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YouTubeはキリスト教である。ひろゆきもキリスト教である。よって、超自由主義は成立する。(超AR自由主義#3)

 うん。

   共産主義にも共通するアジテーションの仕方。

1,全部が基本的に宗教

2,断定口調と否定で偏差値の世界に迷わせる

3,論拠の最後は感動に訴える

 まずは、法律を破れる法律を提示した。

 たとえば、私は今JKの胸を電車で触り続けている。

 絶妙なラインを狙い、背中や髪、おでこ、横は手を触らずならギューと触っていいのだ。

 これなら痴漢には見えないし、先程のJKは無意識に気持ち良いため、断ることもできないし、仮にここで断ったら、この程度も拒絶するのか!?と自分の美人さの喪失につながるため、エンドレスにギューギューと触っていいのだ。

 フランス文学でよくある話しだと思うが、コッケイトリの話しで、婦人がダメよダメよと言っているのは、ダメだけどダメじゃないというダブル・バインドである。

 法律を破れる法律、つまり、自由主義は、こうやって理解されていく。

 要するに、ナンパ術は男の目線だから間違えている。

 なぜ、ナンパがダメかと言えば、理屈に頼りすぎて直球で性的に狙いすぎているからである。

 言語的な自由と 自由じゃない自由!

 はまったく違う。

 よって、拡張現実、AIが擬人化していくAR化を理解する背景として、ARはヴィーナスだと気づかなければならない。

 こうして、信者ちゃん王国は成立する。

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