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ガンガァクスの戦士達 −その8


 橋桁を渡り、マールが振り向くと、もうすぐそこまでグイシオンの群れが押し寄せている。

 「橋桁を上げるんだ!急げ!」最後の戦士が戻ったことを確認したピークスが叫び、近くの者たちが必死で橋桁の滑車を回す。

 それから、そこにいる戦士たちのほとんどが、防衛柵の外側に残ったドワーフたちを見守る。

 魔物がドワーフたちの前に津波のように押し寄せる。群れに向かってドワーフたちが一斉に矢を射る。バジムの自動ボウガンが夥しい矢を噴出する。先頭に走るグイシオンがウォー・オルグとともに崩れ落ちる。だがその死骸を飛び越え、後ろからさらに敵が来る。

 橋桁はまだ上がり切らない。少数の魔兵が飛び移り、崖の上へ侵入し、前線でも小競り合いがはじまる。戦士たちが滑車を死守せんと喧騒の中心へと集まる。

 バジムの自動ボウガンが空回りをはじめる。他の戦士たちの矢も尽きる。それを期に、ドワーフたちは手斧に持ち替える。

 そうして、橋桁が上がっていく様を確認すると、ドワーフたちの顔つきが一瞬だけ緩む。

 「我らガンガァクスの無名戦士!」バジムが叫ぶ。

 ドワーフたちが一斉に走り出す。「ドワーフの意地を見せてやれっ!」敵とぶつかる鈍い音が魔窟に響く。

 それでもグイシオンどもは止まらない。みるみるうちに戦い続ける数十人のドワーフたちを呑み込み、押し隠していく。

 マールはその様子に思わず顔を覆ってしまう。カイデラがそっと彼女の肩に触れる。「戦士たちの最後を見届けるんだ」隣でドミトレスがそう告げると、彼女ははっとして顔を見上げる。

 醜い羊どもが突進を続ける。次々に防御柵の尖った丸太に串刺しにされていく。ウォー・オルグはその背から飛び退き、崖の上の戦士たちを睨む。

 突進は止まらない。死骸の上に死骸が折り重なり、そり立つ崖に死骸の山を築いていく。さらにその山を足がかりに、魔兵が登って来るのが見える。

 「おいおい、昇ってくるぞ!備えろ!」ドミトレスは叫ぶが、散々全速力で走ってきた戦士たちは皆、満身創痍の様子だ。それでも彼らはうんざりしながらも何とか立ち上がる。「こいつはまずいぞ」仲間たちの疲れ果てた様子に彼は愕然と呟く。坂下から増援が来るのが見えるが、とても間に合いそうにない。

 「皆、伏せていろ」

 不意に背後で声がする。

 ドミトレスが振り返ると、そこには二人の男が立っている。茶色いマントと灰色のマント。胸にはグリフィンの紋章。ストライダだ。



 「衝撃に備えておけ」

 灰色のマントが低い声で言う。二人とも年老いてはいるが背筋はしっかりしている。

 二人の老人がマントを脱ぎ捨てる。ストライダ特有の鎧には、もの凄い数の武器が装備されている。そして彼らの両手には、それぞれ赤い石が握られている。

 折り重なるグイシオンの山が崖の上まで達しようとするその時、ストライダが同時に石を投げつける。

 「伏せろっ!」

 衝撃が魔窟を揺らす。轟音に皆が耳を塞ぐ。強い光のあとに熱風がやってくる。岩盤が剥がれ落ちてくる。グイシオンの山が魔兵もろとも火の海に包まれる。

 熱風冷め止まぬ中、二人のストライダは銀の剣を抜くと、炎の海へと飛び込んでいく。

 マールは崖の縁に立ち、二人の姿を目で追う。

 ストライダたちは燃え移る火の粉をものともせずにウォーオルグに斬りかかる。

 「我はラームのバイゼル」長剣を持った隻眼の老人が瞬く間に魔兵の首を切り飛ばす。

 「同じく、ブライバス」片手に銀の剣、もう一方に手斧を持った老人が素早い動きで敵を翻弄していく。

 「我らストライダ。魔窟にて、命果てるまで敵を殲滅せん!」

 二人の老人たちは数百の魔兵を引き連れて、魔窟の奥底へと消えていく。

 その様子を黙って見ていたピークスが剣を引き抜く。「おれも、行くよ。途中まで彼らを援護しようと思う」彼はマールを見る。

 「おれに何かあったら、後は頼みます」畏まってそう告げる司令官に、マールは神妙に頷く。

 それからピークスは舞い上がり、ストライダたちのもとへと飛び去っていく。



 増援が到着し、崖の下に矢の雨を降らす。ストライダにつられたのか、ここまで登ってくる敵は少ない。それでも魔窟からはひっきりなしにグールやゴブリンが飛び出してくる。

 マールは悔しさと悲しさで唇を噛む。焼けただれた防衛柵、矢に射貫かれていく魔物、黒焦げになって倒れているドワーフたちを、しっかりと目に焼き付ける。疲れ切った仲間、負傷者を介抱する兵士、続々と増援に来る戦士たちを見つめる。ギリギリと自分への激しい怒りがこみ上げ、唇から血が滲む。

 背後に気配を感じる。ドミトレスが何も言わずに彼女の側に立つ。

 「わたしは…、」わたしのせいだ。彼女は負傷した仲間たちを見る。足を引きずる者、両目をくりぬかれ包帯を充てた者、両腕を切り落とされた者たちを見る。

 「わたしのせいだ」声を絞り出す。「わたしのせいだ。あの時、わたしが早く撤退していれば、これほどの被害を出すことはなかった…」

 カイデラもやってくる。ドミトレスは視線で合図し、彼の言葉を待つ。

 「それは違います。隊長のおかげで、我々はこうして生き延びることができました。」

 「違うっ!」マールが叫ぶ。違う!わたしのせいだ。わたしのせいだ!部下を死なせたのも、皆を死なせたのも、バジムを、ドワーフたちを見捨てたのも、全部わたしのせいだ。マールは魔物の青黒い血で汚れた両手を握り閉める。

 男たちは目を合わせる。ドミトレスは何も言わない。

 「そいつは、…傲りってもんだぜ。お姫さん」

 予期せぬその声に顔を上げると、そこにはクリクが立っている。その後ろには、生き残ったドワーフたちもいる。よろける犬牙族を、カイデラが慌てて支える。

 「…人間ってやつはよぉ。ずいぶん傲った種族だとは前々から知っちゃいるがな」クリクがよろよろとマールの前に詰め寄る。

 「王族ってのはさらに酷いな、みんなこうなのか!?ああ!?」

 牙を剥きだしクリクが吠える。

 「みんなして、くそ忌々しい英雄きどりかよ、」栗毛のウルフェリンクはマールの胸を強く叩く、暫く彼女を睨めつけた後、項垂れ、立ち去っていく。

 ドワーフたちはバジムの髑髏の兜を持っている。ストライダが早火を使った際に吹き飛んできた。彼らはそう言うと、それをドミトレスに渡す。

 「こいつを受け取れ、クリクがこいつを、自分には似合わないからドム、お前にと…、」ドミトレスは力強く頷き、黙ってそれを受け取る。

 それからドワーフたちはマールに頭を下げる。「助かった」「良い戦いぶりだった」「あんたのおかげで全滅は免れた」「あんたたちがいなかったら、おれたちは無駄死にするところだった」「死ぬのはかまわんが、無駄死にはごめんだからな」口々にそう告げ、礼を言い、去って行く。

 ドワーフたちが皆去ると、ドミトレスが口を開く。

 「…我々は常に戦っている」

 彼は今まさに戦い続ける戦士たちを指さす。戦士たちは魔物を魔窟に押し返えさんと、崖の上から矢を射り、投石を繰り返している。

 「今日、二人のストライダが最後の戦いに赴いた。ピークスは彼らの援護に向かった」彼は話を続ける。

 「ここには様々な戦士たちがいる。魔物に家族を殺された者、故郷を追われた者、使命感に駆られた者、中には犯罪者だっている。皆、それぞれがそれぞれの事情で戦っている。何百年、いや何千年。…以前にも言った様に、我々には縦の繋がりなどない。みんな、横の繋がりで、自分自身のために戦っている」

 それから彼は、煤汚れた髑髏の兜を装着すると、鋭い眼差しを覗かせ、再びマールと向き合う。

 「我々は、死に場所を誰かに委ねることはない。誰かのせいにしたり、ましてや誰かに命令されたりすることもないのだ」

 彼女は顔を上げる。その顔は、涙を浮かべてはいるが力強く、そして覚悟を決めた戦士の瞳が輝いている。それを見たドミトレスは、少しだけ口角を上げる。

 「…では、マール、」 しかし彼はそこではっと気がつく。

 「…いや、…その、マール殿」そう言い直す。

 「マールでいい。そう呼んでくれ」彼女がはっきりと訂正する。頼むから呼び捨ててほしい。彼女は切実に付け加える。

 「…では、マールよ。一緒に剣を」

 ドミトレスが背負った大剣を抜刀し、両手で引き寄せ胸に当てる。

 それを見たカイデラも後に続く。

 そして、マールの蓮の剣が冷たい音を立て、真っ直ぐに掲げられる。 

 「今日の死を糧として、明日の戦いに備えん」ドミトレスの声に、近くの兵士たちが立ち上がり、剣を掲げる。皆疲れ果て、傷ついてはいるが、瞳は今だ輝き、勇んでいる。

 今日の死を糧として、明日の戦いに備えん。

 魔窟に戦士たちの声がこだまする。



—————————————



 茶色いテントの簡易ベッドでマールは目覚める。

 気がつかないうちに負っていた傷はもうすでに完治していたが、まだ身体の節々は痛む。

 三日ほど経っていた。だが戦いはまだ続いていた。昼夜問わずに魔窟からは魔物どもが押し寄せているという。あれから彼女は前線へは一度も足を運んではいなかった。

 三日の間、彼女は失った部下たちの遺族に向けて、手紙を書いていた。彼女はあの戦いのことを思い出す。この三日間、彼女はそれを忘れないように何度も頭の中で反芻していた。

 戦いが落ち着き、陣営へ引き上げてから、正確な報告がカイデラから来るまで、彼女は寝ずに待っていた。四十六名。実に半数以上の部下を、一夜にして失ってしまった。

 いや、もう部下と呼ぶのはよそう。彼女は思い直す。

 キュークラプスに踏みつぶされた者、魔窟の底に落ちていった者、扉を守り死んでいった者、彼女は白鳳隊の仲間たちの最後を子細に思い出し、彼らの名を何度も声にだした。ミルト、マイニアル、カゼア、シラー、ブライトン、…。

 そして、できるだけ克明に手紙に綴った。彼らは皆、勇敢に戦った。その死を明日の戦いの糧に向けて。手紙の最後には必ずそう記した。

 聞いた話によると、ピークスは二日目の朝に帰って来たという。翼は青黒い血で汚れ、疲れ切り、無数の傷を負ってはいたが、致命傷は無いという。彼の話によれば、ストライダたちは第二聖堂まで魔物どもを押し返して進んでいったという。最後に見たのは数百のウォー・オルグに囲まれてもなお、進み続ける彼らの背中だったという。

 あの夜に、生き残りの部下たちを集め、マールはこう言った。「白鳳隊はこれよりガンガァクスにおいては階級を無くし、皆、同じ立場の戦士として、戦おう」

 命令でない事柄を、上の立場から進言するのは難しかった。多くの兵士たちは、自分が部下として至らない旨を詫びて来さえした。納得がいかなければ何度も説明するつもりだった。自分を隊長ではなく、ましてや姫君でもない、ただの戦士として扱ってくれるまで、気長に接していくつもりでいた。

 しかしその夜に、皆は遅くまでカイデラを中心に話し合ったらしく、これからの白鳳隊の在り様について、ある程度の段階で、彼女の考えに概ね同意していることを伝えに来た。

 全員があの戦いを生き抜いた者たちだったので、彼女が思っているほどにそれは難しい話でもなかったようだ。皆、ガンガァクスの、自由だが、その根幹に根付いた真っ直ぐな戦士たちの戦い方に、少なかからず感化されていたようだ。

 とはいえ、身についた軍規というものは直ぐに抜けるものではなかった。兵士たちの多くは彼女のことを「隊長」と呼び続けた。それでもそれは以前のように、名が示す通りの名称ではなく、どこか愛称めいた響きに彼女は感じるのだった。

 祖国へ手紙を届けるために、マールはただ一人生き残ったストライダを訪ねることにした。ドミトレスに行方を訊くと、彼は大概、要塞に居るとのことだった。

 手紙の束を抱えて、彼女は初めて要塞の内部に入った。驚くことにそこにはあらゆる種族がそれぞれ働いていた。その多くは、年老いた者ばかりだった。各部屋を覗けば、書類の束に囲まれ事務作業をこなす者や、料理を作る者、何かの研究をしている者がいた。それは祖国の宮廷での風景によく似ていた。彼女はその働きぶりを見学していくうちに、一見して戦士ばかりのガンガァクスの無骨な印象が、それぞれの役目をこなし、多種族の連携を生み出し、実に巧みに稼働していたことに感動するのだった。

 「まるで魔窟とは大違いだな」マールは独りごちる。ドミトレスのやつ、嘘をついたな。

 どういうわけか、要塞で彼女はよく声を掛けられた。皆は白鳳隊がそう呼ぶように彼女を「隊長」と呼んだが、親しげに「マール」と呼ぶ者もいた。

 彼女はそうして気安く接してもらえることが嬉しかった。彼女はかつて、王族としての立場にうんざりしていたのではなく、人々が自分に接する、慇懃な態度こそに、嫌気が差していたことに、改めて思い知るのだった。

 人伝いに訊ねていくと、ストライダはいつも物見台に居るとのことだった。長い石段を登り、彼女が物見台に辿り着くと、その老人はガンガァクスの赤い空を見上げていた。

 そうして、彼女に気づいた老人は、足を引きずりながら彼女に近付き、柔和な笑顔を向けるのだった。

 「マール・ラフランです。」

 「ようやく会えたな、マール殿。わたしはラームのアマストリス」

 明日に命あらば…。二人は同時にそう言うと、顔を見合わせ笑い合うのだった。


−その9に続く


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