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「やらされる」と嫌になる

2歳児の本能的な動きから

2歳の息子を見ていると、本当に題名の通りだなと思います。

先日おもちゃ屋さんで「パズル」を買いました。

しかし、その後おもちゃ屋さんと併設しているゆめタウンに買い物に行く用事がありました。

息子はパズルを大事そうに持っています…

ここで妻が息子に対してしたことです。
①駐車場まで行く。
②車のドアを開ける。
③パズルを椅子の上に置くように声をかける。

なんと、息子はさっとパズルを置いて車から降りました。

私は、頭の中で「パズルを手放さない息子」がイメージできていたので、どうやって気を引いてそのすきにパズルを置こうかと考えていたのですが、妻の見事な一連の動きにあっぱれ!でした。

思えば、息子を見ていると同じような場面がたくさんあります。

まさに今「イヤイヤ期」真っ只中なので、何をするにしても機嫌を伺いながら行っています。

そんな中、テレビでも有名なてぃ先生がよく言われている子どもに「選択」させる方法を我が家では多く取り入れています。

服を着せる前に、「どっちを着る?」を訪ねれば、「着る」という動作に対して「イヤ」ということはほとんどありません。

小学校でも

話が転じて、学校現場でも同じような場面が山ほどあります。

そんなときも子どもに「選択」をさせると上手くいく場面が多いです。

しかし、小手先では上手くいっても、例えば「勉強」や「宿題」はどうでしょう。

どうしても「やりなさい」という思考になりがちです。

そして1年生の頃には大好きだった「勉強」が次第に嫌になっていく。

あれほど待ち望んで
先生「今日から宿題があります!」
子ども「やったー!!」
と言っていた宿題が苦痛なものになっていく・・・

教師として、
「何をやってるんだ・・・」「1年間かけて勉強嫌いを増やしてしまった」
と何度も後悔をしてきました。

きっと、私の頭の片隅に捨てたはずの「勉強=つらいもの」という意識が残っているのだと思います。

学ぶって楽しい

そもそも、
できなかったことができるようになるって楽しい!
という感情は誰しもがもっているはずです。

それを、学校で何度でも体験させてあげたいなと思います。

また息子にも、学ぶ楽しさを感じ取ってもらえるように見守っていきたいな、と思っています。

言葉遊びかもしれないが

私は、後半の文章では自然と「勉強」ではなく「学び」という言葉を使っていました。

よく「勉強」から「学習」になり、今は「学び」の時代とも言われます。

ひねくれ者の私は、そんな言葉遊び・・・と少し斜に構えていたところもありましたが、言葉のもつイメージはやはり大きいようです。

思えば学校でも最近はあまり「勉強」という言葉を使っていません。



また、「学び舎」という言葉があります。

意味は「学校」と同義なのですが、「校」という言葉よりも私は「舎(や)」のほうが柔らかいイメージをもちます。

タイトルから話は大きく逸れてしまいましたが、こういった言葉のもつイメージを駆使しながら、物事に対する意識改革をしていくことも教員として必要なことだなと感じています。

どちらにしても「やらされた勉強」は、子どもにとっても教員にとっても良い結果は生まない。
むしろマイナスが大きい。

しっかりと自分の意思で学びに向かえるよう、教員を含めた周りの大人の声かけが大切なのだと思います。

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