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テストの点を褒めないで
2023年5月27日(土)朝の6:00になりました。
勉強とは、まず己を知ることから始まる。
どうも、高倉大希です。
「テスト」を日本語訳すると「試験」になります。
字義どおり、「試す」という意味を含んでいます。
試す目的は、大きくふたつに分けられます。
ひとつは、合否を判別するため。
もうひとつは、現在地を明確にするためです。
学校で行われる試験の多くは、間違いなく後者です。
定期テストは、その時点での理解度を明確にするために行われます。
何事も分けて考えれば早くなる、ということである。反対にいえば、仕事が遅いと言われる人は、ほぼ100%、分解して考えられていない。
それにも関わらず、多くの子どもたちは、結果を見たら満足します。
点数を見て、一喜一憂して、そこでプツリと線が途絶えてしまうのです。
くり返しになりますが、目的は「現在地を明確にする」ことだったはずです。
テストを受けて、現在地がわかったのなら、次の行動に繋げなければなりません。
それにも関わらず、だれも動き出しません。
過程であるはずのテストが、終着点になってしまっているのです。
まず、リーダーはルールと目標を設定し、部下に仕事を任せます。その仕事に取り組んでもらい、期限が来れば、「結果」を報告してもらいます。結果に対して、リーダーは「評価」をします。部下は、「結果」と「評価」のギャップを認識し、次の目標を、「変えるべき行動」と一緒に設定します。その「結果」と「評価」のギャップを埋めていく。それにより、「成長」をします。
テストが終着点になっているので、子どもたちは「テスト直し」を嫌います。
いまさら間違えた問題を確認したところで、点数が変わることはないからです。
なぜ、過程であるはずのテストが、終着点になってしまっているのでしょうか。
その理由は、案外はっきりしています。
それは、テストの点を大人が褒めてしまうからです。
「100点?すごいね!」とか、「95点?惜しかったね!」とか。
その成れの果てが「100点をとったらゲームを買ってあげる」です。
そりゃあ、子どもにとってのテストが、終着点になって当然です。
やりたいことを逡巡しないでやってみて「まともに間違う」こと、そして次の何かを待っているよりも早く成功なり失敗なりをして「何度でも試す」という方法なのではないでしょうか。
結果を見て、よかったのなら、再現する方法を模索します。
結果を見て、わるかったのなら、改善する方法を模索します。
この「再現」と「改善」にこそ、テストの意義があるはずです。
結果そのものを褒めてしまうと、その先にはなにもつづかなくなってしまいます。
どうか、テストの点を褒めないでください。
その先につづくはずだった未来を、奪ってしまうことになります。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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