アンコール・ワット

シェムリアップは居心地が良かった。都会過ぎず田舎過ぎない、その中途半端さが良かった。住むならこういうところが自分の性には合っているような気がしたが、気候的にはもう少し涼しい方が良かった。気温は三十度を越す日が毎日のように続き、そうかと思えば、時折、プールの水をひっくり返したようなスコールが降り注いだ。スコールがおさまった後は決まって、じっとりとした生暖かい空気が僕を少しだけ憂鬱にさせた。

暑さのせいというのもあったかもしれない。ついついだらだらと一日を過ごしてしまい、気がつけばシェムリアップに来てから四日目の朝を迎えていた。依然として、ドミトリーには僕しかいなかった。ゲストハウス全体で見ても、宿泊客は僕の他に、他人と会話する気が全くなさそうな35歳くらいの日本人女性くらいしかいなかった。オフシーズンというより、単純に人気がないだけなのかもしれない。洗濯をしたり、本を読んだり、宿の近くを中心にあてもなくぶらぶらしてみたりした。特筆すべきようなことは何もないが、とにかくゆっくりはすることができた。旅をしているというよりは、暮らしているという感覚に近かったかもしれない。観光やツアーにと、無い時間を更に圧迫して奔走するのも良いかもしれないが、自分にはこういうのんびりした時間がある旅の方が向いていると思った。

起きて、ふと思い立った。アンコールワットに行くなら今日かもしれない。アンコールワットは、早朝から出発して、遺跡の背後から昇ってくる朝日をバックにその神秘的な景色を眺望するのが良いと誰かが言っていた。確かにそれも良いかもしれない。でも、この機を逃すと、次はいつ行こうと思うかわからない。下手をすれば、アンコールワットを訪れることなくシェムリアップに別れを告げることにもなりかねない。今日行くしかないと思った。

10時くらいに宿を出発した。お金をほとんど持っていなかったので、ATMで100ドル引き出した。100ドル札が一枚ペロンと出てきた。崩しておかないと後で必ず困ると思ったので、近くにあった最近新しくできたらしいショッピングモールのカフェでアッサムブラックティーを買って崩した。ブラックと名前に入っているのに甘かった。東南アジアでは、ノー シュガーを強調しないとこうなるというのは、一応はわきまえているつもりでいたが、ついつい油断してしまった。名前にブラックが入っているのだから大丈夫だろうと。


↑鬼の形相で、ゲームに夢中の子供。ATMからショッピングモールに行く途中の道端にて。


シェッピングモールを出て、近くに停まっていたトゥクトゥクに乗ることにした。5ドルと言われたので、3ドルで頼むと返した。もう僕の頭の中は、トゥクトゥクには最初の言い値では乗るな、という格言じみた言葉に支配されていた。正直3ドルでも適正かはよくわからなかった。チケットを持っているかと問われ、持っていないと答える。どうやらチケットは、遺跡群とは少し離れた別の場所で販売しているらしい。チケット売り場は遠いから5ドルだと言い張るが、3ドルを曲げない僕。3ドルじゃないなら他を探すと言った態度で立ち去るそぶりを見せると、わかったよと3ドルで了承してくれた。トゥクトゥクは明らかに遺跡群ではない方角に向かって全速力で進んでいく。しばらくすると、大きくて新しい綺麗な建物が見えてきた。どうやらここでチケットを買わないといけないらしい。チケット売り場はかなり広く、十はゆうに越えるほど多くの窓口がずらっと並んでいたが、人はあまりいなかった。オフシーズンなのと、こんな時間にノコノコと買いに来る人などあまりいないのかもしれないと思った。一日券と三日券が販売されていて、一日券は37ドルだった。事前に調べていた情報では20ドルかそこらだったが、値上げされたようだった。値段はおよそ二倍につり上がってはいるが、ここまできて、二倍になっているから行くのをやめようという気にはならなかったし、多分そんな人はいないだろう。

手渡された一日券を見ると、自分の顔写真が入っていた。カウンターにカメラのようなものがあるのはわかっていたが、セキュリティのための録画用か何かだと思ってあまり気にしていなかったので、気を抜いていた。一日券に写った僕は、どこか遠くを見つめて、一度もお化けに遭遇せずにお化け屋敷から出てきた時のような、きょとんとした顔をしていた。トゥクトゥクに戻り、アンコールワットへ向かう。これで3ドルは確かに安いのかもしれないと思い、ドライバーには少し申し訳ない気持ちになった。


↑トゥクトゥクドライバーのおっさん。その背中から何やら哀愁のようなものが漂う一枚。


アンコールワットが見えてきた。まず、その周りの堀の大きさに驚かされた。こんなに大きな堀を今までに見たことがなかった。トゥクトゥクから降りて、堀に架けられた遺跡へと続く橋を渡る。遺跡を前にして言葉を失ってしまった。圧巻だった。12世紀という今から考えればはるか昔、重機が無いのはもちろんのこと、交通網も輸送手段も限られていた時代に、こんな巨大な建築物が建立されたとは到底思えない。凄いとしか表現できない。文章で伝えることができる表現の範疇というのがいかに狭く限定的であるのかを思い知らされる。

遺跡に入るとすぐに、カンボジア人の男が、「日本人ですか?」と言って近づいてきた。10年程前に一度日本で日本語の勉強をしていたことがあり、今でもシェムリアップの日本語学校に通っているらしい。年齢は29歳らしかったが、僕よりも幾らか歳上に見えた。さほど悪くない日本語を使いこなすその男は、頼んでもいないのに、英語混じりの日本語で勝手に遺跡の中を案内し始めた。日本にいた時の思い出話や世間話を挟みながら、アンコール遺跡群やカンボジアの歴史について説明してくれた。その他にも、時折、写真を撮った方が良いポイントを教えてくれたり、僕の写真を撮ってくれたりもした。途中から、これは勝手にガイドをしておいて、後からお金を請求してくる手口の商売だなと勘付いたが、途中で上手く離別する方法が思いつかなかったし、既に断るタイミングを逃してしまっていたので、仕方ないと最後まで付き合う事にした。別に悪い男には見えなかったし、適切なガイドなのかは別として、男の説明はしばしば遺跡の事を理解する上での助けになったのは間違いなかった。間髪入れずに世間話を折り込みながらガイドを進めることで、相手に断る隙を与えないようにするというやり口は、これまでの彼の経験から、知らず知らずの内におのずと身につけられたノウハウのようなものだったのかもしれない。


↑遺跡の入口付近で、何やら結婚式かその前撮りのようなことが行われていた。


いつまでこっちにいるんだと訊かれたので、世界を旅して周る予定なんだと伝えると、男は応えた。

「それができるというだけで、素晴らしいことです。カンボジアの人達は、とても貧乏。お金がないから、そんな旅行はできません。どうぞ精一杯楽しんできてください」

背後から心臓をナイフで突き刺されたような気分だった。旅したくてもできない人がいる。そんな当たり前の事は、頭ではわかっているつもりだった。頭では理解しているつもりでいても、その事実からは目を背けてしまっていたのだ。明日からは、旅ができる喜びというのをもう少しは噛み締めながら生きてみようと思った。


↑お祈りをした後に、ミサンガみたいな紐を腕につけてくれる役目をしていた少年とその子分みたいなやつ。


途中、疲れたので、休憩したいと伝えると、遺跡から少し離れた脇の方にあるお土産の売店が立ち並ぶ一角へと案内してくれた。彼も疲れていたようで、売店に売られていた缶のスポーツドリンクを一気飲みした。僕は、まだ東南アジアに来てココナッツジュースを飲んでいなかったと思い、それをもらった。休憩させてもらいながら、お土産屋で働く別の男とも少し喋ったが、英語が少し通じるくらいで、日本語は全くと言っていいほど喋れず、ガイドの男との他言語習熟度の差は歴然としていた。このような、世界各国から旅行客が訪れ、観光業やそれに根ざしたサービス業が産業の主軸として機能しているような地域では、他国の言語が扱えるというのは、収入面においてとても大きなアドバンテージがありそうだ。それは、近年、外国人観光客が増加傾向にある日本にとっても例外ではないのかもしれない。僕は僕で、英語を思うように使いこなせればなという思いは、旅が進むに連れて強まる一方だった。折角、世界を旅していて、多種多様な国出身の人々とコミュニケーションを取れるチャンスがあるというのに、言葉をうまく伝えられないせいで、その機を台無しにしてしまっていることが、とても悔しく不甲斐ないと感じる日々を過ごしていたからだ。互いに異なる母国語を扱う個人間において、ある共通の言語を共有できるという事は、それだけで素晴らしいことだ。宗教や文化、歴史的背景など関係ない。もしもこの世界に、誰もが共通して使いこなせる魔法のような言語があったとしたら、もう少しは悲しみの涙が流れない世の中になっていたかもしれない。


↑お土産屋にいた子供に自分が被っていた帽子を被せてみた。ちなみに、この後泣いてしまった。


お土産屋の男は、しきりに商品を見ていってくれと言うが、僕のような、長期間、多数の国を渡り歩くような生活をしている旅行者にとっては、お土産を買うという発想自体が無いことがほとんどだ。ただでさえバックパックの重さに肩が悲鳴をあげっぱなしだというのに、3ヵ国目からお土産を選んでいては、帰国する頃には肩がとれてなくなってしまうかもしれない。お土産は、無事に帰国する事だけで十分だろう。

しばらくすると、ガイドの男は、12時から日本語学校に行かないといけないからと言って、僕をアンコールワットの入り口まで案内したが、時計は既に13時を回ってしまっていた。かれこれ2時間も一緒にいたことになる。本当かどうかはわからないが、遅刻しても別に平気だから、これから家に帰って昼ごはんを食べてから行くよと言った。日本円が良いと言ったので、日本から持ってきていた千円を差し出した。男は不服そうに、もっとくれよという態度を露骨に出してくる。

「私は、二時間もガイドしたんだよ」

「チケット代高かったでしょう。ガイドもそれと一緒」

と、よくわからない持論を展開してくるので、結局金かよと思いながら、もう千円渡した。男は、満足げな笑顔を浮かべた。時給千円は明らかに高いが、そんなに悪い時間でもなかったので、良しとしよう。男は、去り際に名前を教えてくれたが、聞き取れなかったので、覚えていない。もう一度聞いていても恐らく覚えられなかっただろう。そういう類いの名前だったと思う。


↑アンコールワットというのは、アンコール遺跡群の一角に過ぎない。この後、みっちり日が暮れるまで他の遺跡を見て回った。


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hiroyuki fukuda


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