護と取るか、呪いと取るか。そういう話なのだろう。」老ストライダは他人事のように言う。

 「時にマール殿、あなたはなぜ、その剣を扱えるのじゃろうか?」

 「それは…」言い淀むマールに老人が高笑いをする。

 「ふぉっふぉっふぉっ、ちと意地悪な質問じゃったかの。まあ、こんな話をした後で、自分から英雄だからだと名乗る英雄はおらんな。」…だが、それだけでも資質はあるように思えるがの、老人はそう付け加える。

 「わたしはそんな…」

 そんな資質があるわけがない。アマストリス殿といいピークスといい、何故そんなにわたしに期待をするのだろう? 考えてもいなかったことを言われて、マールは少しだけ取り乱してしまう。

 「いや、すまんすまん。ストライダというものは、千の可能性を考える癖があるもんじゃて…さあ、もう遅い、話はこれくらいにしよう。これは老人のほんの戯言として聞き流しておくれ」老人は例の妙に安心できる笑顔を見せる。

 「それでは、マール殿。この老いぼれストライダも、あなたがその剣に相応しい戦士、いや勇者と成ることを、祈っておる」

 マールが曖昧に頷くと、老ストライダは笑いながらきびすを返して帰って行く。「…わしにはその資質はどうやらないようじゃからな」去り際に彼はそんなことを呟く。

 陣営に戻ったマールは、先ほどの会話を思い出す。不思議な老人だった。どこか懐かしいような匂いがした。彼女が床につく支度をし、ベッドに入り目を瞑ると、老人の去り際の言葉を思い出す。「その資質」頭の片隅にレムグレイド三世の名がちらつく。彼女はがばりと身体を起こし、あれこれと思案を巡らすが、「まさかな…」そう呟き、再び床に入る。

 いろいろ考えたいことはあるけれど、とにかく今は来たるべき戦いに備えなければ。


−終話に続く

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