映画『そばかす』:大人になる彼女に背中を押されて
子どもの頃、どんな習い事をしていただろうか?
ピアノ、バレエ、野球、サッカー、絵・・・?
映画『そばかす』の主人公・蘇畑佳純(三浦透子)の場合は、チェロだ。
しかも、プロを目指して自宅に防音室まで作ってしまうのだから、相当な入れ込み様だ。
そうした設備に加え、楽器やレッスンの費用、送迎など、家族は金銭的にも時間的にも相当なサポートをしたことだろう。
特別裕福でもない平凡な家庭に見える蘇畑家。
やりくりが大変だったんじゃないだろうか?・・・と、勝手な想像をせずにはいられない。
物語は、そんな佳純が、「人に恋愛感情を抱くことができない」という個性ゆえに、普通に結婚することが当たり前の家族と衝突し、悩み、前に進んでいく様を描く。
佳純の成長にとって一番のキーとなるのは恋愛と結婚なので、チェロはあくまで補助的な存在なのだが、物語のラストで印象的な役割を担っている。
佳純の友人で、佳純とは対照的に奔放な恋愛関係を持つ世永真帆(前田敦子)の結婚式に出席した佳純は、真帆へのメッセージに代えてチェロの演奏をするのだ。
それが人生最後の演奏だと決めて。
子どもの習い事は、家族、特に親と密接に結びついている。
子どもは、家族のサポートのお陰で習い事をして夢を追えるし、家族も子どもに期待をするものだ。
やがて、子どもは成長するにつれて夢を諦め、親から離れ、親も子から離れていく。
子どもと習い事との関係は、子どもと家族の関係と同調しているのだ。
だからだろう、大人になっても子ども時代の夢が中途半端になっている佳純の姿は、恋愛と結婚が当たり前の家族の中で、人を好きになれない自分を信じてあげられず、もがいている姿と重なって見える。
しかし、悩んで苦しんで、ようやくたどり着いた地平に立った佳純はカッコいい。
佳純は、家族の前で堂々と宣言する。
「恋愛もしたくないし、そういう感情もない。だから一人でも生きていける。それが私。」
そして、真帆の結婚式での演奏を最後に、チェロをやめることも告げる。
佳純はついに、蘇畑家の子どもだった自分と決別して、一人の自立した大人として歩んでいくのだ。
佳純は30歳になる。
“もう”30歳と思われるかもしれない(実際、蘇畑家の中ではそうだ)。
でも、佳純の姿は、自立するのに大事なのは年齢なんかじゃないことを教えてくれる。
おそらく多くの人が、年齢と共になんとなく子どもの頃の夢を追いかけなくなり、家族とも距離を置くようになり、色んなことがうやむやになったまま、就職のようなタイミングを機に大人のような顔をしているのではないだろうか?
佳純は違う。
確かに30歳まで時間はかかったけれども、これが人生最後だと決めて自分の夢と決別し、家族に対して自分はこういう人間だと主張する。
佳純は、自分自身で本当の自立をつかみ取ったのだ。
その姿は、佳純の着る白いシャツと、佳純が物思いにふける白い砂浜のようになんとも清々しく、そしてカッコいい。
自分は、子どもの頃の夢や家族との関係をどうしてきただろう?
年齢を理由に自分が大人だと思い込むのではなくて、自分の中でうやむやにしたままの子どもの自分と改めて向き合うことで、本当の大人に近づけるのではないだろうか?
佳純の姿を見ていると、そんな風に思えてくる。
佳純のようにカッコよくは出来ないかもしれない。
でも、きっと一歩前に踏み出す勇気はもらえる。
『そばかす』は、佳純から大人への清々しい応援歌だ。
山下 港(やました みなと) YAMASHITA Minato
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