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もう一度、心を鷲掴みにされたいのです。

もはや、これはラブレターだよな。(笑)
私は、かつて、とてつもなく、心魅かれる言葉を紡ぐ方と交流をしていた。
その方の言葉を読めなくなって、それなりの月日が経つ。

SNSでどんなに心震える言葉を紡ぐ方との出会いをしようとも、その関係が永遠に続く確証はない。
もちろん、現実での出会いであろうとも、それは同じことなのだが。
しかしながら、SNSの場合、互いの素性を知らないだけに、出会いも別れも突然、起こる可能性は否めない。

私の記事は、実は、目をつむりながら書くことを考えることが多い。
おそらく、自分を思考(創造?)の世界へ飛ばしているのだろう。
そこへ飛ぶと、ある種の、「無」のような感覚に襲われる。
この「無」という感覚、本当に何もかもの感情が無くなってしまうわけではなくて、なんといえばいいのかな?

五感を研ぎ澄ましに行ってる感じだろうか?

「無」から帰ってきた時、私の感情は一気に爆発する。
そう、「無」から「有」に変わる瞬間だ。
この瞬間を私は堪能することが好きなのだ。
快感とも言えるかもしれない。

この快感の感覚が、私の心を鷲掴みにした方の言葉には、溢れかえっていた。
感情の爆発でありながら、感情の鎮静化を同時に感じさせられているような、息ができなくなるほどに、書くことだけに全神経を集中させられてしまうような感覚が、懐かしい。

ああ、熱く語ってしまったな。
今日はいいことがあった日だからかもしれない。

今日は、先日、面会したばかりの父に、また会ってきた。
先日は事務的な用事で病院に行ったので、先日の面会は、週1回の面会としてカウントしないでくれたのだ。
延命治療中の父は、先日同様、寝たきりだが元気だった。

しかも、父から嬉しい報告を聞くことができた。
なんと、人工呼吸器がはずれて以降、初めて、高カロリーゼリー以外の物を口にしたと言うのだ。
どうやら、野菜を刻んだ物をペースト状にした物だろうか?それを食べさせてもらったらしい。
味がないと文句を言っていたが、そんな文句を聞けたことが、私には涙が出るほどに嬉しかった。

父は、「今日は初めて野菜を食べたよ」と言いながら、生き生きとした表情を見せてくれた。
心無いソーシャルワーカーの方が、先日の面会後の事務手続きの時に言い放った無責任な言葉とは、まったく違う状況が待っていたのだ。
そう、あの時、私達(母と私)は言われたのだ。
「食事の状況は、鼻からの栄養と高カロリーゼリーが限界のようですね」と。

限界?限界って?誰が決めたんだよ?と、私は言いたかった。
案の定、父は、限界突破してきたじゃないか。(爆笑)






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