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かつての寂しさを追想する

あの人と仲良くなった。
この人と仲良くなった。
楽しいな、嬉しいな、ちょっと浮かれている。

あれ?あの人が最近、あんまり連絡をくれなくなった。
あれ?この人が最近、他の人と仲良くしているようだ。
なんでかな?寂しいな、ちょっと哀しんでいる。

嫌われちゃったのかな?嫌われたわけでもないみたいだ。
飽きられちゃったのかな?飽きられたわけでもないみたいだ。
じゃあ、なんでかな?
きっと、明確な理由はあるようでないんだ。
人は、気まぐれな生き物だから。
人は、感覚の生き物だから。

仲良くなった頃と、微妙に歯車が合わなくなってきたのだろう。
仲良くなった頃と、微妙に互いの違いを知り合ってきたのだろう。
仲が悪くなったわけじゃない、距離感が変わっただけ。
仲が悪くなったわけじゃない、適切な距離感をわかっただけ。

こういうことが、若い頃の私は、いや、近年までか?わからなかった。
だから、とっても人間関係に疲れていた。
ある意味、寂しさという言葉を隠れ蓑にしながら、傲慢な自分を取り繕っていたのかもしれない。

傲慢とは、辞書で調べると、おごり高ぶるとある。
おごり高ぶるとは、辞書で調べると、慢心とあった。
慢心。。。傲慢よりもなんだかしっくりと来た。
慢心。。。言われてみると、私の人生はどこか慢心の傾向があったようにも思える。

慢心って、ある意味、若さの象徴なのかもしれない。
かといって、若さを失った今、私の中に慢心がないのかといったら、嘘になるような気がする。
慢心って、いくつになっても、気を抜けば陥ってしまう状態なのかもしれない。

慢心にならないようにしたい。
その判断基準は、自分の周りの人を見ればわかるかもしれない。
やっぱり、慢心な人には、人が付いてこない気がするからだ。
もしも、人が離れていってるなと感じたり、離れていなくても衝突が激しいなと感じる時には、自分の中に慢心がないか考えてみたいと思う。

少しでも、慢心にならないようにするには、どうしたらいいのかな?
素直な気持ちを保てるようにすることだろうか?
意地を張らない、虚勢を張らない、どっちも張るという言葉が入ったな。
張るってのは、ちょっと無理がある状態なのかもしれないね。
たるみを持たせるぐらいで、人生なんてのはちょうどいいのかもしれないね。

ああ、良いあんばいってやつか(*´σー`)エヘヘ




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