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心を救ってくれた人

「みんなが正義の味方なのよ」
そう母に教えてくれた人がある人を紹介してくれた。

母の姿を見かねて声をかけくれたのだろう。

話を聞きに行った母が明るくなって帰ってきた。
「すごい良かったよ、あんたもいってみれば?」

と母が紹介のメールを送ってくれた。
丁度このころ、2番目の妹がワーホリに行くことを考え始めた時期。

私ももう一度海外に行けたらいいのにと思っていたころ。
母から紹介されたその人に会いに行くことになった。


晴れた日、電車に乗って宮島に勤めていたころ以来久しぶりに訪れた
廿日市のショッピングモール内の「オアシス」という喫茶レストランで
私はスピリットトレーナーRinさんに初めて会った。
優しく、日が差し込むそのお店に緊張しながら入ると笑顔で
迎えてくれたRinさん。まずは名前と生年月日を用紙に書くように言われた。
飲み物を頼んでどうやって話が始まってかはわからないけど、
今の職場を離れたいこと、祖父の死の一件がつらかったことを話した。

「仕事がむいていないわけじゃないよ」
「同じ業種で働き続けるか、海外もありだよ」と言われて嬉しかった。

私、また海外に行けるんだ!

海外に行きたいです!というと、
「いいよ~、だって日本にいるとあなたのやさしさや、やりたいことを遠慮して閉じ込めちゃうでしょ?海外に行ったら自分を出さないと生きていけないから行ったらいいよ!黒髪でいくともっといい!」

Rinさんの明るさに気持ちが軽くなっていくのが分かった。
自分のことについて意識を向けたのが久しぶりすぎて、
祖父の一件以降私の意識は常に他者に向けていて、
自分がやりたいことに向けることをしてこなかったから
気もまぎれ、明るくなっていくのが自分でもわかった。

1時間の鑑定はあっという間に終わり、
すっと気持ちと頭が軽くなったのが分かった。

家に帰って母とRinさんに伝えられたことを話した。
久しぶりの明るい話題だった。



鑑定を終えて数日後私は留学団体からワーキングホリデーの
パンフレットを請求し、金額を控え父に伝えた。
Rinさんから話すより、ラインで文章にして送った方がいい。とアドバイスされていたのでドキドキしながら父に長文のラインを送った。
自分の所持金額では到底海外に行けそうになかったので、援助してほしいと
伝えた。

高校の時も留学をさせてもらったこともあり、Rinさんに
大丈夫だと言われた半面断られることも覚悟しながら。

数分後父からすぐに分かったとラインが返ってきた。
母と一緒に喜んだ。
仕事から帰ってきた父に感謝を伝えると、
「小さいころ、たくさん我慢させたからの」と言ってくれた。

Rinさんのすごさをじわじわと知り、ありがたいと思った。
すごい人と出会ってしまった。


行先はオーストラリア。
ダイビングに興味を持ち、ライセンスを取った私は
ほぼ迷うことなく、オーストラリア、ケアンズに決めた。

学校はアットホームな小規模の語学学校。
久しぶりの学校にわくわくした。



退職日を3週間ごに控え、
ワーキングホリデーの準備を始めていた矢先、
2018年7月5日から8日にかけて発生した豪雨
「西日本豪雨」により、父の会社が大きな被害を受けた。

大雨により道が遮断され、浸水被害を受けていた。
その時、父が初めて家族に弱音を吐いた。
「もうだめかもしれん。」

そんな父の言葉に頭を鈍器で殴られた感覚になった。

退職を決めている私に、
「もう一度院長に掛け合って、働き続けられるようにしてくれ」
「父さんを扶養にいれてくれ」

初めて見る父の姿を受け止められず、家族をすべてゆだねられた
私は、その重圧に耐えられなくなってしまい心の中で拒絶をしてしまった。

もうだめってなに?
どうしてわたしにすがりついてくるの?
自分の会社がダメになったら働かずに生きていくってこと?
いきなりすぎて思考がおいつかない、
私はまだ何も持っていないのに。
今から、これから自分を探しにいくのに!


一気にこみあげてくる感情を家族にバレないように、
父を傷つけないように、これ以上口を開かないようにするので
精一杯だった。


また心が真っ暗になっていくのが分かった。

祖父の一件から心の傷が癒えきれないまま
起こってしまった。

なんで私たちばっかり!!もう十分傷ついて、耐えてきたのに!
どうしてこんな思いをせんといけんのん!一体わたしらが
何をしたっていうん!!?


また暗い日々が始まっていく、
家族がどんどん沈んでいく中で母さんが
Rinさんの鑑定に行った。

どんなことを言われたのだろうと気になりながら
外出先から帰宅すると母がいきなり、

「母さんを許しんさい」


・・・は?

へらへらしながら言ってきた母に
あいた口がふさがらなかった。


Rinさんによると
父のことは父が自分で何とかするから大丈夫。
家族ができることは何もないとのこと。

なら自分のことを聞こうとした母に
Rinさんが、

「これまでの(祖父の死から)ことで
家族を1番誰よりも心配していたのは(私)ちゃんなんだよ。
親戚(叔母)のことがおかしいと最初に気づいていたのも
(私)ちゃんだったのよ。」

といったのだと母から聞いた瞬間、私は泣き崩れた。

ちゃんと私を見てくれている存在がいたということに、
やっとやっと母に伝わったことに、

本当に、本当に救われた。

こんな形で母に伝わるなんて思ってもいなかった。
伝わらずに、「何も気づかない長女」と思われたままなのかと
あきらめていた。


奇跡じゃ・・・と感動しながら、
うれしくて ぐずぐずしている私に
母は
「そうやってRinさんにいわれたんよ、だから母さんを
許しんさい

正直これには怒りを覚えた。

Rinさんになにか言われたのだろう、
こうやって言ったらいいとか、今謝っておいてねとか

そこまで考えてもう一回母の言葉を振り返ったけど、

許しんさいと言われて

許しますとすんなりいくわけなかろ

そんな簡単なもんじゃないと思いながら

Rinさんにここで許しておいた方がいいと
言われた気がして、(そうと思うように自分を丸めて)

ゆるすと言ってしまった。

これ本当につたわってんのか
でもまあ、母さんの口からきけたから伝わってるのかと思った。

なぜか母さんが笑ってて

けっ!

ってなったのはいうまでもない。




この話をしてからRinさんにまた会いに行った。

父には十分、商業の才覚があること、
男泣きするくらい周りが父を助けてくれること。
ここから会社がまたどんどん大きくなっていくこと、

だから安心して、自分探しの旅に(黒髪にして)
海外にいってらっしゃ~い!!


Rinさんに心を引っ張り上げてもらい、
たくさん背中を押してもらえた。


オーストラリアについて、落ち着いたら
Rinさんにメールをしよう、
また悩んで、進めなくなったら話を聞いてもらおう。




誰も気づいてくれなかった私に気づいてくれて
心強い味方ができたことがうれしくて
アメリカに交換留学をしに行った時とはちがう
わたしなら大丈夫という気持ちをもって
オーストラリアへ出発をすることができた。


私を家族を救ってくれて本当にありがとうRinさん

















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