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ガンガァクスの戦士達 −その6


 似たような石像のそびえ立つ巨大な扉を抜けると、第二聖堂に辿り着く。そこは第一聖堂とは違い、目の前には巨大な石橋が広がり、その先の空間から三つの扉に別れている。

 石橋の手前で、伝令の犬牙族が本部からの連絡を伝えにくる。第二聖堂奥への探索は中止。ただし、できれば扉を開け先の様子だけは確認するようにとの、ピークス司令の著名入りの文書を渡される。

 「まあ、そんなところだろうな」ドミトレスからの了解の旨を聞くと、伝令は四つ脚を翻し、戻っていく。

 扉を開ける前に小休止とする。もう先へ進むこともないので急ぐ必要もないだろう。ドミトレスはそう判断する。

 初の魔窟探索はここまでのようだ。マールは少しだけ安心する。隊に負傷者が出なかったことがなによりだ。見渡せば、そこかしこに魔物たちの死骸が転がっている。それだけでレブラがさらに先へ進んでいることがわかる。

 「ここは旧ドワーフ王国において、関所のような場所だったと云われております。ドワーフの古い地図が残っているのもここまでです」ドミトレスが先を指さす。「あそこの扉からは、未知の領域になります」

 マールもそちらを見る。死骸と血痕は正面の扉に続いており、そこだけが大きく開いている。

 彼女は橋を観察する。並の軍隊でも隊列を崩さず楽に進軍できそうなほどに巨大な石橋だ。なるほどかつてのドワーフたちは、地上からの訪問者をここで精査していたのだろう。彼女はなんとなく橋の下をのぞいてみる。真っ暗な闇が広がるばかりで底は見えない。

 「この下はどこへ続いているのだろう?」

 「それは誰も知りません」ドミトレスは彼女の素朴な疑問にも丁寧に答える。

 「あるいは、それを知るものは、かつての英雄アラングレイドだけかと」

 「ああ、それならば知っている。」

 マールは王宮でサァクラス・ナップに聞いた神話を思い出す。神々と競合してドラゴンを追い出した英雄たちの戦い。英雄アラングレイドはベラゴアルドに仇なす異世界から来た魔王を、このガンガァクスの魔窟の奥底に封じ込めたという。

 当時は魔法使いの語ることを御伽噺のように聞いていたが、こうして実際に来てみると、それが作り話とは思えなくなる。

 「そうです。その後、ここから魔の物が這い出てくるようになった。…そして、それが原因となり、ドワーフの王国は滅び去ったとも云われています」

 「それは初耳だな。魔物どもはそれ以前から存在していたとの話だが」

 「いんや、事実だ」バジムが割り込んでくる。「我らのあいだでは、そのアラングレイドとやらこそが、魔王だとさえ言う連中もいる。」

 「本当か!?」マールは驚く。そんな解釈は、魔法使いの口からでさえ聞いたこともない。

 「どうだかな。…だが、やつの名が、我らの間でこう伝わっていることは事実だ」ドワーフは髭を撫でながらこう言う。

 「『王国を滅ぼし者』とな」

 「驚いたな。ドワーフと人間で神話の解釈がこうも違うだなんて…」

 「まあ、事情はそれぞれの立場によって変わるものです。往々にして、歴史とは、そういうものですな」ドミトレスが簡潔に話をまとめる。

 なるほどドワーフは二、三百年の寿命があると聞く。そこから考えても、もしかしたら、人間の書物や言い伝えよりはよっぽど信頼できる話なのかもしれない。彼女はそんなことを考えている自分が可笑しくなる。宮廷にいた頃は、そんな話、聞いたとしても頭から否定していただろう。

 「そうだ。アラングレイドといえば…」徐に自分の剣を抜いてみせる。「なんだか、レブラは、この剣を気にしているようだった」

 彼女の剣をドミトレスが眺める。少し青みがかった刀身は、よく見れば少しだけ闇に光っている。

 「かなりの業物のようですな」彼がそう言うと、隣でバジムが目を丸くする。

 「むう、これは!」バジムはマールの持つその細身の刃を、彼女の手首ごと裏返したりして子細に眺め、ため息交じりに言う。

 「こいつはマリクリア鋼…」

 マールは頷く。「そう、これはレムグレイド王国に伝わる宝剣。蓮の剣」彼女は剣を軽く振ってみせる。

 ドミトレスが感嘆の声を漏らす。「それではこれがあの、アラングレイドが『不滅の剣』を手にする以前に振るっていたという…」

 「そうです。もともとこれは長剣でした。ですが、ドラゴンとの戦いの際に、折れてしまった。そして、その破片を鍛え直したのが、この剣と云われています」

 「なるほど、どうりでマール殿の剣筋が尾を引くように光るわけだ。…ところで、これは噂なのですが、その剣は、」みなまで言うまでもなく、マールが続ける。

 「蓮の剣、またの名を『選ばれし者の剣』。だが、他にもうひとつ名がある…」マールは剣の先端を床に向けると、柄を握る指を開く。

 「…役立たずの剣」指先から滑り落ちていくその剣は、そのまま大理石の床に刃を突き刺し、直立する。

 もの凄い切れ味に戦士たちがどよめく。バジムはマールの承諾を得て剣を引き抜こうとする。彼は力を入れすぎたようで、引き抜くついでに尻餅をついて倒れ込む。

 「本当にレムグレイドの王族しか扱えないのか!」ドミトレスは驚きを隠せない。「いや、それは違うな」バジムが尻をさすりながら言う。

 「そう、違います。その噂は王族の権威を高めるための便宜です」

 「マリクリア鋼は重いのだ。」バジムが言う。

 「重い?」

 「そう、マリクリア鋼は非常に重く、鉛の十倍とも五十倍とも言われている」バジムが説明する。「そして、どういうわけかこの金属は強い魔法を帯びている」気づけば他のドワーフたちも集まっている。彼らはマールの蓮の剣を受け取り、その質感や重さを確かめ感嘆し、次々と隣の者へと回していく。彼らドワーフにとっては、稀少金属にお目にかかることが何よりの関心事なのだ。

 マリクリア鋼は通常、他の鉱物のなかに砂粒くらいの大きさで希に含まれているという。ドワーフたちがこぞって何百年もかけてそれを集めたとしても、これほどの量は採掘できないらしい。

 「ましてや、それを武器に加工するなどということは、己の技術を誇示するためだとしても、ただの愚行でしかない」

 「それで、『役立たずの剣』、ということか」ドミトレスが感心する。

 「それもそうですが、他にも由縁があります」マールはドワーフたちから剣を受け取る。

 「この金属は強い魔法がかかっていて、どういうわけか、力のない者でこそ、軽々扱えると云われています」マールは軽々と手首で剣を回し、滑らかな動作で鞘に収める。

 「…そんな魔法があるとは」

 「そう、力のない者、と言いましたが、正確に言えば、必ずしもそういうわけでもありません。この魔法はおそらく、戦う意思のない者にも反応する」

 「というと?」

 「歴代のレムグレイド王の中にも、この剣を扱える者がいました」

 そう言われてみて、ドミトレスは思い出す。レムグレイド三世。友愛王。歴代の王のなかには争いを好まない王は幾人もいたが、彼の平和主義は群を抜いていたという。

 「王家はそこを利用しました。この剣は王族にしか扱えない宝剣と云われていますが、実際のレムグレイド三世は、虫も殺せないような優しい男だったと聞きます」

 色々思うところはある。ドミトレスは顎をさする。ではなぜマール殿はこの金属に選ばれたのか? 彼女は弱き者でも戦いを拒んでもいない。

 しかし彼は何も言わずにいる。それを聞いたところで現状は何も変わらないし、第一、今はそんなことを考えている時ではないのだ。

 「…なぁんか。人間とかドワーフってのは、ホント、神話とか好きだよなぁ」クリクがあくびをする。

 「要するに、あれだろ、なんでレブラがその剣に興味を持ったかって、そういう話だろ?」

 「おお、そうだった」クリクに言われてみて、皆はそこでようやく話の発端を思い出す。

 「そんなこと、本人に聞いてみりゃいいじゃねえか」それより先に行こうぜ。クリクがつまらなそうに言う。

 「…それもそうだな。まあ、休憩の良い余興にはなったようだ」 ドミトレスは仲間たちに合図をし、石橋を渡りはじめる。



 「扉の奥の様子を確認次第、撤退か。…では、レブラ殿は?」マールが疑問を投げかける。

 「あいつは放っておく。」ドミトレスが簡単に言う。「そ、あいつはいつものこと」クリクも言う。

 レブラはいつでも勝手に魔窟へ入り、勝手に戻ってくる。彼らは口を揃えて頷き合う。名前も知らないし声を聞いた者も今までいなかった。そもそも、ヤツがいつから魔窟にいて、いつから戦士たちの前に現れたのかすらも、判然としないという。

 「あいつは連携なんてもんは気にしちゃいねぇ。さっきの戦い見ただろ? あいつに吹き飛ばされて怪我した仲間が何人いたか」もしかしたら俺たちを仲間だとすら思っちゃいないんだろうな。クリクは感心なさげな口調で言う。

 それはマールにもはっきりと理解できる。皆がレブラに対してこれほど薄情な態度を取っているのは、レブラ自身が望んでいることなのかもしれない。あの戦いぶりは異常だった。もし彼が魔の物でないとしたら、戦いに魅入られ、すでに狂っているのかもしれない。

 正直にいえば…。彼女は言葉にはせずにこう思う。レブラは危険だ。もしかしたら、ここにいるどんな魔物よりも危険な存在かもしれない。先ほどやつと向き合った時のことを考えると、今でも寒気がする。逃げ出したという気持ちが今でも湧き上がってくる。

 橋を渡りきり、広間に集まる。正面の扉は開かれていて、奥の暗がりまで魔物どもの死骸が続いている。その奥からは何者の気配も感じない。

 まず、西側の扉に集まる。クリクが耳と鼻を使い向こう側を索敵し、合図を送る。数名の戦士たちが体重を掛け、巨大な石の扉を押しはじめる。数名が通れるほど開いて中の様子を窺う。松明をかざしても奥までは見えない。それほど広くはないが通路はひっそりとしていて、敵が潜んでいる様子もない。

 「少しだけ中に入ってみるか」ドミトレスは何人かの仲間たちと中へ入っていく。白鳳隊は開かれた正面扉の警戒につく。

 しばらくするとドミトレスが戻ってくる。

 「扉の先はどうやら牢のようです。石牢の奥には朽ちたドワーフの骨もありました」

 この場所が関所だとしたらそれは間違いなさそうだ。かつての王国は不正を働いた者たちを、この先の石牢に閉じ込めてたのだろう。だとすれば、その先には通路などあろうはずもないだろう。

 次に戦士たちは東の扉に集う。扉の探索は白鳳隊が担当する。同じようにクリクが耳を動かす。先ほどとは様子が違う。彼は扉のすれすれまで近づき、鼻を働かせる。

 しばらく入念に調べて続けたクリクは、がくりと肩を落とし小首をかしげる。

 「だめだ。わかんねぇ、臭いも音もしねえが、むしろそこが怪しいな」

 「うむ、だとしたら、敵が強い目眩ましを使っていることは間違いなさそうだ」ドミトレスが剣を抜くと、他の者たちも構える。

 すると、突然に扉の内側からもの凄い音がする。

 大きな衝撃とともに石の扉がしなる。

 「内側から開けようとしてるぞ!」カイデラが叫び、扉に取りつくと、部下たちも扉にすがりつき、こちらから押し返そうと脚を踏ん張る。扉の留め具がぎりぎりと鳴る。その様子に他の戦士たちも山なりに扉の前に押し寄せる。そうして、しばらく続いた均衡も、内側からのもの凄い力に次第に押されてくる。僅かに開いた扉の隙間から、大きな目玉がぎろりとこちらを覗く。

 「扉が破られるぞ!」カイデラが叫ぶ。

 「引けっ!みんな引くんだ!」ドミトレスの声と同時に、もの凄い衝撃が扉を伝い、何人かが吹き飛ばされる。開いた隙間から巨大な腕が伸びてきて、兵士を掴み取り、投げ飛ばす。兵士は石橋まで飛ばされ、叫び声とともに魔窟の奥底に落ちていく。

 「退却!退却!」逃げるんだ!カイデラとドミトレスが同時に叫ぶ。扉が完全に開き、巨大な影が全貌を現す。

 「あれは…独眼大鬼だ、」マールの隣でそう呟く部下が、それを最後に、巨人の足に踏み潰される。

 それを切欠に、皆が一目散に逃げ出す。混乱のなか、戦士たちが石橋に押し寄せる。

 だがマールは隣で潰された部下を見ている。赤い血と桃色の肉と、ひしゃげた鎧、不自然に折れ曲がった腕の隙間から、ぽろりと目玉が零れ落ちる。

 キュークラプスの足もとからウォー・オルグがゆっくりと歩いてくる。さらにその後ろからも、ぞくぞくと小鬼どもがやってくる。

 魔兵が鬨の声を上げる。

 強い目眩がマールを襲う。死。ゴブリンの肉片。グールの目玉。グイシオンの臓物。魔兵のちぎれた腕。レブラ。死の嵐。仲間の死体。一瞬の記憶の混乱が彼女を襲う。宮殿の暮らし。暖かい毛布。大臣たちの眼差し。フラバンジ兵のいやらしい目つき。死。

 マールは自分の立つ場所すらわからなくなる。不愉快な叫び声だけが聞こえ、魔窟中に反響する。

 「隊長!」

 呆然と、立ち尽くす彼女に気がついき、カイデラが慌てて脚を切り返す。「隊長!お逃げ下さい!」早く!はやく!

 カイデラは必死に叫ぶが、マールはその場から動けない。






−その7へと続く 

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