見出し画像

通り過ぎて見えるもの

50歳代も終盤、還暦がすぐそこに控えています。長く生きてきたと思います。ここ数年、ふと立ち止まり後ろを振り返ることが多くなりました。以前には、あまりこんなことはありませんでした。

ずっと「私は一人の時間が好き」なんて豪語していましたが、本当のところ、そんなに強くないんじゃないの? と呟く自分が出現しつつあるこの頃です。

愛知県は東三河の豊川市で生まれ育ち、20代前半で関東圏に移り自分の好きな(勝手な?)ことをし、色々な経験をした一人暮らしを経て現在の夫と一緒に暮らす様になり、転勤先の仙台で入籍し、また関東に戻り現在に至ります。

漠然とした「何か」を追いかけて来た印象があります。子供が居ないこともあるのでしょうが、これまでさして<人生のピーク>と感じる時期があったという実感が持てないでいます。子供が居たなら、この年齢でそろそろ親としての務めを果たし、さあこれからは第二の人生、自分はこれから何をしようか、などと考えたりするのでしょう。あるいは、子供が巣立ったことでぽっかりと空が開いてしまったという心理状態の人もいることでしょう。

若い頃は、ここではないどこか、今の自分ではない自分、という<もっと(もっと「何」なのかは定かではない)>を追いかけ、明日や明後日、1年後といった<未来>にばかり視力が働いていました。現在でも強弱の違いこそあれ、それは続いていると感じます。ただ、最近では後を振り返っては過去に向かっても視力を凝らすことが多くなり、そうすると通り過ぎてきた大切なものたちが輝きを増し、私にその存在をアピールしてくるのです。

その一つが<ふるさと>であり、中でも小学校のときにお世話になった一人の先生が強烈な光を放ち、もしかしたらもう手遅れなんじゃないか、という気掛かりと一緒に存在しています。

平井先生といいます。
ふるさとを離れてから、私が引っ越しをするごとに必ず一度は電話をくれ、年賀状もこれまでの何十年と欠かさずやり取りしてきました。でも、さしたる感慨もなく、「ああ、先生、お元気ですか?」みたいな何気ないやり取りで。担任をしていてくださった頃から、一度たりとも上から物を言う、ということがない先生でした。優しいとか、物分かりがいいとか、私のことを分かってくれるというものとはちょっと違い、そもそも<上下>という尺度を持たない、ご自身はもちろん他者の感性をも察知して受け止め尊重する、そんな先生の生きる姿勢が自然と私の中に映っていたと、感じられます。だからこそ、子供ながらに気負いなく、生意気にも自分が感じるままを先生に話していたのだと思います。素直な子供ではありましたが、いくら素直でも大人に向かって、それが学校の先生なら尚更、何でも思ったことをすらすら喋るほど正直ではありません。でも平井先生だけは違いました。

担任だった頃から、休みの日に先生のお宅に招かれたり、同世代の娘さんと一緒にスケートや演劇に連れて行ってくださったり、卒業してからも食事に行ったりと、現代なら問題になっていまうかもしれませんが、本当に気にかけて頂き、可愛がって頂きました。

数年前、コロナ禍に入る前年のお正月、先生から年賀状が届かないことがありました。形式的になっていたとはいえ、年一回の当たり前が突然無くなると「え?」と強い違和感が湧き、1月半ばのうちに先生に電話をしました。もうご高齢でしたし、小学生の頃の友人とは繋がりが途絶えていたので、何かあっても私のところまで知らせが届かない、と考えてしまい、無性に気になったのでした。

電話口の先生はお元気でした。
もう、歳だからこうしたやり取りを手仕舞いしようか思ったのだ、ということでした。東名のインターから近いから、一回来いよ、というお誘いを頂き、「そうだなぁ・・ふるさとの豊川をぶらぶらしつつ、先生に会いに行こうかな・・」などと考えるうちにまた年が明けコロナ禍となってしまいました。

昨年の賀状では、奥様の文字で、もう90歳を越えました、これからは失礼します、というハガキの返信がありました。さすがに、今年は出せませんでした。

本当にイージーだとは思うのですが、なぜ、先生に「来いよ」と言われたとき、もっと速やかに反応して動かなかったんだろう、と思われてなりません。今になってこんなに気になる存在の人だったなら、もっとこれまでに違う繋がり方があったんじゃないかと。先生が折々声を掛けてくれたことに対し、もっと感じ入り、レスポンスして然るべきだったんじゃないかと。

ありがちなことです。通り過ぎて初めてその大切さに気が付く。当たり前になってしまい、その大切さに無頓着になる。そんなことは自分も十分に理解しているとばかり思っていましたが、やはり、こんな風に見落としてしまうものなんですね。

じゃあ、そんな風に思いあぐねていないで、今すぐ日帰りででも行って顔を合わせてくればいいじゃないか、と言われそうです・・・実は、私もコロナ禍が落ち着いたことだし行けばいい、と考えたりもするのですが少々躊躇してしまうのは、こんな気持ちになって慌てて顔見に来ました! というのも微妙な心理が伝わってしまい、何だか失礼なのではと。先生、もういつ逝ってもおかしくないから、最後に顔見に来ました! という再会になるのもいかがかと・・・。たった今、これを書いている私では、まだそんな気持ちが強すぎる。

いえ、会いに行くつもりです。もう少しだけ今の神妙な気構えを緩め、ふるさとの実家跡、自分の出身校や街並みをぶらりとしたついでがてら、「先生、コロナも落ち着いたから、やっと顔見に来ました!」と笑って手を握れるように。

そして心から「ありがとうございます」と言いたいと思います。お恥ずかしながら、私は平井先生にこの言葉を言った記憶がないのです。



この記事が参加している募集

#忘れられない先生

4,597件

#ふるさとを語ろう

13,637件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?