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いつも隣に感染症

ここ2年ほど、落ち着いて本を読めていませんでした。途中まで読んだり、必要なところだけ読むという情報収集としては読書をしていたのですが、作品を楽しむことができていませんでした。最近、少し余裕ができたことから、ネットで話題(?)になっていたある小説を読んでみたのですが、なかなか楽しかったです。今回は、その感想文となります。

あらすじと事前情報

読んだ作品は、『清浄島』という小説です。北海道礼文島出身者から相次いでエキノコックス症とみられる患者が発見され、その謎を解明すべく派遣された調査団の研究者と島民がエキノコックス症と闘ってきた過程を史実をもとに描かれた作品です。4年前に発生した新型コロナウイルスによって、感染症の脅威を再認識した私たちにとっては、身近な話になっていると思います。
エキノコックスとは、扁形動物門条虫綱に属する寄生性の動物です。条虫といえば、目黒寄生虫館に展示されているサナダムシが有名ですが、体長が数mにもなるサナダムシとは異なり、エキノコックスは3, 4mmくらいのサイズにしかなりません。また、エキノコックスは属というグループの名称であり、ヒトに感染して病源となるのはEchinococcus granulosus, Echinococcus multilocularis(以降、エキノコックス)という種です。エキノコックスは、キツネの腸に寄生する条虫で、腸管で産んだ卵が糞とともに排出され、糞の中にある卵がネズミの体内に入ることで孵化します。そして、キツネがエキノコックスの幼虫を持ったネズミを食べることで、再びキツネの腸に戻り、成虫となって産卵します。このように、本来はキツネとネズミの間を行き来する寄生虫なのですが、何らかの形でエキノコックスの卵がヒトの口にから体内に入ることで、ヒトにも感染します
エキノコックスはヒトの寄生虫ではないので、人体内では成虫になりませんが、殻をかぶって(シスト化)、かたまり(胞嚢)を作ります。この胞嚢が肝臓にできることで、肝機能障害(間違ってたらすいません)を起こして、死に至ります。また、感染から発症に至るまで十年近く時間がかかるのもエキノコックス症の恐ろしいところです

目黒寄生虫館にあるサナダムシの体節です。エキノコックスはここまで大きくなりませんが、この体節というのが大きな特徴になります。

宿主探しは難しいよね

この小説は、主人公の土橋という研究員の視点で物語が進んでいきます。物語の大半で彼が取り組んでいたのはエキノコックスの宿主探しです。作中にも書かれていますが、もともと日本にはエキノコックスの宿主であるキタキツネはいませんでした。何らかの形で北海道(礼文島)に連れてこられ、島内に広がり、ヒトに感染してしまいました。その後、キツネがいなくなっても人への感染が続いていたことから、礼文島では本来とは異なる動物が宿主となっているということで宿主探しが彼の任務となっていました。
ただ、まったく宿主の見当がないわけではなく、キツネの代わりにイヌかネコが宿主となっていると考えられていました。しかし、見つかりません。理屈の上では、目の前にいるイヌかネコのお腹の中に数mmの小さな虫がいるはずなのに、何匹解剖してもでてきません。私も特定の寄生虫を見つけるための調査を行くことがあるのですが、大抵の場合なんの成果も得られずに帰ることになります。確実にいるのは、カイワリのウオノエとコショウダイのディディモゾイドくらいでしょうか?私の場合は、次の機会を待てばいいのですが、人の命に関わる場合はそうも言っていられません。

みんな辛いよね

昨年までがそうでしたが、感染症対策はみんながやらなければ意味がない時があります。この作中でも、感染拡大を防ぐために、島にいるエキノコックスの宿主になりうる動物を全頭処分することになります。ペットのイヌやネコも対象となるため、島民の中には土橋ら調査団のメンバーに辛く当たる者もいました。ただ、処分する研究員も何も感じずにいるわけではありません。もしかすると、宿主はイヌやネコではないかもしれません、その場合は大事な家族の一員を奪っただけになってしまうからです。
この度のパンデミックでも様々な制限が求められました。それが正しかったのかは分かりません。『良いことだと思ってやったことが、後の世で悪いことを引き起こしちまう。そりゃ、ないにこしたことはないですけど、どうしたって悪いことは起こっちまう。それはもう、誰が悪かった何が悪かっただのって、完全に後付けなんですよ。でも、今、良いことだと信じていることを何もやらないままで良いわけがない。だから、そっからは俺ら研究者の仕事です。過去を検証して、これから何が起こったていいように備える。どうとでも動けるようにする。俺らがイヌネコの腸を毎日調べるその先にあるのは、そんな備えや、将来の安心なんだと、俺は思っています。』という土橋の言葉が答えなのかもしれません。私には協力するくらいのことしかできませんが。

まだ終わってないよ

北海道に旅行に行ったことのある方はご存知だと思いますが、野生の動物と触れあうことの注意を受けます。エキノコックス症は、礼文島での発見ののち根室をはじめ他の地域でも見つかっています。数年前には、愛知県の知多半島の野犬からエキノコックスが見つかったという報道がありました。また、新型コロナウイルスも感染症としての扱いが変わっただけで、確実な治療法がない感染症として今も存在しています。これまでのように生活に制限を設ける必要はありませんが、感染症はどこにでも存在していることを知っておく必要はあるのではないかと思います。そのために、医療関係者をはじめ専門家の話をしっかりと聞く必要があるのではないでしょうか。健康な状態であれば、新型コロナウイルスもインフルエンザも怖くありませんが、病院には免疫が低いもしくは免疫をはたらかせないような治療を受けている人がいます。北海道ではキタキツネなどの野生動物に餌付けをしないように求めていますが、これは人間と野生動物の生活場所が被らないようにという配慮です。時には、自分たちの思いとは反対の我慢などを強いられることもあるかもしれませんが、『今、良いことだと信じていること』なのであれば協力する必要があるのではないでしょうか。



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