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小鬼と駆ける者 −その3


 ソレルは無口ではあったが、道すがら小鬼に関する知識をブウルに教えてくれた。小鬼は一匹ならば取るに足らないが群れを成すとタチが悪いこと。闇に紛れて家畜や農具を盗むこと。時として武器や道具も使い、火も使うこと。小鬼除けの旅の守りや咒具さえあれば、襲われることは滅多に無いということ。

 代わりにブウルは、村の人々が小鬼にさらわれた経緯を、知りうる限りソレルに伝えるのだった。鶏小屋や食料貯蔵庫が被害にあったことにはじまり、鶏や芋などが汚らしく一部を齧られていたこと。森での行方不明を除いては、村の中で攫われたのはすべて幼い子どもだったこと。すべての食い残しが泥まみれで、生臭い臭いがただよっていたこと。どの現場も、親指の離れた小さな足跡がそこら中にあったことで、大人たちは小鬼の仕業だと分かったのだという。

「ふむ。典型的なゴブリンのやり口だな。だが魔除けが無いにしろ、村の中にまで入ってくるとはずいぶん大胆だ」

「大人たちが見張っていたのに、ゴブリンはどうやって村に入っているのだろう?」

「穴だ。来てみろ」ソレルは顎をしゃくり、来た道を引き返す。

「これは一見すると兎の穴に見えるが…」彼は穴の周辺を軽く掘る。すると、子どもが一人くらいたやすく入れるほどの穴ぼこが現れる。

「こうして表面の土をどけるとかなり広い穴になる。兎の穴に似せて入り口だけを狭くしているのだ」

「兎の穴に手を入れる」思わず歌の一節をつぶやくブウルに、ソレルがにやりと口角を引き上げる。

「だがゴブリンもこれくらいの知恵はある。見たところ、こんな穴が村のそこら中にある。ゴブリンどもは長い時間をかけて、この村への通路を無数に作り上げたのだ」

 ブウルは辺りを見渡して身震いする。ゴブリンの穴だって!そんなものが地面の下に!?

「穴くらいなら恐れることもない。田舎の村にはよくある話だ。しかし、人をさらうとなれば話は違ってくる。」

 ブウルはごくりと唾を呑み込む。

「かなり狡猾なやつがいる。そいつがゴブリンどもをまとめているのだ」

「大変だ」ブウルは思わず呟き、辺りを見渡す。花咲く丘では蝶が踊り、藪では小鳥が鳴き、今立つナラの下では木陰が揺れ、どこを見てもそこかしこに緑が萌えている。目に映る風景は平和そのものだ。村を捨てる計画がなければ、今頃は村人総出で、トゲ芋の収穫に精を出している頃だろう。だがこの地面、この足元が、母親を含め子どもたちの半数をさらった大地だとは到底思えない。

「はやくみんなに伝えなくちゃ!」ブウルは懇願するふうに叫ぶ。

「そうだな。だがその前に、これを集めてくれないか」ソレルは羊皮紙に書きつけられたものを手渡す。

「どれも村に自生している植物ばかりだ。子どもたち皆で、手分けして見つけて来てくれないか?」

「それでゴブリンを追い出せる?」

「ああ、そのためのストライダだ。」

 ブウルは深く頷く。ソレルは彼の目をじっと見て、「村を守るためには、まだ出来ることがある。」そう言う。それから他の子どもたちのほうへブウルを押し出し、彼が走っていくのを見送ると、彼は一人、森へと入っていく。

 子どもたちが野草を集め終わった頃、見計らったかのようにソレルは森から帰ってくる。何か暴れ回るものを携えて戻って来たストライダに、子どもたちは早くも小鬼を生け捕りにしたのだと思い込み、歓喜するのだが、彼が持ち帰ってきたものはただの兎だった。

 それでも子どもたちは、大量に生け捕りにした野兎を両肩に掛けた彼の姿には、興奮を隠せずにいた。

「すげぇ、父ちゃんの罠だって一日にこんなに捕まえらんねぇ」

「どうやったの? ねえ、どうやったの?」

 先ほどまでの警戒心などどこ吹く風とばかりに騒ぎ立てる。自分たちがストライダの仕事を手伝ったという自負があるからだ。そうして子どもたちはそれぞれの成果をこぞって競い合う。オニグサ、ニガヨモギ、ヨロイアロエ、ハツカイチゴ、ダイダイカヅラ。満面の笑みを浮かべ、得意げに差し出す。それら自生植物を如何にして収穫したか、かなり誇張して語り出す。

 ところがソレルは、他の大人たちがそうするように、仕事を手伝った子どもらを褒めるようなことはせず、「うむ」とだけ言う。これは遊びではないのだぞ。言葉にはしないが態度で示す。それから代わりに野兎を八羽ほど差し出す。

「この野兎は、好きなようにするがいい。賢い村の子どもならば、ストライダを手伝ったというよりは、自分で獲ったと嘘をつくことだろう」

 子どもたちは言葉の意味を考えるよりも先に、目先の野兎に歓喜する。皆、森が危険になってからというもの、腹を満たすほどの動物の肉を食べた記憶がなかったからだ。

 子どもたちが去ると、ソレルはあらかじめ見つけておいた水車小屋に打ち捨てられていた古い飼い葉桶を地べたに置き、早速材料を選別しはじめる。

 ブウルはみんなと一緒に行きたい気持ちをこらえ、ソレルのそんな様子を眺める。

「兎、あげちゃって良かったの?」

「借りは作らない主義なのでね。それに兎は一羽あれば十分だ」

「食べるの?」

「食べるさ。おそらく、ゴブリンがな」



 子どもたちがソレルの手伝いをし、野草を集めていることを大人たちは知らなかった。彼らは昨夜に引き続き会議を続けていた。事態は昨夜とは多少変化していた。村を捨てることはないという意見も、少しずつ聞こえてきた。

 だがその場合、正式にストライダにゴブリン退治を依頼しなければならなかった。

「ストライダは人さらいだ。信用なんてできねぇ」「奴らに女房を孕まされた商人をおれは知ってるぜ」「けど、もし、もしよ、あいつが物語に出てくる通りの、本物のストライダだったらどうなんだ」「きっと小鬼ぐらい簡単に皆殺しにしてくれるに違いねえ」「報酬はどうする?馬が十頭も買えるほどの要求がくるかも知れんぞ」

 いつしか意見は真っ二つに別れていた。

「証拠があるはずだ。ストライダならばグリフィンの紋章を持っているはずだ。」

「しかし、それを持ってたとして、誰が本物だと証明できる?」

 議論は平行線を辿る一方。実際の話、野を駆けベラゴアルド中を巡るストライダには、数々の英雄譚が聞こえてくる一方、同じくらいに、悪い噂というものも聞こえてきたからだ。

「とにかく、もう一度、話を聞くぐらいはしようじゃないか」

 この長の一言が出る頃には、すでに夕暮れもすぐそこに迫っている。



 長たちは村の入り口付近に座るストライダを見つけ、近づいていく。彼は飼い葉桶いっぱいに入れた野草をすりつぶしている。村人たちは怪訝な顔をするが、誰も何も言わない。

 しかしブウムウだけが近くでその様子を眺めている息子を見つけると、慌てて肩を掴み、引き寄せる。

「こら、ブゥ、勝手な真似はするな! この男に近づくんじゃねぇ!」そう叱り飛ばし、平手で強く頬を殴る。

 ブウルはかなり驚いたが何も言わない。母親が失踪して以来、父親の精神が不安定になっていることを分かっているからだ。ひどく自分のことを心配するかと思えば、ある時は些細なことに怒り出したり、何日も塞ぎ込んだり、自分のことなんてまるで放ったらかしにしている日々は、すでに日常となっていたのだ。

 彼は人垣の奥へと押しやられ、足と足の隙間から、長たちに囲まれるソレルを見つめる。
 長たちがしばらく黙って見守るなか、ソレルは作業を止める素振りさえ見せない。

 「やい!ぺてん師ヤロウ」怒りに任せてブウムウが怒鳴る。「息子をそそのかしやがって!」

「言ったはずだ」ソレルは肩をすくめる。

「ストライダは武器になるものはなんでも使う。」

「てめえ!」殴りかかろうとするブウムウを他の大人たちが止めに入る。長が皆を落ち着かせ、話し始める。

「子どもらが、野兎を捕まえてきました。やつらは村の中で捕まえたと言っています。なにやら巣を沢山見つけただとかなんだとか…、ほっ!まさか、そんなことがあるわけもないがね。」

 長がが取り繕って笑い、ソレルは何も言わない。

「とりあえず、村を代表して礼を言っておきます」次に長は真面目な顔をして頭を下げる。

「話はそれだけですかな」そこでソレルは長を見上げる。

「いや、ゆうべも言いましたが、我々はこの村を捨てるつもりですがな」

「どこへ行くというのだ」ソレルは飼い葉桶の中身を使い古した鉄鍋に移し、火にかける。

「コルカナの街へ出ようとおもっております」

「そうか、それはいい。村のものたちがまるごと街へ出るか。それから?」

「それぞれ仕事を探しますでしょう」

「なるほど。コルカナは港町だ。皆、漁師にでもなれればな」ソレルは鉄鍋をかき混ぜながら言う。

 短い駆け引きだった。だがその短い会話で長は悟る。この男は知っているのだ。我々に選択肢がないことを。子どもを攫われた者、女房を攫われた者、絶望のなか戦うすべもなく疲弊し、じわりじわりと村が死んでいく位ならば、村そのものを捨てよという、若い世代に引っ張られもしてきたが、それからどうするのだ? このストライダは何も言わぬがその瞳が語っている。漁師の下働きでもしますか? 農民が漁師になれますかな? 子どもたちは? 奴隷商にでも売り飛ばしますか? では女たちは娼婦小屋ででも働けばいい。そもそもコルカナがそう簡単に難民を受け入れると思っているのか? 家を借りる金はあるのか? ゴブリンにやられたといえば、住むところを提供してくれますかな? 言葉少なに、物言わぬ灰色の戦士はそう語っているのだ。

「…では、」長は目頭を押さえて言う。

「ストライダ殿、もし我々があなたに正式にゴブリン退治を依頼したら、村を救ってくださるのかな」

「もとよりそのつもりだ」

 どよめきの声が漏れる。

「それではストライダ殿」

「ラームのガレリアン・ソレルだ」

「それではラームのガレリアン・ソレル殿。村を代表して、よろしいか。お願いしても」

 ソレルは静かに頷く。未だにその手は止めない。いつの間にか、鉄鍋の中はドロドロの液体になっている。

「で、ソレル殿、さっきからいったい何を?」見かねた村の大人が訊ねる。

 まあ、これも武器さ」ソレルは火を消し、立ち上がる。

「事態はあなた方が思う以上に急を要している。」皆は彼の言葉を黙って待つ。ブウルが人垣から前に出て、灰色の男を見上げる。父親はもう何も言わない。

「敵には、頭の切れる頭目がいるようだ。やつらは普段、大きな群れを成さず、成したとて纏まりも統制もなく、取るに足らない。だが、頭目が現れると違ってくる。組織だって動き、人間を欺すようになる。」

 長は頷きつつも、怪訝な顔つきをする。

「だとして、人間よりも知恵が上回るということがあるというので? 子どもがさらわれ出してからというもの、我々は持ち回りで見張りを立てました。夜通しです。それでも奴らは、我々の裏をかくようにさらっていきよる」

「ゴブリンの穴というものがある。それについてはブウムウの息子が知っている」

 ブウルに注目が集まるが、皆黙っている。ブウルは自分が正しい行いをしたのかが自分では判断できず、ただ俯いてしまう。

「それから、これは確証はないが、ゴブリンの中に単純な魔法を使う奴がいる」

「魔法だって!」その言葉に、大人たちがざわつき始める。

「魔法といっても、大したものではない。ゴブリンが群れを成すと、一定の確率で現れるものだ」

 しかし村人たちは狼狽を隠せない。コルカナの島を離れず、何世代も長らく平和に過ごして来た彼らにとっては、魔法とは、御伽噺や英雄譚で聞きはすれ、現実に関わり合うようなものではなかったからだ。

「おそらく、それはまじないに毛が生えたようなものだ。ただ注意を逸らす、そんなものだ。気のせい、そこに誰か居たような気がする。そんな経験は誰にでもあるものだろう?」ソレルは話を続ける。

「つまり、その咒は、“そこに居たとしても気づきにくくなる”、というだけのもの。ただそれだけだ」それだけだが効果はある。ソレルはそう付け加える。

「夜の闇に紛れ、大人しくしていれば、ほんの数歩先に小鬼が隠れていたとしても、誰も気づかないという場合もある」魔法というだけで闇雲に恐れることはない事を教えるために、彼は丁寧に説明を続ける。

「そんなことが…」長は絶句する。

「そうだ。そういうことがベラゴアルド中にあふれている。この村は本当に平和だったのだろう。それは、仕合わせなことだ」

 そうしてソレルは鉄鍋を持ち上げ、どろどろになった赤黒い液体をひと摑みする。それから近くの樫の老木に、その液体でなにやら印を書き付けはじめる。

「これも咒の一種だ。魔法なんて代物でもないが、こうしておけばゴブリンどもは無意識にもこの辺りを避けるようになる。」

「そんなものでゴブリンが近づかなくなると!?」 

「完全にではないが、間違いなく効果はある。ゴブリンとはそれほどに下等な魔物だ。正しく対処していれば、本来、そう悪さができるヤツらではない」ソレルは陽の傾きを確認し、話を切り上げる。

「さあ、もう陽が暮れる。わたしは今からゴブリンの巣を見つけるための罠を仕掛けておく。あなたたちは出来るだけ固まり、今夜を過ごすことだ」

「わかりました。では、他に我々ができることはありますかな?」

「何もないな。いや…、」ソレルは少し考えてから、「少しだけ手が必要だ。」そう告げる。

「一人、手伝いをよこしてくれると助かる。」そうしてブウルの方を見やる。

 長は皆と顔を見合わせ、その中からブウムウを見つけると、黙ったまま彼に目配せを送る。それを見たブウルの父親は目を伏せ、少々の時間をあけてから、「勝手にしろっ」そう不服そうに吐き捨てる。

「心配するな、小鬼の穴に首を突っ込ませるような真似はしない」

 ソレルはそう言うと顎をしゃくり、ブウルを呼び寄せる。


−その4へ続く−


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