note_h_3_その10

ガンガァクスの戦士達 −終話


 その日からガンガァクスは慌ただしくなる。来たるべき決戦に備えて鍛冶屋も道具屋も忙しくなり、合わせて酒場なども客で溢れる夜が続く。

 それは奇妙な光景だった。戦いのなかでこそ回る商業区の景気も妙だが、なによりも、それぞれの種族たちがそれぞれの習慣に沿った戦いの準備をし、最終的には纏まりあるひとつの軍隊が形成されようとしている事実こそが、ガンガァクスを置いて他、有り得ない光景だった。

 マールはピークスとともに要塞に籠もり、種族間の連携を取り持つ準備をしたり、細かい作戦を練り上げたりした。彼女が加わることによって、今までの戦士たちには有り得なかった、魔窟の各所に見合った陣形や兵法を取り入れることができた。

 「さすが、争いの絶えない人間族は戦いに詳しいよね」ピークスはたまにそんな皮肉を言って笑い、マールを困惑させるのであった。

 陣形を整えるのは骨の折れる作業だった。なにせ、ガンガァクスには騎馬兵も重装兵もいなければ、そこには将すらも存在しないのだ。代わりに、機動力と索敵能力に優れるウルフェリンクや、怪力で難解な武器を使いこなすドワーフ、空からの遊撃が見込めるバードフィンク、それから絶大な力を持つ巨人族などがいて、その種族の能力や特性を掌握するだけでも、かなりの労力が必要とされた。

 出兵の日取りも決まり、その日に向けて戦士たちはそれぞれ準備を整えていった。普段はそれほど見られない種族間の交流も、頻繁に目にする機会が増えた。要塞の淵に巣のような住処をつくり、そこからほとんど顔をださないピークス以外のバードフィンクたちも、繁く各陣営へ飛んできて、連携の確認をしたり、伝令を届けたりしていた。

 いつもは要塞の壁に寄りかかり、ぼんやりと座り込んでいる二人の巨人族たちの許にも、彼らと最も交流のある一部のドワーフたちが訪れていた。巨人族の言語は難解で、誰も理解出来ないらしく、意思疎通には苦労している様子だった。

 マールがここに着任した頃から、陣営の周りには、妙に猫が多いことに気がついたのだが、特に気にかけるほどではなかった。ある日、陣営に来る猫に彼女が餌をやっていると、通りかかったドワーフが、それは『タリーキャット』という歴とした種族であり、一応はガンガァクスの戦士なのだということを教えてくれた。

 確かに毛色が紫や緑の猫は珍しかったし、瞳の色も不思議な色合いをしていたのだが、まさかそれが戦士だったとは到底信じられなかった。当然、彼女はその猫たちを作戦に組み込む算段は思いつきもしない。



 出兵が近づくにつれ、戦士たちの間で、次第に緊張感が漂ってくるのがマールにはわかる。しかしそれは、張り詰めたものでも神経質なものでもなく、良い意味での興奮状態のようにも感じた。その証拠に酒場はいつでも満席のようだったし、それは、すれ違う戦士たちの引き締まった顔つきからも分かった。誰もが皆、勝利を確信している目つきをしていた。

 それからマールはドワーフたちに頼んで、自分の鎧を改良してもらう。初の実戦を終えて、自分の防具に不必要な箇所が多すぎることを思い知った。彼女はバジムの言ったとおり、鐙を取り、肩当てを利き手側だけ外し、それから、余計な装飾はすべて取ってもらった。かなり簡素な代物に仕上がったが、身軽で動きやすいものに仕上がった。

 「要するに、お飾りがお飾りを着飾っていたわけだな」マールは独りごち、自嘲気味に笑うのだった。

 そんな折、彼女は白鳳隊の仲間たちから飲みに誘われる。

 「あまり根を詰めるのも身体によくありません」カイデラの誘いにマールは快諾する。

 商業地区のあまり足を運ばない路地を皆と並んで歩く。すれ違う戦士たちは皆、マールに気安く声をかけてくる。仲間たちは誇らしく応じ、本人だけがひたすらに照れ続ける。

 酒場の手前に並んだ娼館の出窓からは、肌を晒した様々な種族の娼婦たちが手を振ってくる。明らかにマールに色目を使う者もいて、彼女は顔を赤らめ、目を伏せてしまう。

 彼女は囃し立てる仲間たちの横目で、派手な衣装の娼婦たちを盗み見て、あれがパジティーナ嬢だろうか?それともあのひとだろうか? そんなことをあれこれ思案し、よっぽど誰かに訊いてみたくもあったが、とてもじゃないが恥ずかしくて、訊けはしなかった。

 酒場は噂通りの大盛況であった。

 はじめて足を運んだ彼女の姿を認めると、客たちからどよめきがおこる。酔った戦士たちが喜んで白鳳隊に席を譲ってくれる。

 近くの席にはフラバンジの男たちもいる。彼らはこちらを向き合うと、愛想笑いをして、すぐに自分たちの会話を続けた。しかし程なくすると白鳳隊に全員分の麦芽酒が運ばれてきた。フラバンジからのおごりとのことだ。

 ぶすり睨んでいたカイデラがフラバンジの席へ行き、彼らと杯を重ねる。すると皆一斉に立ち上がり、「マール・ラフラン司令に!」そう叫び、杯を持ち上げた。

 次に、ドワーフたちもやってきて、陽気に歌ったり、仲間たちと冗談を言い合った。マールは赤い髭のドワーフを見つけると、少しだけ寂しい気持ちにもなるのだった。

 「もっと早くにここへ来ればよかった」そう呟く彼女に、皆は少しだけ照れくさそうに頷きあった。

 奥の席にはドミトレスとクリクもいた。彼らはマールに気がつくと杯を掲げ、隣の席を叩いた。

 ぎゅう詰めの店内をマールは進み、彼らのもとへ辿り着く。

 「近頃は、要塞に入り浸りらしいじゃないか」ドミトレスが言う。

 「ああ、ドム、おまえの話とはまるで違い、とても快適な所だ」

 その言葉に彼はしかめ面で応え、エールを飲み干す。

 「マールは汗臭い戦士どもより、じじぃとばばぁに囲まれていたほうが快適だとよ」クリクがくさす。もうすでにへべれけに酔っ払っている。そんな彼の背中をマールは少し強めに叩く。

 「いてっ、なにすんだよ」クリクは牙を剥くが彼女はそんなことは気しない。

 「傷の具合も良くなったようだな」そう言い微笑んでみせる。

 「まだ、疼くんだからよぉ、優しくさわれよなぁ」

 「すまんな、人間はドワーフよりもかなり無礼なのでな」彼女がそう言うと、クリクは目を丸くする。それから少し間を開け、大笑いをはじめる。「ぶぶぶ、ぶれい!ちげえねえ、人間は無礼だ!」ケラケラといつまでも笑っている。

 二人もそれにつられて笑い出す。

 それからクリクが立ち上がり、大声を上げる。

 「今日の死を糧として、明日の戦いに備えん!」

 酒場中の戦士たちが振り返り、一斉に杯を掲げる。

 それからクリクは二人のほうを振り向く。「バジムに、」静かに杯を上げる。

 ドミトレスとマールも笑顔で頷き合い、互いの杯を一気に飲み干す。






 その日、戦士達はガンガァクスの魔窟の入り口に集っている。戦士たちの隊列は入り口を越え、ドワーフの陣営の中腹にまで達している。

 戦士の足もとには赤土が舞い上がり、煙り、踏みならす足音で断続した地鳴りが続いている。皆いきりたち、気合いに打ち震え、それぞれの戦士たちの列からは、もうもうと熱気が吹き上がり、景色さえも歪めている。

 低く唸る者、遠吠えを上げる者、仲間同士激しく兜や甲冑をぶつけ合う者もいる。一見すれば野蛮とされるその行為にも、誰も咎める者はいない。

 隊列の中腹には巨人族の二人が一際目立っている。巨人はそれぞれ独特の鎧を身につけ、灰輝石で作られた巨大な石斧を持っている。二人は、今までのぼんやりとした顔つきから一変して、険しく鋭い目つきで地面を踏みならしている。

 前線の最先端にはマール・ラフランがいる。隣にはドミトレスとピークスとカイデラ、それからクリクが並ぶ。ドミトレスは頭に黒い髑髏の兜を装備している。

 橋桁は改造され、三つに増設され、降ろされるその瞬間を待っている。崖下にはゴブリンやグールがひしめき合っている。魔物は折り重なり、崖から這い上がろうと不浄なその爪を向け、しきりに威嚇しているが、やつらに構う戦士たちは誰ひとりとして居ない。

 集まった戦士たちは言葉を待っている。ガンガァクス要塞司令官である、マール・ラフランの合図を待っている。

 「すごい景色だな」少し気圧されてマールが言う。それでも彼女の身体は闘志で震えてもいる。

 戦士たちは皆マールを見ている。時々「マール!」と、待ちきれず思わず叫びだす者もいる。ウルフェリンクの列の中からも、遠吠えの合間に「マールちゃん!」そう呼ぶ声も聞こえる。

 「大人気だな」ドミトレスが笑う。「本当だよ、おれの立場も少しは考えて欲しいよねぇ」ピークスがやれやれと笑う。

 「みんなマールの青臭い所が大好きなんだよなぁ」クリクが舌を出す。そうして彼は下品に笑い、こう続ける。

 「…なあ、どれくらい魔物を倒せるか、賭けねぇか? おれが勝ったらやっぱり、パジティーナ嬢だよな」クリクが下品に笑う。

 カイデラが咳払いをしてマールを窺う。

 「いいだろう」快諾する彼女に皆が顔を見合わせる。

 「ならば、わたしが勝ったら…、」彼女はピークスを見る。

 「わたしが勝ったらその翼を思う存分に触らせてもらおうか」

 ピークスが目を丸くし、クリクが口笛を吹く。

 「お前のその首回りの、もふもふした所も触らせてもらうからな。クリク。」

 彼女がそう告げると、クリクはあからさまに照れはじめ、取り乱し、皆から壮大な笑い声が起きる。

 やがて戦士たちの気炎が高まってくる。崖の下でゴブリンどもが慌ただしくなる。ドミトレスの合図でゆっくりと橋桁が下りていく。

 もはや言葉はそれほど必要ではない。

 マールは蓮の剣を頭上に高々と掲げる。

 「我らガンガァクスの無名なる戦士!魔物どもに目にものみせてやろうではないか!」

 号令に応え、魔窟が割れんばかりに震える。

 そうして、戦士たちは進軍をはじめる。



【エピローグ】


 ガンガァクス最深部にほど近い、狭く真っ黒な通路には、魔物の死骸がびっしりと横たわっている。

 いや、それはとても横たわるなどとは云えぬ風景。まるでそれは、嵐の過ぎ去った海岸にうち上げられた塵屑や流木や腐った海藻、そんな物に近い風景だ。それほどまでに魔物どもの死骸は千切れ、はじけ飛び、押しつぶされ、原型を留めているものは何一つ無い。

 その死骸を踏みしめ、真っ暗闇の中、巨大な鎧が進む。鎧の継ぎ目から血管とも葉脈ともつかない怪しく光る赤い筋が無数に走り、脈動を打っている。

 以前、地上で見せたその身体は、一回りも二回りも膨らみ、はじけ飛びそうなほどに鎧を締めつけ、むしろその身体の中身と鎧の境は曖昧となり、あたかも巨大な甲虫のような様相をなしている。

 暗闇の向こう側から気配を感じると、鎧はそれが姿を現すまで黙って待ち続ける。

 ひたひたと冷たい石の回廊を裸足で歩く音がする。

 闇の中からぼんやりと醜い顔が浮かびあがる。ぼろ切れのような赤いローブを纏った者が巨大な鎧と対峙する。

 「闇落ち魔導士のなれの果てか」お前なぞには用はない。地上ではレブラと呼ばれていたその鎧が口を開く。「去れ」

 魔導士は何も言わない。瞼の無い瞳を見開き、醜い顔をただその鎧に向けている。顔の片側は崩れ落ち、頬のあたりまで目玉が垂れ下がり、もう片方の充血した眼を大きく見開き、瞳は濁りきっている。

 鎧の巨人が手に持つ戦斧振り上げる。すると魔導士はローブの中から何かを取り出す。それは腐ったウォー・オルグの首だ。巨人の振り上げられた腕がひとまず降ろされる。

 …久しいな…ザッパ…戦神。不死身のザンダレイ・ザッパよ…

 首がしゃべり出す。

 「ヨム。異世界の魔王ヨム。ようやく現れたな」ザッパと呼ばれた鎧の巨人が言う。

 それから巨人が唐突に吠える。禍々しい叫び声が魔窟に響きわたる。

 「早く姿を現せ!」魔導士の頸を掴み、持ち上げる。

 「我と戦え!」ザッパの気炎の衝撃に、腐った魔兵の頬の肉が滑り落ちる。

 ……まだだ、まだ…足りぬ。

 くずれた首が言う。

 「三千年も経って、まだ云うか!」

 …足りぬ、…混沌、…厄災…持ってこい…

 「貴様の指図は受けぬ!」ザッパがさらに吠える。面の下方がばくりと割れ、尖った牙を剥き出す。

 …疫病…嫉妬…死…絶望…まだ足りぬ

 黄ばんだ牙の奥、真っ赤な口から焼け付く息を吐き出し、空間を歪ませる。それを正面から受けたウォー・オルグのすべての肉がこそげ落ち、青黒い粘液状の血をこびりつかせた骨だけになる。

 …持ってこい…忌々しい、…竜…竜の心臓・・・…

  そこで、魔兵の髑髏は跡形も無く崩れ落ちる。

 ザッパは残された魔導士を胴から真っ二つに引き裂く。下半身を踏み潰し、上半身を千切る。それでも巨人の怒りは収まらない。戦斧を振りかざし、辺り構わず破壊する。

 その音は魔窟の奥底に響きわたる。半刻、一刻、一日経っても鳴り止まない。

 それからザッパは我に返り、今度は長い間、沈黙する。

 ガンガァクスの魔窟の奥底、最深部にほど近い通路。死臭と腐臭の立ちこめる深部の闇の中、横に裂けた禍々しい瞳が、兜の中で輝く。

 「竜…」

 ザッパはそう呟くと、実に数百年もの間、居座り続けた魔窟を後にする。


−終わり−

ベラゴアルド年代記 −ガンガァクスの戦士達




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?