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『美男子と煙草』それから自分

自分は煙草を吸わない。
けれど煙草臭い喫茶店は好き。それはあの煙草臭い喫茶店から感じるノスタルジーな地元感がたまらなく好きだから。

ヤニ臭い喫茶店の中に輝く宝石。



こんなおいしいホットケーキも出してくれる。
最高か………


いやはや、本題に戻ろう。
この前、友達の勧めで太宰治の『グッドバイ』を読んだ、その中の短編に一つ共感を寄せてしまった作品があった。

『美男子と煙草』という短編である。

戦後の街、敗戦国として占領された日本。
その中で、太宰が記者と共に上野にいる浮浪者を見に行くという作品である。

僕も読んでいる内に上野にいる浮浪者を不覚にも、新宿のトー横にいるトー横キッズに姿を重ねてしまった。

その作品内で、太宰は上野の浮浪者に焼き鳥を一本ずつ分け与えた。
そして、記者はこの上野を「地獄」だと揶揄するのである。
しかし、太宰はその地獄には目もくれず、浮浪者が美男子だったということを発見する。

「僕は、真直を歩いていてとも、あの薄暗い隅に寝そべっている浮浪者の殆ど全部が、端正な顔立ちをした美男子ばかりだということを発見したんだ。つまり、美男子は地下生活におちる可能性を多分に持っているということになる。」

『美男子と煙草』

そうだ、トー横だ。先程自分は作品内の上野をトー横と重ねたが改めてそう思う。

そこを拠点としている彼ら彼女らも言動や生き様に難はあれど、少なくとも汚らしくはない。むしろ誰かと共にありたい分小綺麗なものである。

彼ら彼女らは自らを寄り添える場所を探して、その結果トー横に流れ着いたのであって、それは自分たちから見たら、ヤバい奴らの溜まり場であり、まさに「地獄」である。しかし、彼ら彼女らの主観で見ればそこは寄り添うもの同士が築き上げた「天国」なのかもしれない。

「美少年と煙草」の中で、太宰は誰もが美少年ということを発見している。浮浪者も記者もそして、太宰自身も美少年なので、それらが「地獄」に落ちる可能性は充分にある。

ってことは、自分自身も美少年?
確かに、美少年かもしれない。モテないだけで、ちゃんと………ギャグってとこにしておいてくれ。
(滑って尻餅ついてないよな……)

とにかく、我々が境遇がどうであれ美男子であれ美女であれ、堕ちる時は堕ちるのだ。
読み進めていくと太宰は更に鋭くこのような発見をした。

「煙草です。あの美男子たちは、酒に酔っているようにも見えなかったが、煙草だけはたいてい吸っていましたね。煙草だってら安かないんだろう。煙草を買うお金があったら筵一枚でも下駄一足でも買えるんじゃないかしら。コンクリイトの上にじかに寝て、はだしで、そうして煙草をふかしている。いまの人間は、どん底に落ちても、丸裸になっても煙草を吸わなければならないよう出来ているのだろうね。ひとごとじゃない。」

『美男子と煙草』

そうです、他人事じゃない。

この鋭い発見を見た時に自分は背筋が凍った。まるで太宰に私生活を覗かれているのかと思うほどだった。

自分は煙草は吸わないが、自分の身なりを整えるより漫画などの趣味にお金を割いてしまう。
いわば、煙草をふかす美男子と同じ状況である。

例えるなら、自分が彼女欲しいと思っても思うだけで、漫画や同人誌を手当たり次第に購入する。そのようにできている。もう諦めているから。

その漫画を買うお金で、プチプラのTシャツが一枚買える。何冊も我慢すれば、身なりも整えてそれなりに異性に意識してもらうことだってできるはずだ。

美男子たちもこの敗戦を通して、もう日本というものに諦めて地獄に身を置いて煙草をふかしている。

境遇、状況は違えどその似た心情に共感を覚えてしまった。

この『美男子と煙草』何気ない随筆的作品に感じるが、そこにはみんなイケメンであること誰もが堕ちるという可能性とそこに対する共感が詰まった、太宰からの警鐘なのである。



語りたいことはあるけれど、これ以上はまだ固まってないので、いずれ話します。(これ以上おしゃべりするとぐちゃぐちゃになりそう。)

来るべきクリスマスまでに読んで自分を変えてみたいとは思いませんか?(思わないか。)

読書の秋、是非読んでみて欲しい。

オチがない、堕ち……るとは?




実は青空文庫で読めます。


自分が美男子ではなくなった日


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