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ぶざまな自分をさらけ出しすぎてはいけないと思ってました。

いつまでいい子ちゃんで生きようとしてんだ?私。
誰の為にいい子ちゃんで生きようとしてんだ?私。
いやだ、私ったら、おばあちゃんになった(毒親気質の)母親の目をいまだに気にしているのか?
いや、そういうわけじゃない、私が気にしているのは世間だ、親とは違う他人の目だ。

いい子にしてなければ可愛がられないと思っていた。
いい子にしてなければ世間からも受け入れられないと思っていた。
だから、中途半端にいい子を演じるのだけど、(自称だけど)発達障害だし、(考え方とか言動が)少数派の人種だし、結局、ぼろ(素)が出てしまう。
そうして、いい子ぶってる割には、全然いい子じゃない、すごく気難しくて、面倒で、それでいて奔放で、あっけらかんとした、はちゃめちゃな人間像を浮かび上がらせてしまうのだ。(爆笑)

一体、私ってやつは、どんなやつなんだよ?と、自分で自分にツッコミを入れてしまいたくなるぐらい、ちょいと変なやつなんだ。
でもね、普段はむちゃくちゃ隠してる。。。つもり。(苦笑)
きっと、勘のいい人には気付かれているに違いない、ここnoteの住人の皆さんは勘が良さそうだからなぁ。(笑)

結局、何が言いたいかっていうと、もっと自由にnoteと付き合っていこうかなぁと思う。
私は、記事を書くことも、コメントの返信も、コメントを入れさせて頂くことも、自分の中に知らず知らずのうちにルール(決まり)のようなものを作っていたような気がする。
それが自分の理想通りにできそうにないなと思うと、お休みしたくなったり、更新を減らしたくなったりしていた。

それって、やっぱり、実は、とっても窮屈だ。
お休みも、更新を減らすことも、悪いわけではない、自分が自分らしい感情の末に決めたことならばだ。
しかし、私は、おそらく、自分のルール(決まり)に苦しくなった時に、そういう決断をしてきた気がするのだ。

もう。。。いいだろう。。。学校に行ってるわけでもない、ここは集団行動の場所でもない、私が書きたくて書くと決めた場所なのだから。

明日は延命治療中の父に会いに行く。
1週間に1回の面会は少ないよ。
誤嚥(熱)。。。治っててほしいよ、肺炎、治っててほしいよ。
お父さん、元気でいてよ、まだまだ、お父さんと呼ばせてよ。

私は、書くことでしか、自分らしく生きられない。
世間を、他人を、気にして生きる習慣が長すぎたからだ。
書くことを通してでも、気にしてばかりだったが、これからは、もっと気持ち良く書いていきたい。

書くことは、私に生きている実感を与えてくれる。
私は生きたい、あとどれぐらい生きられるかわからないけれど。
生きていることを感じながら、生きていきたいのだ。



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