量が質に変わるまで?

1 前回、「上達の速度は、(練習)量×(その)質で決まる」 と書いた。

 私の観察になるが、同じ道場に所属する会員の伸び(=上達)を比べてみると、稽古回数が週1では現状維持。
 週2から伸び始め、週3~4回で伸びが安定し、週5以上稽古する人は爆発的に伸びている。

 したがって、「練習してもなかなか上手くならない」、あるいは、「壁にぶち当たって伸び悩んでいる」という人からアドバイスを求められた場合、もっともシンプルな回答は、「もっと練習しましょう!」という事になるだろう。

 そうは言っても、仕事や家庭の都合でこれ以上練習量を確保出来ないという方のために・・・「上達速度=量×質」という公式が成り立つ事を前提にして・・・「量よりも質」に目を向けてはどうだろうか?という趣旨の記事を書いた次第である。

 しかしながら、柔術の稽古に限らず、「質よりも量」に対する信仰が日本では根強いのも事実である。
 私が受験生の頃は、「量が質に変わるまで」勉強しろ!と繰り返し言われたし、乱取り・スパーリングを数多くこなすことが強さに直結すると考えている人もいるかもしれない。

 今回は、「質よりも量」という考え方に対する私の見解を述べてみたいと思う。

2 以前ウチの道場で私と一緒に練習していたが、さらなる高みを目指してより大きな道場に移籍した子がいる(Z君としよう)。

 Z君の移籍先は、プロのMMA選手が多数所属しており、日本でも有数の名門ジムという事である。

 先日久しぶりにZ君と話をする機会があったのだが、どうも彼が移籍する前にそのジムに抱いていたイメージと現実は、かなり違っていたようである。

 Z君のジムでも、「MMA」「打撃」「柔術・グラップリング」の各クラスがあり、プロ練も含めて、彼は一日2部ないし3部練を毎日こなしているそうである。
 ただ、その全てのクラスがスパーリングオンリーで、「誰も何も技術を教えてくれない」。
 また、彼は以前私と一緒にテクニックの打ち込みをやったので、「テクニックは打ち込みをしなければ身に付かない」という事を身体で分かっている。
 そこで、彼がジムの先輩後輩にテクニックの打ち込みをお願いすると、「皆嫌がって相手をしてくれない」そうである。

 Z君の話は、実態をどこまで正確に語っているかは分からないが、彼の不満は「テクニックの打ち込みもしないで、一日中スパーリングばかりしていても強くなれない」という一点に尽きるだろう。

 「質よりも量」という考え方が正しいのであれば、そのジムに所属している選手達の練習量は十分過ぎるほど多いはずだが、そこからはアマチュアが全くと言っていいほど育っていないらしい。

3 私はそのジムの練習風景を見学したことがないので、あくまでも想像の域を出ないが、もしかするとそこのオーナーは、「若い奴を手当たり次第かき集めて、後は弱肉強食の世界で生き残った奴が試合で勝つだろう」という発想で選手育成をしているのかもしれない。

 全国から上を目指そうとする人々を集めて、1日3回ガチスパーの中に放り込めば、最後までジムを辞めなかった選手は間違いなく強いだろう。
 だがそれは、その選手が「練習を積み重ねて強くなった」のではなく、単に「強い奴が生き残った=強い奴が強い」というだけの話で、そのジムでプロを夢見て練習している若い選手達の大半は、自分がより強い人々のエサとして集められているだけだ、という事実にいずれ気付くだろう。
 現に「弱肉強食」原理が支配するある種の食物連鎖の中で、喰われる側に立たされた若い選手が次々に辞めて(あるいは、病んで)いっていると聞いた。

 そういう話を聞くと、「弱肉強食」原理に則った「スパーリング」を一日3部練する事が、とりわけ才能はあるが、MMAの基礎のない選手たちにとって何の意味があるのだろう?と私も考え込んでしまった。

 私の記事の読者の方々にとって、本稿はあまりリアリティがない話かもしれないが、やはり「質より量」「量が質に変わるまで」というのは、間違っていると思う。
 それらのフレーズが「まず(練習ないし学習)量を確保すべき」という意味であれば正しいと思うが、(練習ないし学習)量が増えれば増えるほど、練習(学習)に対する飽きが生じたり、燃え尽きて心を病んでしまう可能性も高まるので(怪我のリスクも跳ね上がる)、やはり「練習の質をどう高めるか?」という問題は避けて通れないと私は考える。

 「上達速度=量×質」という公式が正しいのだとすれば、ライト層は足りない「量を補うために」、また、ハード層は「量を維持するために」、皆等しく「質を高める」工夫が求められるのではないだろうか?


 

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