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『冒険の書 AI時代のアンラーニング(孫泰蔵著)』《読書記録#4》
まずはじめに、タイトルが・・・刺さるよね。僕ら世代には。
何度も何度も開いた「冒険の書」
悲しい音楽とともに何度も消えた「冒険の書」
この言葉だけで何時間でも語れてしまう…
さて、このままではいつまでも本題に辿りつかないので、始めましょう。
まずこの本の中身ですが、良い意味で期待を裏切られました。
著者の頭の中の冒険ではあるものの、そこに登場する人物は過去の教育や社会へ大きな影響を与えた人物ばかりです。
「タブラ・ラサ」なんて採用試験の時以来、10数年ぶりに聞きました。
教育とはどうやって始まっていったのか。
いかなる哲学のもと、行われていったのか。
その時々の社会との関わりの中でどう位置付けられていったのか。
そのようなことが、偉人と筆者のやり取りの中で解き明かされていきます。
単純に読み物として面白いです。
しかし、読みっぱなしにならぬよう様々なことと結びつけて考えていくと本当に読み応え、考えごたえ(?)のある本でした。
以下、私がこの本からインスピレーションを得て、考えをとばしたことについて述べてみようと思います。
(ここからは本の中の気になった部分+考えたことを中心に書いていきます)
「学び」と「働き」と「遊び」
まず、著書の中でこんな言葉があります。
「学び」から「遊び」がなくなり、
つまらない「勉強」になった。
「働き」も「遊び」と分けられて、
つまらない「仕事」になった。
私はこの文章に一番感銘を受けました。
確かに!と納得しました。
勉強=辛く、耐えないといけないもの
宿題=「今日は宿題はなしです」「やったー」
のように、今の学校では「当たり前」のように上記の考え方が根付いています。
それは、ベテランから若手まで幅広く根付いています。
しかし本来勉強はもっと楽しく、仕事ももっと楽しくあるべきではないのでしょうか。
私は算数を専門としているので、単純に
「学び」ー「遊び」=「勉強」
なのであれば、
「勉強」+「遊び」=「学び」
に戻るのではないかと思っています。
普段の学校で行われているいわゆる「勉強」に様々な形で「遊び」をミックスしていく。
パッと思いつくものに「ゲーミフィケーション」がありますが、まさに「ゲーム」と「エデュケーション」を足したものです。
つまり、「学び」に戻していくことそのものが「ゲーミフィケーション」とも言えるのではないかと思います。
このあたりについては、以前「学び」と「勉強」で言葉遊びになってしまった拙記事があるので、もし良ければどうぞ。
また、仕事に置き換えたときも、同様に「遊び」が大切だと言えます。
人生の中で、いかに「遊び」の部分を発揮していくか、これがこれからの時代に求められていきそうですね。
本の趣旨として「親から子へ」
私は、今教員という仕事を続けているモチベーションの一つに、息子が受ける教育を少しでも楽しい方向にもっていきたい、というものがあります。
住んでいる自治体内で働いているので、私の仕事が息子の通うであろう学校に何かいい影響を与えられたら・・・
そんな気持ちも頭の中にあります。
この本も、本としてはこれからを生きる若手に向けて書かれているのかもしれませんが、本質は子どもに向けた本であると思います。
少し前に読んだ森岡さんの本もそうでしたが、いかに著名な方といえどお子さんにできることは限られているのだと思います。
ならば、社会本体の方を変えるようにエネルギーを持って行く。
すさまじいエネルギーを使うと思いますが、かっこいい生き方だなと思います。
私も、この本を読み、自分だけでなく社会全体へ少なからず影響を与えていく歯車になりたいと強く思いました。
本のタイトルと堀井雄二さんにに敬意を示して「人生はRPG」の精神で私も頑張っていこうと思います。
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