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アートについて【ワシリー・カンディスキー】

こんにちは。
自分の記事を見返してて思ったのが、「コイツ、偉そうな書き方してるな」と感じました・・・
丁寧な言葉遣いを心がけたいと思いました。


今日でアートシリーズ(勝手にシリーズ化)3個目の記事になります。
少し、アートの歴史をざっくり、簡単に振り返ってみようかと思います。
(これは僕が最近読んだ、本の内容をアウトプットするために書いています。)
※著書「13歳からのアート思考」


①「アンリ・マティス」

マティスは20世紀、カメラの登場でアートの新しい形を切り開いた。


②パブロ・ピカソ

ピカソは絵画における「リアル」を探究し、リアルとは何かを絵で示しました。

本当に簡単ですが、振り返りました・・・
やっぱり改めて見ると、アートの歴史は面白いですね。
「こんな絵がなぜ評価されているのか」という僕の疑問が少しづつ解消されている気がします。



さて、本題に入りたいと思います。
今日は3人目のアーティストについてです。

カンディスキーの投げかけ

まずはカンディスキーの作品を見てもらいたいと思います。

「コンポジションⅦ」

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マティスとピカソの絵よりじゃなんだか「アート」っぽいですよね?
でもこの絵もまた独特です・・・


では、この絵はどんな絵なのでしょうか。
皆さんには何が見えますか?



おそらく、十人十色、様々なものが見えるかと思います。
僕は右側に女性の横顔があって、その右上には魔女?のような人がいて・・・、ファンタジーの絵なのかな?と思いました。

こうなると、この絵の答えが気になりますよね。
その前に絵の受け取り方について。



アート観賞の「やりとり」

マティスやピカソの絵は、そのアーティストの解釈を理解して
「なるほど!」「この絵はそういう意味だったのか」となる絵でした。

しかし、カンディスキーの絵は違います。
鑑賞者にこの絵はどのように見えているか、投げかけているのです。
結論からいうと

この絵に何が描かれているか、答えはありません。


どういうことか、説明します。
そしてこの説明を聞いた後なら、カンディスキーの作品の素晴らしさがわかるかと思います。
頑張って伝えます!


アート観賞のやりとりは2パターンあります。

1つ目は

初見でアートを見たときに感じた自分なりの答え。
そして、アーティストの想いが作品に込められ 
その作品を見た鑑賞者が理解をする。

です。
マティスやピカソはこのやりとりになります。

はじめに、絵を見て、自分なりの答えを見つける。
その後、2人の想いを感じたときに、僕たちは作品に対して「なるほど。こういうことか。」と思うはずです。

もう少し、わかりやすくすると

(初見の僕たち)鑑賞者→作品→作者
(作者の想い)       作者→作品→鑑賞者

このような形になります。
従来は、このような形でアートの観賞を楽しんでいました。



そして、もう一つがカンディスキーの作品のような

作者と作品、作品と鑑賞者のやりとりを別々にしたのです。

つまり、カンディスキーはこの作品は、僕たち鑑賞者にどのような絵なのかを投げかけているのです。

今までの絵では、具象物が存在していました。
カンディスキーの絵には、具象物が存在しません。

これこそ、アートって感じがしますよね。


僕の説明理解できましたかね・・・
本では、すごくわかりやすく説明しているのに、まだ理解が足りていないですね・・・


なので、音楽で説明します!
皆さんは音楽を聞きますよね?

音楽も自分なりの解釈をして、聞いていませんか?


「あの時のことを思い出すなぁ」と自分の想いと音楽と
やりとりをしているはずです。


恋愛の曲なんかがまさにそうですよね。


それを、アートでもやっちゃおう!としたのがカンディスキーです。
カンディスキーすごいなぁ。

カンディスキーは具象物を描かない絵を生み出したことで、
作品とのやりとりの幅を拡げたのです。


作品はアーティストによってつくられるものではない。
見る人による解釈が、作品を新しい世界に広げてくれる。
                        マルセル・デュシャン


最後まで読んでいただきありがとうございました。
次回は、最後の素敵な言葉を残している【マルセル・デュシャン】です。
この人の作品はすごい・・・、そして作品がぶっ飛んでます。

また読んでくれた嬉しいです。



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