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ハリソン・フォードが心配で

先日、現在上映されている「インディー・ジョーンズと運命のダイヤル」を観てきました。正直、ハリソン・フォードがバリバリの現役だった1980年前後を思い出したい年配の方向けの映画だと思ったので、興味はありませんでした。ただ、職場の隣の席の人がイオンシネマで安く見れるということだったので、同乗させてもらいました。観終わった時の感想は、「予想通り」でした。

中学生の時、生徒会の先輩(中高一貫だったので高校生)が土曜日の放課後に企画した映画鑑賞会がきっかけで、映画(ほぼハリウッド映画)が趣味になりました。小学生の頃は、ドラゴンボールの劇場版やお正月恒例のゴジラなどを観に行っていましたが、映画を観に行くというよりは、テレビ番組の延長でした。映画に興味を持ったのは、潤沢な予算で作られたダイナミックな世界に圧倒されたという単純な理由です。それからというもの週末は、レンタルショップで映画を借りて観るか、映画館に行くようになりました。

私が中学生の頃には、ハリソン・フォードはすでにいい年齢だったこともあり大統領やベテラン刑事などをしていました。インディー・ジョーンズは、レンタルのビデオとテレビのロードショーで観ていました。小さなテレビの画面でしたが、キリスト教関係の伝承にあまり明るくなかった私にとっては、インディー・ジョーンズに出てくる聖櫃や聖杯はとても新鮮でした。地中海周辺の国を飛び回り、古代の石板の謎を解いて、トラップだらけの洞窟を抜けて、ナチスに捕まるという、毎度同じ展開なのになぜかワクワクしながら見ていました。中学生ですから当然影響を受けて、学校の勉強もせずに古代ギリシャやローマの歴史の本を読み漁ったりしていました。まあ、「世界不思議発見」の正答率が上がるくらいの効果しかありませんでしたが、インディー・ジョーンズみたいにまだ誰も知らないことを発見することを生業にしたいと思っていました。

今回の「インディー・ジョーンズと運命のダイヤル」も時代が異なるものの、これまでのインディー・ジョーンズとだいたい同じ流れでした。ジョン・ウィリアムスのサントラをバックに、ソフト帽をかぶったハリソン・フォードが暗いところに行けばインディー・ジョーンズになっていました。ただ、中学の時に観ていた時のようなワクワクはありませんでした。むしろ、「ちゃんとここはスタントマン使ってるな。無茶させてないな。」と心配の方が大きかったです。面白くなくなったのは、大人になったからだと言ってしまえばそれで説明がついています。世の中のことをほとんど知らず、自然科学や人文学の知識もほとんどない中学生とは違って、スクリーンから流れてくる情報を素直に受け入れらなくなったのだと思います。
しかし、色々わかったからこそ見方が変わったところもありました。インディー・ジョーンズが危険を冒してまで遺物を守ろうとしたのは、それが人類の共有財産で、特定の人物のために使われてはならないと考えているためです。中学の頃は単なる建前としか思っていませんでしたが、論文を書いて、標本を博物館に収めるという経験をした今では、彼の行動が理解できます。しばらく、昔のシリーズを観ていませんが、今観ると違った感想をもつことができるのかもしれません。

実は、4,5月と色々詰め込みすぎたせいで6月は何もする気が起きず、調査や検査をほとんどしていませんでした。ただ、この映画で地中海を飛び回るハリソン・フォードをみて、インディー・ジョーンズみたいにまだ誰も知らないことを発見しに、とりあえず和歌山にでも行ってこようかと思います。



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