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小鬼と駆ける者 −その7


 三人がお互いの背後を守り合うという陣形は、小鬼対策、いや、戦いにおいては非常に有効な基本中の基本の手段であった。小鬼の最も恐ろしいところは、その小さな身体を活かして、集団で死角から襲いかかることだ。広い場所で、背後を気にせずに戦うとなれば、そう恐れる魔物でもない。よほど統制の取れている集団でも一度に襲いかかってくるのは三匹程度で、知能は子どもよりも弱く、眼に付いた者に向かい、短絡的に襲ってくるので、冷静になれば対処できないこともない。ただ、気を付けなければならないのが、時々人間からくすねた武器を持っているということだ。これは、たとえどんなに小さな魔物といえど、致命傷を避けなければ大変なことになる。

 それでも三人が勝利できたのは、ストライダの的確な指示によるものだった。ブウムウは心底痛感した。知識と経験というものが何ものにも変えがたいものだということを。

 確かにストライダの戦闘力や身体能力には目を見張るものがあった。しかし、それと同じくして、事態を見誤らない知識、致命的なミスをしない経験こそが、あの男の強みなのだと痛感した。農民が刈り入れの時期を誤らないように。漁師が潮の流れを知っているように。ストライダは、魔物への的確な対処法を知っていた。村の人間が総出でどうにもならなかったことを、この男が来た途端に、事態は終わりを迎えようとしている。その事実を、三人は実感しているのだった。

「みんな、無事か、」ブウムウが息を切らして言う。

 振り向くとゴゴルは座り込んでいる。ゴブリンの青黒い血で染まっていてわかりにくいが、両手で押さえた太ももからは、じわりと赤いものが溢れ出している。

「たいしたことたぁない、噛みつかれただけだ」そう言うがゴゴルの息は荒い。額には玉のような汗が滲んでいる。

「それより、ソレルのダンナをみろ」

「まるで嵐だ。」

 ブウムウが振り向くと、ゴブリンの集団に青黒い血しぶきが舞い上がっている。その中心では銀の剣を振るうストライダの姿が見える。

 三人が武器を扱える人間の戦いぶりを目の当たりにしたのは、生まれて初めてのことであった。それでも、その振る舞いが異常だということだけは、はっきりと理解できた。それはひとりの人間が到達し得る動きではなかった。ゴゴルの言う通り、そこには嵐と見まがうほどの戦いぶりがあった。

 しかも、ソレルに急所を突かれ、切り裂かれたゴブリンは血を飛び散らしたかと思えば、切り口が火花のように吹き出し、煙を上げて蕩けていく。(銀は魔の物に効果がある)彼らはソレルの言葉を思い出す。それと同時に、魔物がただの凶暴な動物とは違うことも改めて思い知る。

 さらによく観察すると、ソレルは敵の集団を三人から遠ざけるように戦っている。もっとも、油断すれば簡単になぎ倒されるような嵐の側とあっては、敵もこちらに気を向けられるような立場でもないようだった。

 実際に、彼は群れを外れた敵を率先して切り倒していた。恐れを成すか、それとも三人を敵意の対象にするか、いづれにしろ、その嵐から愚かにも気を逸らしたゴブリンどもの首は、もれなく胴体から切り離されていった。

「とんでもねぇ。」

「これほどまでとは」

 数々の物語を吟遊詩人が詠にするわけだ。三人はほぼ同時にそう思うのだった。これほどまでの戦いぶりを目の当たりにし、ろくに言葉も出やしない。彼らは、そんな自分に歯がゆさすらも感じているのだった。

 そうしてゴブリンどもは立ち所に数を減らしていった。集団の至る所で銀の光が迸っていた。ストライダの足もとには、たった今斬り殺された、夥しい数の死骸が転がっていた。

 ゴブリンどもの眼前には、焼けた野原があった。燻る炎と黒い煙、それから炭と化した仲間たちがあった。

 そこでゴブリンどもは漸く理解する。

 追い詰めたと思っていた人間どもが、本当は自分たちを追い詰めていたという事実を。



 大方、片付いたとみえる。ソレルは激しい戦闘のなかでそう感じる。敵の動きが鈍く、統制を欠いていくのが分かる。数が減って、尻込みしているのだ。

 だがそれでも襲ってくるのは。

 彼は大型のゴブリンを見据える。そいつは歯ぎしりをして、真っ直ぐにこちらを睨んでいる。憎悪に燃えた醜い顔だ。だが、そいつは数歩間合いを取り、襲ってくる様子はない。

「ずいぶん慎重なやつだ」

 銀の剣を手首でくるりと回し、構え直す。背後から飛びかかる小鬼を見もせず、胴から真っ二つにする。「だがそれが命取りだ」ソレルは走りだす。

 するとホブ・ゴブリンが奇妙な声をあげる。

 背後から他の三匹が粗末な台座のようなものを担いでやってくる。その上には、出来損ないのゴブリンが乗っている。そいつは両腕もなく、そのうえ瞳も鼻もない。

 魔法を使えるやつか。ソレルは足を止める。手の内を見てから動いても遅くはあるまい。

 出来損ないが歪んだ口を開く。

 声なき声を出し、紫色の霧を吐き出す。

 辺りは立ち所に霧にまみれ、ホブ・ゴブリンの姿が消える。

「まさかな、つまらぬ目くらましではなく、霧まで出せるとは。」

 しかし、彼はそんなことでは動じない。近くに視認できる敵から順に切り倒していく。

 それからどうする? また逃げるか? そうしたければすればいい。どこまでも追いかけてやる。

 彼はそこで仲間の位置を確認する。三人の姿ははっきりと見える。やはりこの霧はそう広い範囲には及ばない。所詮、小鬼のすることだ。こう広い野原では、逆効果でしかない。

 ようするに霧のもっとも濃い場所に飛び込めばいいのだ。

 ソレルは銀の剣を収め、代わりにダガーを片手に持つ。長剣では霧に乗じて懐に入られる可能性があるからだ。

 そして、躊躇なく霧の中に飛び込む。

 左手でマントを振りかざし、風圧で霧を剥がす。その瞬間を見逃さず、捕らえた影を切りつける。

 背後から来るやつは気配でわかる。あるいは、あの出来損ないが霧と同時に目くらましも使いこなせるほどのヤツだったとすれば、少々危なかったかもしれん。彼はそんなことを考え、落ち着いてダガーを振るう。

 突然、霧の中から巨大な影が飛び出す。

 ソレルは身体を傾け、姿勢を崩さすに交わす。二撃めは短剣で受け止め、そのまま片手でゴブリンの両手をナタごと掴む。

 ホブ・ゴブリンは、ギギ、ギギ、と声を出しもがくが、その腕はぴくりとも動かせない。そのまま喉元に押しつけられた短剣を避けることもできず、青黒い泡を口から吹き出し、絶命する。

 それでも敵は襲いかかってくる。ソレルは霧のより濃い方向を目指す。

 もはや策を弄することもない。飛びかかる小鬼どもをそのまま噛みつかせる。ハースハートン産の牛革で編んだ鎧は、小鬼の牙ではそう貫けない。噛みついたままぶら下がった愚かな小鬼にとどめを刺しつつ、さらに突き進む。

 濃い霧の奥に紫に歪んだ箇所が見える。

 そこをめがけてダガーを投げる。

 すると、濃霧は立ち所に消えていく。

 櫓を担いでいた小鬼が逃げ出していくのが見える。足もとには、出来損ないの小鬼が絶命している。



 敵が森の奥に逃げ込むのを確認し、ソレルは三人のもとに駆け寄る。彼はゴゴルの怪我の具合を確認する。

「傷は深くはないが、しばらく動かないほうがいい。」腰のポーチからヨロイアロエを取り出し、それを短剣で切り刻む。

 「この傷では大した効果は望めないが、」にじみ出た樹液のほうを傷口に押し当てる。

「ゴブリンの爪や牙は不浄なものだ。そのまま放置していると、切り傷病になる」他の二人にも野草を渡す。

「傷にすり込んでおけばいい」それを摘んでくれた子どもたちに感謝するのだな。ソレルはそう言うと、すぐに立ち上がる。

「わたしはこれからヤツらの後を追う。あなたたちはもうここに残れ。もはや小鬼どもが襲ってくることもなかろう。」

「でも、囮のヤツもいないのに、どうやって?」マスケスが訊く。

「この数だ。誰だって痕跡を追えよう」

「ああ、頼んだぞ」ブウムウが口を開く。「おれたちのことは心配すんな」

 ソレルはゆっくりと三人を見つめる。

「皆、よくやった。」そう告げ、マントを翻す。


 ところが、ゴゴルが呼び止める。

「すまねえな、ダンナ」彼はその背中に詫びる。

「なんの話だ」ソレルの脚が止まる。

「ゴブリンの財宝がどんな物かは知らんが、これじゃまったく割りにあったもんじゃねえな」

 それを聞いたソレルは、しばらく、動かない。

「そんなものがあると思ったか?」そうして振り返り、ゴゴルを見つめる。

「それはドラゴンの間違いだろう? 確かにゴブリンが財宝を隠し持っていたという話も、ないこともない。だが、それは大きな国が滅んだり、古代遺跡の近くに巣を構えたヤツらに限られた話だ。

 この辺りには何がある?どれも小さな村ばかりだ。あなたたちは小鬼に何を盗まれたのだ? 財宝でも盗られたのか? 鍋や農具ばかりではないのか?」

 ゴゴルはじっと話を聞いていたが、太ももを押さえると、苦悶の表情を浮かべ、強く目を閉じる。ソレルは代わりにブウムウを見つめる。そうして二人は頷きあう。それからソレルだけが振り返り、森の方に走りだす。

 三人は走り去るストライダを黙って見つめている。しばらくすると、痛みに顔を歪ませたゴゴルが、くくっ、と笑いだす。二人は怪訝な表情で顔を見合わせる。

「なんだよ」ゴゴルは呟き、 「ねえのかよ。財宝は…」自虐的に笑う。

 ストライダを見送った三人は、しばらく放心状態であった。ブウムウはゴゴルの傷口にヨロイアロエを当て、励ましの声を掛け続けた。彼はゴゴルにかかりつけだったので、マスケスが悄然と立ち上がっていることに、気がつかずにいた。

 マスケスは森の方を見て、なにやらブツブツ呟いている。

「おい、どうした?」

「…違う、おれたちが盗られたのは違う、」消え去りそうな声で言う。

「なんだって?」ブウムウは聞き返す。そこで彼はこの気弱な男の異変に気がつく。

「おれたちが盗られたのは、鍋や農具だけじゃねぇ!」マスケスが叫び出す。彼の手には手斧が握られている。

「お前、何を?」

「…女房を、…おれは女房を取り返すんだ」

 ブウムウが慌てて立ち上がり、彼を落ち着かせようとする前に、彼は森へと走り出す。

「おいっ!待てっ!」

 追いかけようとするが、踏みとどまり、ゴゴルの方を見る。彼はうっすらと目を開けている。額には玉のような汗が浮かんでいる。ブウムウは仕方なく彼のもとに座り込む。

 ところがゴゴルはブウムウの肩を掴み、「行け、」そう声を絞り出す。

「…いや、しかし」

「…いいから。…おれは大丈夫だ。奴がヘタなことをする前に、…止めてくれ」

 少しだけ考え、辺りを見渡す。それからもう一度ゴゴルを見る。

 ブウムウは自分の手斧をゴゴルの足許に置き、二人は頷き合う。

 そうして彼はマスケスを追い、森に入っていく。



 西の空が赤く染まると、ブウルは走り出したい衝動を抑えた。守りの咒具は確実に効果があった。

 森ではゴブリンを三度ほど見かけた。しかし奴らはこんなにも無防備に森を歩く年老いた集団に、まるで気がつく様子すらみせなかった。

 一度などは、真正面からきた小鬼が集団の目と鼻の先を素通りしていくのを目撃した。

「本当に見えないのか」

 村の大人たちは驚き、ブウルの手のひらで光る小さな咒具を物珍しげに覗くのだった。

 しかしブウルはいくら大人たちが驚こうと、褒めようと、何故だか嬉しい気持ちにはなれなかった。彼にはわかった。大人たちの自分を見る目が少しだけいつもと違っていたことを。その魔法の咒具を頼りにする反面、どこか異質な者に対する警戒心が笑顔の奥に隠れていた。それは、あの雨の夜、始めにソレルを見つめていた皆の目つきだ。彼は何となく気づいていた。褒めそやす言葉のその裏側にある、大人たちの嫉妬にも似た感情を。



 ソレルはおびただしい小鬼の足跡の行き着く先に、濡れそぼるシダに隠された洞穴を見つける。入り込んでみると案の定、見た目よりもかなり広い横穴だ。

「この広さ、やはりゴブリンだけの穴ではないな」

 試しに剣を抜刀してみる。その空間は、充分に長剣が振れる広さがある。あらかじめ手に入れていた枯れ枝にボロ布を巻きつけ、脂を塗込め松明をつける。灯りに気づいた小鬼が三匹やって来て、あっけなくその長剣に消し飛ぶ。

「もはや全滅も近いとみた」ソレルは独りごちる。後は、頭目さえ潰せば、残りのゴブリンは放っておいても、そう悪さは出来まい。

 それからも何匹かを始末しながら奥へ進む。読み通り、敵はもはや集団で襲いかかってくることはない。途中、天然の洞窟には不自然な、明らかにゴブリンどもが掘った横穴がいくつかある。ストライダにはそれがどんな用途で掘られたものなのか良く知っている。嫌という程にゴブリンの穴には入っているからだ。『街にいるよりも小鬼の巣のほうが落ち着く』イギーニアのレザッドというストライダが言っていた言葉を思い出し、彼は思わず吹き出してしまう。

 いくつかの横道を越えて、奥を目指す途中、ひときわ大きな横穴に入る。

「ふむ」中は広い空洞になっている。松明の灯りで照らしてみると、暗がりの奥で泥沼のような場所がみえる。泥沼は緩やかにうねっていて、鼻の曲がるような臭いを放ち、時々不快な音を立てている。 

「ここは、後だ」それよりも今はやることがある。ソレルはさらに奥へと目指す。角を曲がると薄明かりが見える。灯りのほうへ進むと、さらに広い場所に辿り着く。奥には人骨や腐った枝や錆びた金属で作られた、大仰な椅子のようなものがある。

 そして、そこに、ゴブリンよりもはるかに大きな怪物が座っている。

 そいつはめくれ挙がった上唇から棘のような乱杭歯を覗かせ、赤黒い眼球に岩の裂け目のような虹彩が不気味に光り、鼻の先あたりに、長い一本角を持っている。背はソレルよりも少し高く、せむしのゴブリンと違い、背骨も真っ直ぐで筋骨隆々である。

 おそらくこいつはウォー・オルグだ。その姿にソレルは確信する。ガンガァクスの魔窟から這い出てくると云われている魔物。太古の昔、ドワーフの王国を滅ぼしたといわれる魔兵、ウォー・オルグ。 

「ふん。魔物のくせに王気取りか」

 ソレルは松明を捨て、銀の剣を両手で構える。



 傷の様子を見ると、出血は止まっているようだった。ゴゴルは支えになるような棒きれを探し、立ち上がる。おぼつかない足で、村のほうへ歩き出す。逸る気持ちが歩幅と追いつかずにいると、森の奥から、いくつかの灯りがみえる。

「なんだい、ゴゴルのおっさん。もしかしてストライダに置いて行かれたかい」ひとりの若者が彼に話し掛けてくる。

「その様子じゃ、財宝を手に入れたってわけでもなさそうだな」

 若者たちがぞくぞくと集まってくる。

「心配すんな、おっさん、おれたちが仇は取ってやるよ」

 背の高い若者が棍棒を弄びながら言う。隣の若者が嬉しそうに何かを差し出す。

「見ろよ、小鬼どもの爪だ」「おれたちゃ、やっつけたゴブリンからこうして爪を剥がしてるんだ」ゴブリンのヤツらなさけない叫び声をあげやがる。若者たちは笑う。「もう六匹は殺したぜ」血の付いた手斧を嬉々として振りかざす。

 こいつらは高揚している。酔っ払っているといってもいい。彼らは自らの暴力に酔っているのだ。ゴゴルははっきりとそう感じる。

「村へ戻れ」彼は強い口調で言う。

「何だって!」若者の声が裏返る。

「村へ戻れといっている!」

「おい、おっさん。冗談だろ?」

「ゴブリンの財宝なんて無い。ストライダはおれたちのために戦ってくれている」

 若者たちはお互いの顔を見合わせる。皆、肩をすくめニヤニヤ笑っている。

「見てないだろ?」ひとりが言う。ゴゴルは黙っている。

「財宝を見てないだろう?」

「おっさんは、ストライダの口車に乗せられたんだ」

 若者たちは嘲弄まじりにそう言うと、ゴゴルを無視して歩き出す。

「おいっ!待て!」

 しかし、若者たちは歩みを止めない。怖じ気づきやがって。すれ違いざまにひとりの男がいう。ゴゴルは何も出来ずに傷口を押さえる。彼は去って行く若者らを見送ることしかできない。


−その8に続く−

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