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さらば神の子、我が永遠のアイドル

8月23日、アジアの孤島で1人のサッカー選手が現役としての幕を下ろした。

フェルナンド・トーレス。El Niño(神の子)とも称され日本でも無数のファンがいるこの元スペイン代表FWが引退。6月後半に伝えられた引退発表時に私はまだ信じていなかった。受け入れることができなかった。

23歳のアイドル

海外サッカーに興味を持ったのはJリーグを見始めてからすぐのことだった。当時はまだSNSもなければYouTubeもない。情報を得る手段は雑誌かスポーツニュースだけ。そんな中でJリーグの結果を見るために録画していたサッカー番組で、少しだけ映ったそのアイドルに心を奪われた。
当時23歳でスペインの強豪クラブ、アトレティコ・マドリードのキャプテンを務めていたトーレス。動画に映る彼の姿を見て、この選手何者だと私の興味は向けられた。人生で唯一、一目惚れをした瞬間といっても過言ではない。

それからの私は好きな海外のサッカー選手を聞かれる度に「フェルナンド・トーレス」と答えていた。周りがバルセロナやレアル・マドリードの話題で盛り上がる中でアトレティコを推していた。でもアトレティコはトーレス以外に知らないので、他の選手を聞かれてもさっぱりわからなかった。当時アルゼンチンからやってきてトーレスと2トップを組んでいる若いFWがいるなという程度だ。それがセルヒオ・アグエロなのだが。(ちなみにトーレスが移籍した後、ペップ・バルサに魅了され浮気している)

リヴァプールとの出会い

こうして海外サッカーを見るきっかけとなったトーレスに移籍の話が舞い降りた。
それを初めて知ったのはサッカー専門雑誌だったと思う。

「フェルナンド・トーレスがリヴァプールへ移籍」
このニュースは、自分がサッカーを見ている中でもかなり大きな出来事となった。

リヴァプールは当時、CL決勝に進むも全盛期のカカを要するミランに敗れてビッグイヤーを掲げることができなかった。そんなエースストライカーを求めていた港町のビッグクラブへトーレスは加入した。その頃はスカパーでj-sportsを見ていたため、イングランドのプレミアリーグを見ることは容易だった。それ以上に浦和レッズサポーターだった私が英国の"REDS"を好きになることは容易だったのだ。その後は同世代の海外サッカーファンなら誰しもが知るトーレスの全盛期をリヴァプールサポーターとして体感する。

ヘアバンドにまかれた金髪の長い髪をなびかせて、ジェラードとのホットラインからいとも簡単に得点を決めるさまはエレガントだった。リヴァプールでのトーレスの得点は今でも鮮明に覚えている。08-09でのCLチェルシー戦での得点。同年プレミア王者のユナイテッドを4-1と粉砕したトーレスのゴール。ノリッチにハットトリックを決めた試合でのスーパーゴール…言い始めたらきりがない。その存在は私にとってまさしくアイドルそのものだった。

輝かしい功績の後に

しかしリヴァプールでの輝かしい栄光も長くは続かなかった。南アフリカW杯が終わってすぐに始まった10-11シーズン。前年にシャビ・アロンソ、この年はマスチェラーノを失ったチームは不調に陥り、トーレスも結果を残せない日々が続く。すると2011年1月、私にとってショッキングなニュースが伝えられた。
「フェルナンド・トーレス、チェルシーへ完全移籍」
ホジソンが監督に就任し、イングランド路線を進んでいたチームは不調のスペイン代表FWを放出する決断に至った。確かにこの年のトーレスは得点はおろかボールに触ってチャンスメイクをすることもままならなかった。なので移籍は仕方ないと思う気持ちはあるものの、もうリヴァプールのトーレスを見ることができない。さらにビッグ4のチェルシーへの移籍。このショックが仕方ないという気持ちに覆いかぶさった。

その後トーレスがリヴァプールに戻ることはなく、チェルシーではCLとELでタイトルを獲得。バロテッリを放出したミランへ移籍するも(ちなみにバロテッリの移籍先はリヴァプール)2年間で挙げた得点はわずか1にとどまりアトレティコへ復帰する。
正直、復帰したアトレティコのトーレスのことはあまり見ていなかった。試合中に相手と衝突して救急搬送された時とアトレティコのラストゲームとなったEL決勝でプレーしていたところぐらいだ。その頃にはクロップのリヴァプールに心酔していた私の目にトーレスの姿は写っていなかった。

神の子、Jリーグへ

日本に来るなんて想像もつかなかった。
信じられなかった。
海外サッカーの入口となったフェルナンド・トーレスがアトレティコの次に選んだクラブはJリーグのサガン鳥栖。リヴァプールからチェルシーへ移籍した時、いやそれ以上の衝撃だった。
「トーレスが日本で生で観れる!鳥栖のユニフォーム買っちゃおうかな」
そんなことを本気で思っていた。

結局トーレスがサガン鳥栖で挙げた得点は7。加入前の期待に比べると結果を残すことはできなかった。自分もユニフォームどころか生でトーレスを見ることすらできなかった。
終わりは突然やってくる。観に行けるからまた次でいいか。そんなことを思っていたら次が来なくなってしまった。
でもそれで良いかなと内心思っている。ツイッターで誰かが言っていた。

「トーレスが日本にいるのに会いに行かなかった。自分の中では手の届かない存在のままでいい」
図らずも自分も同じようになってしまった。
でもそれでいい。手の届かないところで輝き続けてほしい。

2007年のクラブワールドカップ準決勝でアジア王者として出場した浦和レッズは、欧州王者のミランと戦った。
もし06-07シーズンのCL決勝でミランではなくリヴァプールが勝っていたら、この対戦は浦和レッズvsリヴァプールになっていた。リヴァプールに移籍したばかりのトーレスが日本に来日していたのだ。そうなったら意地でも観に行っただろう。しかし、そうはならなかった。
サガン鳥栖に移籍しても観に行くことはなかった。そういう運命だったのかもしれない。

愛がなくなったと問われればそれはノーだ。アイドルはアイドルのままいつまでも永遠に輝いている。引退を表明した時は本当にショックだった。でも引退するトーレスを見て、自分の中で1つの時代が終わったんだなと受け入れることができた。

さらば神の子

あなたのおかげで海外サッカーに興味を持つことができた。リヴァプールという自分とは縁もゆかりもない街に大好きクラブができた。きっとあなた以上に愛する選手は出てこないだろう。それほどにトーレスの存在は大きすぎた。決して器用ではないし、簡単なプレーを外したりもする。かと思ったら記憶に残るスーパーゴールを決めてみせる。そんな人間味のある神の子をこれからも忘れないだろう。
さらば神の子、我が永遠のアイドル。



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