沖縄散歩人

退職後に始めたスマホで気ままに写真を撮っています。 よく散歩する沖縄県総合運動公園は、…

沖縄散歩人

退職後に始めたスマホで気ままに写真を撮っています。 よく散歩する沖縄県総合運動公園は、非常によく手入れされた美しい公園です。 地元の人間でも毎日、美しい自然や植物に感動しています。 「写真ブログでその一端でもお伝えできれば」と思い、はじめました。

最近の記事

4月の追加号(2024年)

今月は季節の変わり目で、若葉や花や実が多く、紹介したいことが沢山ありすぎで追加号します。 先ずは花から ちゃんと名前プレートも立てられていましたが名前を忘れた、年だな・・ 年中見かけるけど、とてもきれいに咲いていたので撮りました 寄り道 公園付近の道路脇 私の祖母は野山でこれを刈り取って市場に売りに行き、おやつを買って来た おばー達は ”あかゆいの花” と呼んでいた 今の時期、道端に多くある 4月の最後の週に公園で咲いていました。(4月28日撮影) 前の週は曇りや

    • 方言(うちなーぐち)の思い出

      もの心ついた時から 周りの大人たち(父母や祖父母たち)は方言で会話していた。 彼らは方言こそが普段の自然体の言葉で、標準語(大和口)はよそ行き言葉だった。 だから私自身は方言をほぼ完全に理解できるつもりだったのに、 祖父母らは、がんばって標準語をしゃ べろうとするので、片言で、しゃべりにくそうだった。 父母も子供らには努めて標準語で話すようにしていた。 祖父母らよりは標準語に苦労する様子ではなかったが、多分、頭の中の思考の言葉は沖縄口だったと思う。 復帰

      • ソテツ地獄からの連想の果てに悟り?

        砂糖バブルとソテツ地獄・・・私の祖母たちの思い出から 私の曽祖父は「ニューヨークへ密航して大金を稼いで帰郷した」 との話は何度か祖母やおばさん達から聞いた記憶がある。 今になって歴史の本等を読むと、 砂糖バブルやソテツ地獄の時代の事らしい 1920年頃から1930年頃かと思われる。 第一次世界大戦、世界大恐慌、昭和恐慌 など世界の歴史と沖縄は密接に繋がっていた。 密航して、ニューヨークで庭師をして稼いだ曽祖父が持ち帰った金は、当時の沖縄では随分な価値があったらしく、

        • 4月の沖縄県総合運動公園

          お気に入りの散歩コースの沖縄県総合運動公園の12か月をこれから投稿していきます。 少しの時間、沖縄の美しい自然をお楽しみください。 今は ”うりずん” と呼ばれる沖縄の最も快適な季節です。 ゴールデンウイークの終わりごろにはもう梅雨になってしまいます。 沖縄はまだまだ朝晩は涼しく過ごせるのですが、もう公園の植物達は若夏モードへ変身中です。 先月までは赤く紅葉したり、葉を落としたりしていたモモタマナも若芽から若葉へと装い変化させています。  モモタマナは方言名でクワ

        4月の追加号(2024年)