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ガンガァクスの戦士達 −その1


 レムグレイド王国から、ガンガァクスの魔窟への道のりは遠い。

 まず、本土の北東から船に乗り、竜の尾と呼ばれる岩山だらけの列島を渡る。荒れた道を東へと進むと、王国の管理下にあるナガラルという小さな町の港へと着き、そこから船に乗るとようやくガンガァクス大陸へと続く。さらには、荒涼とした大地を幾日も幾季節も進み、丁度大陸を真東に横断しなければ、魔窟へ辿り着けはしない。

 しかし、だからこその安寧ともいえる。もし魔窟がレムグレイドのすぐ近くにあったとすれば、人間たちの日々の営みはおろか、不毛な争い事を続けることもままならないだろう。

 なぜなら、魔窟からは常に魔の物どもが地底の奥底から這い出てきて、生きとし生けるものたちを死者の国へ誘おうと、いつでも舌なめずりしているからだ。

 魔の物たちがどこからやってくるのは分からない。なぜ地上に現れ、大地を汚し、そこに住まうものを食い散らかすのか、それすらも、分からない。

 魔窟の奥底には、より邪悪な者が存在し、ベラゴアルドの大地を闇に染めようと、着々と準備を進めているという噂がある。

 或いは、魔の物の存在は大地の意思であり、自浄作用であり、愚かなベラゴアルドの住人たちへの、神聖なる警笛なのだと考える者もいる。

 だが真実は誰にも分からない。ただ、事実として横たわるのは、ガンガァクスの魔窟からは、常に地上へと這い出でる醜く不浄な存在がいて、そして、魔窟の入り口には、それを阻止せんと昼夜問わず戦い続ける、勇気ある無名の戦士達がいるということだ。



 荒涼たる大地の地平線から、赤い土煙を吹き上げながら兵隊がやって来るのが見えると、要塞からも、馬が一騎、駆け寄っていく。

 「ずいぶんとお早い到着ですな」隊に近づいた男が言う。男はいつもの癖で、瞬時に兵力を見極める。歩兵百名弱といったところか。

 「レムグレイド騎兵、白鳳隊二番隊長、マール・ラフラン。参上致しました」先頭で唯一馬に跨がる女騎士が律儀に名乗る。全身を白銀で装飾された真っ白な美しい鎧を着ている。

 「騎兵ね…」男が忌憚なく呟く。

 「ガンガァクス大陸での、馬の調達がままならなかったのです」マール・ラフランはその小さな声を見逃さない。

 「はっ!」男が一笑する。

 「大陸のほとんどが未開の地ですからな。心配めさるな、ガンガァクスには馬は不要。それよりも白鳳隊?親衛隊ではなく?」

 「わたしは十二の歳に自ら入団試験を受け、白鳳隊に入りました」先行しはじめた背中に告げる。男は首だけを傾け、黙って頷く。こめかみから顎にかけて深く大きな傷のある。

 「それに、女であるわたしには、もとより王位継承権は有りませんので…」

 男の背中は何も言わない。マールは余計なことを口走ってしまった自分を恥じる。

 「要塞、というよりも、まるで壁のようですね」 彼女は気を取り直して話題を変える。軽く鐙を蹴りこみ、男と横並びになり、要塞を見上げる。すでに正面からではその巨大な全容は見えなくなっている。

 「実際に、そう呼ぶ者も少なくはありませんな。魔窟を囲うように建っております。なんでも二千年前には既に在っただとか。ドワーフとストライダが協同して作り上げたとも云われております」

 男は丁寧に説明してくれる。要塞の外壁は、魔窟内部と同じく灰輝石と呼ばれる非常に重く固い素材で造られていて、今だ一度も敵の突破を許していないという。

 「もし本土に運ぶことが出来れば、王国には不滅の城が建つでしょうな」男は豪快に笑う。

 マールにはこの男の多弁が親切からなのか、単なるお喋りなのかがわからない。或いは、国からお目付役としての通達がすでに通っているのかもしれない。彼女はそう勘ぐる。

 「ところで、貴殿の名は?」

 それを聞いて男はなぜだか目を丸くする。マールの瞳を覗き込むふうにじっと見る。

 名を訊くことがそんなにおかしいことであったか。彼女は不可解に感じる。

 「…あ、これは失礼。わたしはドミトレス。一応、レムグレイド人です。指令補佐としてここにいます。明日に命あらば、…まあ、お見知りおきを」

 「命あらば…?」

 ドミトレスは吹き出す。「ああ、これはガンガァクスの戦士達のあいだでかわされる、ちょっとした挨拶みたいなものですな」

 明日に死人となれば名など憶えていても仕方がない。そういう訳か。聞いていたとおりの場所だな、望むところだ。マールは白銀の兜のなかで口角を上げる。

 いよいよ眼前に要塞の入り口が近付いて来る。巨大な格子の鎧戸が上がり、重々しい門扉の片側だけが低い金属音をたてて開きはじめる。

 「ようこそ、ガンガァクスへ」ドミトレスが含みのある口調で告げる。




 要塞に入ると、巨大な通路が続く。通路の中腹から内部に続く大階段が見えるが、ドミトレスはそのまま通り過ぎていく。

 「ここの者の大半は、要塞内部で寝泊まりすることは、滅多にありませんな」 中は暗く湿気っていて、魔窟とたいした違いもないですからな。そんなことを言い、彼はひとりで笑う。

 通路を突っ切ると、入り口と同じような巨大な扉があり、こちら側は両扉とも開かれている。その扉を進むと外に出る。そうしてマールはその景色に驚愕する。三方を要塞に囲まれ、もう一方には低く切り立った岩山が聳えている。そして、四方を囲まれた、さしずめ巨大な箱庭といった様相のその大地には、夥しい数の陣営が並び、調度夕げの煙を上げている。マールは兜を脱さり去り、感嘆の声を漏らす。

 「壮観な眺めでしょう?」ドミトレスが得意げに言う。

 彼女は白銀の鎧へと滑り落ちる金色の長い髪かき分け、その景色の四方をくまなく眺める。

 ドミトレスはそんな彼女に見向きもせずに、話を続ける。

 「ここにはあらゆる種族がベラゴアルドじゅうから集まり、駐屯しております。我らがレムグレイド王国の義勇兵をはじめ、人間とは異なる種族もいます。ドワーフや犬牙族、広翼族、ほら、あちらには、」ドミトレスが指さす方向を見ると、砦の縁に目の錯覚かと思うほどの巨大な男が二人座り込んでいる。「巨人族です」彼は事もなげに言う。

 「それから、向こうのテントには、あまり近寄ることはお勧めできませんな。」次に指さした方向には、黒いテントの陣営が規則正しく並んでいる。赤と黒の旗に銀色の二対のドラゴンが刺繍されている。

 「フラバンジ帝国」彼女は思わず呟く。「本当に敵国も参加しているのか」

 「信じられませぬか」ドミトレスは眉をつり上げる。

 「我々からしてみれば、同じ種族の国同士が殺し合いを続けているほうが、信じられぬことでもありますがな」彼はそこでにやりと笑う。

 「いづれにしろ、殺し合いならばここでは事欠きません」

 それからマールは彼の指示により、兵を休ませる場所を提供してもらう。早速白鳳隊はそこに留まり、兜を脱ぎ去り、脚甲を外してくたびれた脚を揉んだりし始める。しかしマールがいち早く陣を設営する指示を送ると、彼らは文句も言わずに動き始める。

 その様子を暫く眺めた後で、ドミトレスはマールを連れ、歩き出す。奥に進む間も、マールはじっとフラバンジ帝国の陣営を見つめている。

 「国、種族、まあ、いろいろ因縁はありましょうが、ここでは皆、味方です…」そんな彼女の様子に、ドミトレスが立ち止まる。鋭い目つき、歴戦の武人だということは、たとえ傷がなくても一目でわかる。

 そうして彼は、「くれぐれも…」それだけを付け加える。

 マールは考える。くれぐれも、何だ?くれぐれも問題を起こすな。くれぐれも足を引っぱるな。くれぐれも出しゃばるな、か? 全ての可能性が考えられる。

 王都のうんざりする政治や人脈に嫌気がさしてここに出向いたが、どの世界にも新参と古参との確執はあろう。どこにでも戒律とは別の所で、暗黙の規律というものがあるものだ。

 ここが話に聞く通りの場所ならば、その最たる正義は強さであろう。もし、「くれぐれも、」の科白の後に、「女のくせに」だとかという戯けた言葉が続くのならば…。マールは腰に差した細身の剣を握りしめる。

 魔窟ではその言葉を撤回することになるだろう。



 それからもドミトレスは各陣営を一通り回ってみせてくれる。箱庭の中心地には主に人間たちのテントが並び、魔窟に一番近い場所にはドワーフたちが集まっている。

 ドワーフたちは陣営、というよりも、集落に近い営みを続けており、子どもや戦士ではない女たちの姿も見られる。彼らにしてみれば、その目前に広がる魔窟こそが真の故郷との話だ。

 実際に足を向けはしなかったが、その両脇には、それぞれ距離を空け、他の種族たちが集まっているらしい。彼らとの連携は通常ではほとんど成されず、個別の種族ごとの事情により戦いに出向く形になるが、大きな作戦ともなれば、司令官が総てを取り仕切り、大規模な亜種族間の軍隊が出来上がるという。

 そうして、巨大な要塞による箱庭では、独自の文化が成されているという。

 「武器屋に鍛冶屋に道具屋に酒場。ここで揃わない物はほとんどありません」ドミトレスが自慢する。なにやら独自の通貨さえあるらしい。

 「どうしますかね?一度司令官に挨拶でも? しかし…あの人どこにいるのだろうかなぁ」彼が面倒そうに言う。その物言いは、まるで上官への敬意に欠けるようにも聞こえる。

 「では、その前に、いちど前線を見てみたく思うのですが」

 マールがそう言うと、ドミトレスの表情が急に明るくなる。

 「おおっ!よくぞ申した!戦士たるもの、その意気込みですな!」彼は声を上げるが、「いけねっ!」と自分の頭を軽く叩き、レムグレイドの姫君に対しての、過ぎた物言いを詫びてくる。

 「気にめさるな、ドミトレス殿」そうは言ったものの、務めて無表情で応える彼女には、今の態度が自分を軽んじての言動か否かを判断できずにいる。

 ドワーフの集落を抜けると、巨大な洞窟が口を開ける。洞窟の入り口には巨大な鍾乳石が上からも下からも尖っていて、さながら巨大な魔獣の口腔のようだ。

 「まさに魔窟の名に相応しい」マールが呟くと、「美しいでしょう」ドミトレスは奇妙なことを言う。

 鍾乳石を縫うように歩き魔窟に入ると、すぐにごつごつとした天然の岩肌は、つるりと舗装された道に変わる。「すべて大理石です」またしてもドミトレスが説明してくれる。「ここはすべて太古の昔に、ドワーフたちが造ったものです」

 それからだだ広い回廊を抜けると、前線基地のようなものが見える。テントの外には五人ばかりの男がいて、のんびりと焚き火を囲んでいるのが見える。どうやら夕げの支度をしているようだ。

 「あー、マール殿。今日はここまででよろしいか?」ドミトレスが唐突に言う。「陣営にはおひとりでも戻れますよね?」子供扱いの物言いに、マールは少しむっとして頷く。

 「まあ、自由に見て回って下さい」しかし彼はそんな彼女に頓着せず、早々に焚き火を囲む仲間のもとに向かっていく。




 さて。

 マールはため息を吐き、あたりを見渡す。前線基地といってもテントが五つほど設営されているばかりで、兵士達の姿もまばらだ。奥へと続くなだらかな坂の上に、数人の男達が寝転がっているのが見え、坂道の天辺から先は、さらに洞窟が続いているようなのだが、ここからは先は見えない。

 彼女はとりあえず坂道を登って行くことにする。

 なだらかな坂の中腹まで歩くと、物悲しい音楽が聞こえる。坂の上でウルフェリンクがシパーリを奏でているのだ。狼の顔をした青毛の男は、毛むくじゃらな指から伸びた長い爪で、器用に楽器を操っている。初めて間近で見る犬牙族に興味を惹かれたマールが近づいても、男は目を瞑り、演奏を止めようとはしない。

 坂の端に立ってみる。反対側は反り返った崖になっていて、崖の根本には、丸太を尖らせた防柵が張り巡らされている。

 そのさらに先には奥へと続く穴が続いている。穴はそこから急激に小さくなってはいるが、それでもかなり広く、。巨人族でも入っていけそうだ。

 「天然の防衛設備といったところか」マールは独りごちる。いや、これもその昔にドワーフが造ったものかもしれない。

 「落ちるなよー」そこで声がする。

 遠くの崖の縁にドワーフとウルフェリンクが寝転がっている。近づいてみると、二人はなにやら穴の奥を弩弓で狙っている。

 「落ちても構わんが、どうせ死ぬなら戦ってもらわにゃあな」ドワーフが穴から目を離さずに言う。このドワーフは黒い髑髏を模した兜を被っていて、手に持つ弩弓は奇妙な形状をしている。

 「ここが最前線か?」マールはかなり緊張して訊ねる。多種族に話しかけるのは初体験だ。

 「ん? …ああ、まあな、…だが今日は暇だぞ、なにせ中に潜ってるのは、ピークスとレブラだからな」ドワーフが言う。

 「あん? 何だあんた新兵か?」隣で栗毛の犬牙族が言う。この男は腕を枕にし、ただ休んでいるだけのようだ。

 するとその犬牙族が急に半身を起こし、大きな耳をぴくぴくと動かしだし、濡れた鼻をスンスンと鳴らしだす。

 「来たぞ。ゴブリン二匹に、これは…? グールだな。うん、グールが三匹」

 「ふん、ザコだな」ドワーフが鼻で笑う。

 ほどなくして穴から奇怪な声が聞こえる。ドワーフが舌舐めずりで入り口を狙う。彼は敵が見える前に、弩弓の右側に取り付けられている取っ手を回しはじめる。中央部のむき出しになったぜんまいが高速回転をはじめると、物凄い勢いで矢が連続発射される。

 穴から怪物どもが飛びだしてくる。そうして、見えた途端に、一匹残らず串刺しになる。

 「やー!」ドワーフが雄叫びをあげる。「みたか!バジム様の自動式ボウガン!」

 「はいはい、すげぇよバジム様は、」ウルフェリンクはうんざりした声で言い、ふたたび腕を枕に寝転がる。

 バジムと自ら名乗ったドワーフは、ぶつくさと兵器の性能を説明しながら、再び大量の矢を装填しはじめる。それから、思いだしたようにマールの方を見る。

 「おや、これはこれは」赤い髭を撫つけながら立ち上がる。

 マールが緊張で固まる。

 「これはこれはこれは」バジムが胸の間近まで詰め寄ってくる。彼女は後退る。少しだけ獣くさいのは、相棒の犬牙族のせいだろうか。

 「これは物凄い細工の鎧でないか!」忙しなく髭を撫つけながらドワーフが感嘆する。それからべたべたとマールの身体を子細に触り、甲冑の具合を確かめ、意味深に片方の眉を釣り上げる。

 「だが、肩当てが少々でかすぎる」そう言いながら、理も無く彼女の肩当を外そうとする。

 「それに、その面頬も外した方がいいな」混戦になった時に大事なのは視界の広さだ。ぶつくさ言いながら、彼女が抱える兜を奪い取ろうとする。

 「うほ、こんな拍車も要らん。魔窟に馬など持ち込むばかはおらんぞ、外してしまえ」そうかと思えば、今度は足元に這いつくばる。

 「無礼な!ひかえっ!」

 あまりに気安く触るドワーフの態度に、ついに怒鳴ってしまう。

 「ぶっ、」するとなぜか隣で寝転がる栗毛のウルフェリンクが吹き出す。「ぶはははは」大笑いで身悶えはじめる。

 「わしに一日預ければ、この鎧をもっと使いやすい物にしてやるぞ。どうだ?新兵、」ドワーフはそんなことは意にも介せずに、マールを見上げ、喋り続ける。

 ウルフェリンクの笑いは止まらない。仕舞いには転げ回って笑う。

 「なにが可笑しい!!」マールが怒鳴る。

 「ぶっ、ぶれい…」犬牙族が声を絞り出す。「ぶははははっ!ぶれい、無礼!ちげえねぇ!ドワーフは無礼者だ!」

 「なんだと!そんなこと誰が言った!クリク、お前かっ!」ようやく自分が馬鹿にされていることに気がついたドワーフが急に怒り出す。髭を逆立て激怒するその姿に、クリクと呼ばれた犬牙族はさらに身悶えする。

 マールの顔が真っ赤になる。なんという連中だ。皆、こうなのか?そういえばあのドミトレスという男も、どことなくいい加減な印象があった。指令補佐があんな具合だ。ここの指揮はしっかり統率できているのだろうか?

 そこで不意に、洞窟内に胴鐘の音がこだまする。見れば、先ほどのシパーリを持った青毛の犬牙族が起き上がり、合図の鐘を鳴らしている。

 「おっと、こうしちゃおられん」

 それを聞いた二人がそそくさと走り出し、坂の上に設置された装置の滑車を両側から回しはじめる。すると、屹立していた巨大な橋桁降りてきて、穴の奥へと続くなだらかな坂になる。

 奥から騒がしい声が近づいてくる。

 「さあ、ピークスたちのお帰りだ。」ドワーフが髭を撫でる。


−その2へ続く−

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