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「お隣さんと仲良くするのは難しい」と言うけれど(第二回)日本語版

※この記事は台湾のネットメディア「花蓮最速報」さんに中国語版(繁体字)が掲載される予定です。
媒体の性質上、台湾の読者の方々に話しかける文体になっています。
※アイキャッチは夜の花蓮駅(撮影・青柳寧子)。

4月3日、朝。
台湾で大地震があったとのニュースが飛び込んできて、驚き、同時にとても心配でいても立ってもいられなくなりました。
すぐに成功鎮にいる友人達にLINEしたところ、大きな横揺れだったけれど怪我などの被害はないとのこと。
台東、台北、台南の人達も連絡がつきホッとしました。

しかし「花蓮最速報」に寄稿している私は花蓮が心配でした。
その後沢山の報道があり、ビルや家屋が倒壊する様子、逃げまどう人達、巨大な岩の落石、ぐにゃりと曲がった線路、そして傾いたビルに取り残された人達の様子に涙が出てきました。

私達日本人は、大きな地震の度に台湾の人達から多大な支援を受けてきました。東日本大震災の記憶が鮮烈ですが、最近の能登半島地震でも高額の寄付、そして人的な支援を頂き、台湾の皆様に深く深く感謝しています。
今こそ台湾に恩返しをしなくては…と思っている人はとても多く、実際ネットには
「あの時の御恩を忘れません」
「今御礼をしなくていつするの?」
と書き込んでいる人が沢山います。

私達は寄付をしています。怪我をされた方の回復を祈り、家屋やインフラの一日も早い復旧を願います。
日本政府には災害救助隊などの迅速な派遣を要望しています。日本はご存知の通り地震災害がとても多い国ですから、災害後の知恵や工夫、様々なノウハウがあります。それらをシェアできますように。
そして旅行などは制限されない限り、出かけようと思います。
他にもできることを探しています。
お隣に住むものとして、同じ地震国で暮らすものとして、日本にいる私達が心から心配していることを知って頂けたら嬉しいです。

前回、私と夫は台南のホステルのマネージャーの真心に触れたのをきっかけに、台湾が大好きになったと書きました。
夫は台湾華語の先生を探し、勉強をはじめました(旅行の時は英語を使うことも多いので、私は英語の担当です)。
そして年に2回は渡台し、台湾人ともっと仲良くなりたいと思うようになりました。
コロナ禍で出かけられない時期もありましたが、その間もホステルの人達とはプレゼントを贈り合ったりして、交流を続けていました。

台南のホステルB君から頂いたもの。
私達は日本のお菓子を贈りました。

昨年12月はついに台湾一周(還島)をしました。
はじめて花蓮、池上、成功、台東という東部を訪ねることが出来ました。
次回はこの旅について書きたいと思います。

池上にて
成功の漁港風景

(つづく)

連載一回目はこちら⇩


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