見出し画像

シンギュラリティ鬱病。〜落合陽一の躁鬱と成田悠輔の鬱〜

 シンギュラリティは必ず起きる。

 日経テレ東大学のタレント成田悠輔現象は落合陽一のネガにすぎない。

 一見するとnewspicksよろしく典型的なシンギュラリティ論者の落合陽一が極左に見えるが、内情は真逆で今世間的には最も極左でラディカルなのは成田悠輔だ。

 なぜなら、成田悠輔は論破王のひろゆきと対談して圧倒できるパンツをはいたサルよろしく性格が悪いからだ。

 37歳で今まで何をやっていただし子供も作らないしイエール大学助教授も古市憲寿よろしく日本でいう助手レベルにすぎない、確信犯的な大学殺しを目的にした変人だからだ。

 技術的特異点、シンギュラリティを持ち上げるまでもなく、世界のipadやiphon、スマートフォンを日本人が使っている時点で大学の学位なんかよりも世界に通じるテクノロジーの輸出は当たり前だった。

 しかし、日本人は堀江貴文や落合陽一、そして安倍晋三よろしく良くも悪くも技術競争で海外に負けてしまって、良くも悪くもその原因は端的に表すと、日本の既得権益の強さだ。

 成田悠輔と西村博之があまりに古くてつまらない、というか自明すぎる政治批判や大学批判を改めてするのはそれだけ日本社会の極右性は強すぎるからだ。

 落合陽一がシンギュラリティ論者などとんでもない。

 成田悠輔のほうが地に足がついたシックなシンギュラリティ論者だ。

 もちろんきっと落合陽一の躁鬱すぎるシンギュラリティ論は反転した仏教的霊性を維持する田舎者の低学歴の馬鹿さだし

 成田悠輔の鬱すぎるシンギュラリティ論は反転した極左に開き直る東京大学と都会を前提にした排他主義の遺伝主義、素朴すぎるソフトなレーニン主義にすぎない。

 両者をクールに弁証法できる状態まで世直しできたときに、technologyが思想になる、地に足がつきながらもハイテンションなシンギュラリティが日本でも起きるだろう。

 当然マジな話、政治も大学も協会のように成り下がるだけである。

 未来だけを見よう。

 老害は全員切腹せよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?