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少女デブゴンへの路〈7席目〉

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  第4章 元世界

 7席目 嵐を呼ぶ里帰り

    ――パン。
 
お忙しい方も、そうでない方も、ご視聴ありがとうございます。
 前二席続けて、主人公そっちのけのお話でございましたが、この一席から、ようやく主人公のキン子に徐々に話が戻ってまいります。ラスボスは最後に出てくる。真打ちは最後に舞台に上がる。ヒーローは最後の最後には大活躍する。おいしいところを持っていくのであります。
 本当にそうか? 予定調和がそっちのけの物語でございますから、疑う向きもございましょう。それは、最後の一席まで聞いていただければ、おわかりいただけることでございます。  パン。
 では、さっそく七席目のお話を読んでまいりましょう。
  パパン!

 またもや、タマサカ先生は行き詰まっていた。
 SHK奥義を途中まで仕込んだ養成スーツで、キン子に再び強制睡眠学習させた。今回はとっても短かったから、あっという間にキン子の無意識と身体に動きが染みこんだ。
 養成スーツを脱いで、キン子がマスターした成果をみんなの前でお披露目する。
「S!」
 キン子が片足を上げて手のひらを下に両腕をハの字に高く掲げた。そこから滑らかに上げた片足を引いて、
「H!」
 手のひらを上にした片腕を前に、もう一方の腕を同じく手のひらを上に肘を曲げ、脇につけた。前にある腕を身体側に引き寄せながら、そして脇にぴったりとつけていた腕をサイドから前に出しながら、両腕を前時計回りで弧を描くように回し、
「K!」
 と叫んだ。そこで終わり。
 すごーく中途半端。どうにもスッキリしない。
「画竜点睛を欠く」
 タマサカ先生が目を閉じ腕を組む。
「デネーズ」
 キン子が強い念を込めた言葉を送ってきた。
「約束だよね」
 タマサカ先生の額をタラーリと汗が落ちる。だって夏だから暑いんだもん。
 突然、カッと目を見開いたタマサカ先生、何か思いついたらしい。
「そうだ! キン子、パン太。里帰りしよう」
 斜め上から全く脈絡のない言葉が降ってきた。何でそうなる。だって、タマサカ先生だもん。 パン。

 タマサカ先生曰く。九月から学校だ。その前にキン子やパン太がいたP世界に一度里帰りしておこう。
 キン子の両親の安否確認だってしなければ。キン子の新保護者として挨拶もしておきたい。パン太は身寄りがないが、きっと突然いなくなったパン太を心配しているであろう前奉公先の番頭さんたちに、元気な姿を見せてあげよう。
「あっ。そう言えば、お父さんとお母さんのこと、忘れてた」
 なんと、キン子は両親のことをすっかり失念していた。おいおい、普通、忘れるか。
「たぶん、向こうも忘れてるかも」
 どういう親子だ。似たもの親子か。いや、そういう問題じゃない。
 親子共々、福々として人の良さそうな見てくれに反して、心の中には殺伐を飼っているのか。領民が彼らを嫌っていたのは、その隠れた殺伐を嗅ぎ取っていたからなのか。
 いやいや、この親子、単にのほほーんとし過ぎているだけだ。だから、気配りさんじゃなくても普通に察することができるレベルの他人の事情にも、心の機微にも全然気付かない。肝腎なことも、スポーンと忘れちゃうのだ。呑気が過ぎた健忘性格とでもいおうか。まあでも、キン子はちょっと変わってきたかな。メンタルが締まってきたというか、成長したというか、学習したというか、小知恵がついてきたというか。
  パン!
 
 ……と言うわけで、さっそく里帰りの準備開始だ。
 キン子とパン太から、住んでいた村や町の話を聞き取る。そこで、子供たちがいた村と町からそう遠くないところに、細々とした道が通る山があることを知る。キン子親子が彷徨ったあの山だ。
 パン太が言った。
「一度だけど、山向こうの町に番頭さんと主任さんにお供して行ったことがあって」
 山向こうの町で開かれた布や紙の大見本市で、書籍の紙を見繕うためであった。良い紙があればできるだけたくさん買い付けるので、荷車を引く駄馬を操る先輩小僧さんと山中での用心のために警護社の警護人さんも一緒だった。

 警備の人が一緒、ちょっと物騒な感じがしますね。
 考えてみれば、あの山には、山賊は出るし、夜盗は現れるし、ぼったくり茶屋はあるし、ちょっとじゃなくて、かなり物騒だ。
「山道の途中に、ちょっと開けたところがあったんだ」
 そこは、PTAの発着にうってつけだ。
 タマサカ先生たちは、パン太の話を元に町からその山中の空き地までの方角と距離をおおよそ推測し、子供たちと遭遇した位置の座標データと照らし合わせて、発着ポイントとする空き地の座標を割り出すと、PTAナビに入力する。PWPにも、P連邦外、ほぼ未開のP世界に行くことを申告し、座標データを渡しておく。
 キン子とパン太のいた国と周辺国のおよその地図も作成する。相当アバウトではあるが、東西南北ぐらいはわかる。
「地図は、向こうで正確なものを手に入れよう」
 地球儀はあるのかな? あったらそれも欲しいな。
「チキュウギ? 鞠地図のことかな。それならあるよ。正確かどうかはわからないけど」
 子供たちのいたP世界でも、地球は丸いという認識は、とりあえずなされているらしい。
「変装用にあっちのP世界の服一式も欲しいね」
 あと、珍しい食べ物や特産品、書物なんかも欲しいな。向こうで定番のお土産品――こっちでいったら、木彫りの熊とか木刀とかタペストリーとか、そんなのもあったら欲しい。
 あらあら、タマサカ先生ったら、修学旅行じゃないんですからね。 パン。

 大人たちがP世界超えに関わる面倒くさい準備やら手続きやらをしている間に、カットちゃんがチョッキンとハサミを光らせながら、子供たちに忍び寄る。
「里帰り? じゃあ、その前に髪を切って、かわいくしておこうね」
 そう言えば、ミスター・スタンの騒ぎで子供たちのヘアカットがお流れになったままだった。
「今度こそ、ワカメちゃんカットとおさらばしよう」
 張り切るカットちゃんは、キン子は毛先をちょいと軽やかにしたマッシュルームカット、パン太はキン子と何気にお揃いで、襟足をちょいと刈上げたマッシュショートに仕上げる。ますますもって、サモ○ンキンポーと子供探偵何とかみたいだ。
 たぶん、カットちゃん、狙ってやったんでしょ。 パン。

 リビングの入り口に《会議室》という札がぶら下げられている。カーテンを引かれ、薄暗くなったにわか会議室で、キン子とパン太が壁に張られた大きな白い布――プロジェクタースクリーンの前にかしこまっている。
 ゴッちゃんがPCを操作し、プロジェクターからスクリーンにパワーポイントで作成した『キン子・パン太のP世界里帰り計画』が映し出される。
「今回の予定だが」
 タマサカ先生がポンイターをぴーと伸ばして、スクリーンを指す。
(あれ、カッコいいなぁ)
 パン太はポインターに興味津々だ。インテリとかいう感じ。キン子は……何も考えていません。だって、おいしそうじゃないんだもん。
 タマサカ先生が計画手順を説明する。 
 出発は朝食後。到着ポイントは人目を避けて山中。到着したらドローンを飛ばして町の方向を確認。
「せっかくの山だからね。ランチはピクニック気分でいこう」
 それから町へ向かって出発。町で周辺国を含めた正確な地図を手に入れる。今回の計画はそこまで。
 帰宅後に地図を元にキミン国の座標を割り出し、次回は、キン子の親戚のおじさんのいるキミン国国境のすぐ近くに着くようにする。
「親戚のおじさんのところにキン子の両親が居れば良いが、いなかったらそこから街道筋を探そう」
「ピクニックかあ」
 両親のことよりも、ピクニックの方が現在の最重要関心事であるキン子。うっとりとして、TVや動画で見た甘美なシーンを思い描く。バスケットや重箱に詰め込まれたサンドイッチ、お握り、唐揚げ、卵焼き、ブロッコリーやプチトマトの彩り豊かなサラダ、ウサギさんリンゴ、お芋や人参や椎茸の煮物、お菓子もたくさん……じゅるり。
 ゴッちゃんが「いつかキャンプにも行こう」と言ったので、パン太が「わぁっ」と歓声を上げた。ディスカバリーチャンネルで見たアドベンチャー番組のキャンプシーンが浮かぶ。沢で魚を釣ったり、焚き火をおこしたり、それから、キャンプファイヤーで手を繋いで踊るんだ。格好いい。楽しそう。目をキラキラさせるパン太。
 その横で、キン子が(そして、美味しそう)と口元を拭った。串に刺した肉の塊がジュージューと肉汁をしたたらせ、焚き火であぶられている映像が頭の中を駆け巡る。香ばしい匂いまでしてきそうだ。はぁ~堪らない。
 今回の計画で使用するPTAの車種は、バンタイプのPMWだ。ピクニックグッズを詰め込めるようにね。
「PWPの護送車に同じタイプのがあるけど、中の仕様は別だから気にしないでネ」
 護送車って何だっけ? 悪い人を運ぶ車じゃなかったっけ? えええ⁉
 気にするなといわれても、ちょっぴり気になる子供たちであった。
  パパン。

 当日の朝、みんなでバン型PMWに荷物を詰め込む。お菓子、ドリンク、お握りにサンドイッチ、唐揚げ、卵焼き……ピクニック定番メニューがぎっしり詰め込まれたバスケットとタッパー。そうそうレジャーシートと虫除けスプレーも忘れずに。
「四足荷物運搬機も載せなくちゃ。毛皮付き外カバーを被せてロバに偽装したんだ。初出動だヨ」
 タマサカ先生、ウキウキだ。
「このコのネーミングは何にしようかな。ポニーちゃんなんてどう? ロバでポニーはないだろうって? うーん……」
 相変わらずネーミングセンスがズレているタマサカ先生であった。
 余談ですが、なぜこのロバもどきを持っていくかといいますと、山中に行くからである。車もバイクも入れない山道であっても、四つ足の動物なら歩けることが多い。
 災害時に、車もバイクも通れない急斜面の細道を馬に救援物資を積んで運んだなんて話もあるんですよ。電波中継所がやられて携帯電話が繋がらないときでもアナログ公衆電話が使えたり、TVがなくても映らなくても、小型ラジオなら情報がキャッチできたりとか、ネットが繋がらないときはFAXとか――誤送信が怖いですけどね――アナログ機器が災害時に大活躍ってことがありますからね。馬。もう機器ですらない。生きる車両、究極のアナログでございます。 パン。

 準備万端整って、いよいよ出発だ。
「忘れ物はないか」
 ゴッちゃんが搭乗者に確認する。
「OK! 無問題!」
 タマサカ先生、キン子、パン太、そしてカットちゃんが拳を突き上げて答える。あれ? カットちゃんも行くの? だって、暇だったから。それに
「ふふふ。万能ばさみも持ったよ。山道で邪魔な枝を切ったりもできるし、ロープも切れるだから」
 万能ばさみは、カットちゃんが最近手に入れたばかりの自慢の一品である。現在、カットちゃん一番のお気に入りだ。これを活躍させる場が欲しかったのである。
 ほかのタマサカ家メンツはというと、アイン君が「ご飯の支度とか、鬼の居ぬ間のお洗濯とかあるから行かない」、カブ師匠が「ケーブルTVで『裏山のキンコン』一挙放送やってんだよ」、ソンタ君は……寝ていた。
 ところで、カブ師匠が見ている「裏山のキンコン」という番組、気になりません?
 このドラマの主人公の小江戸奉行所長である金山紺太郎が、長屋の裏山に住むニートのキンコンに扮して変装捜査、ブラック奉公殺人やら米寄こせ詐欺やら、赤ちゃん取違えに見せかけた誘拐やら、様々な事件をスカッと解決する異P世界時代劇である。
 このドラマの定番の見せ場は、二場面ある。一つ目はキンコンが諸肌脱いで、背中に彫られた砂かけ婆(ばばあ)が砂をぶわっとばらまいている入れ墨を見せて、悪党どもとアクションするところ。二つ目は悪党どもが捕まって、取調室で駄々こねたり、しらを切ったりすると、金山所長が諸肌脱いで「この砂嵐が目には入れねぇか! てめえらの悪事はこの砂かけ婆が全部見てるんだぜ」と啖呵を切るところである。
 カブ師匠は、こういうドラマが大好きだ。
 ほかに「ういろう副司令」もカブ師匠のお気に入りである。天下の副司令と言われる銀河連邦司令官の祖父が、諸惑星漫遊の旅で出くわした悪党に「このういろうが目に入らないか!」と叫んで、ういろうを投げて目潰し。悪党がひるんだ隙にオカさんとオトさんというお守り役が成敗するというドラマである。
 要するに、啖呵切りドラマが好きなんである。
  パン。

 横道から本筋に戻りましょう。
 さて、キン子パン太P世界――略してキンパンP世界里帰り隊が乗ったバンタイプPMWが発進する。例のごとく三メートルの助走の後、PMWは、ひょんと消えて亜空間に突入。
 亜空間に入った途端、一行は直ぐさま宴会モードに入る。持ち込んだお菓子をムシャムシャ、パクパク。タマサカ先生が食べ物が入ったバスケットやら袋やらを盛んにガサガサ探っている。
「ねえ、サツマイモはないの?」
「ありません」
 ゴッちゃんが冷たく言い放つ。
「えーっ」
 口をとがらすタマサカ先生に、キン子が「またプーされたら困るもん」。パン太が「亜空間でプーなんて、逃げ場がないから」。そして、子供たちは顔を見合わせて「ねー」っとする。カットちゃんはハサミを鼻の下に当てて「ペっ」とする。
 タマサカ先生は「ぺ」じゃなくて「へ」だよと減らず口を叩くが、声が小さい。声が小さいのはバツが悪いから。わかってはいるんです。サツマイモを食べ過ぎるとプーが出ちゃうって。そんでもって臭いって。 パン……。

 護送車仕様……じゃなかったバンタイプPMWは、亜空間から狙い通りキンパンP世界の山中にある空き地にポンと出た。
 天気も上々、青空が広がっている。ラッキー。さっそくドローンを飛ばして方向確認だ。このドローンには、鷹を模した外カバーを被せてある。
 町は、予想とそう外れていない方向と距離にあった。
「これなら計画通りのタイムスケジュールでいけそうだネ」
 タマサカ先生が満足そうに言った。
「じゃあ、ちょっと早いけど、お昼ご飯にしようか」
 ゴッちゃんが木陰にレジャーシートを広げた。
「わーい」
 歓声を上げて子供たちは、いそいそとゴッちゃんを手伝う。
 レジャーシートいっぱいにピクニックのご馳走が並ぶ。
 一同、ちゃんと手を合わせて、食べ物を育んだ自然と、菜園のお手入れをしたゴッちゃんやカブ師匠、カットちゃん、ご馳走を作ってくれたアイン君、いつもそんな皆を応援してくれるソンタ君、それからついでにタマサカ先生にも感謝して
「いただきまーす」
 もぐもぐ、ばくばく、がつがつと食べ始める。
「外で食べるのって、楽しいね」
 パン太がニコニコしながらお握りの天辺を食(は)むっとする。
「確かに。同じものなのに、いつもより美味しく感じるし」
 カットちゃんがエナジードリンクを勢い良く啜る。
「うん。オイシイ。どんどん食べれちゃうよ」
 キン子が片手にお握り、片手にサンドイッチのオオタニ流……じゃなかった、二刀流でそれを交互にパクつく。その勇姿は、食いしん坊界のオオタニ! あ、オオタニ知らない? ハイ、お約束のスルー。
  パン。
 
 ランチの後は、ちょっとお昼寝。子供と前期高齢者には、食後にお休みが必要だ。
 防犯のため、鷹偽装ドローンを監視カメラ付き警報器に設定変更して車の上に置いて、みな思い思いの場所でお昼寝だ。レジャーシートの上にはゴッちゃんと子供たち、車の中にはタマサカ先生とカットちゃんが寝転がる。呑気なもんだ。 パァ~ン……。

 一眠りした後は、いよいよ町へ向かって出発だ。
 四足荷物運搬機――仮名『ロバなのにポニーちゃん』を車から降ろして起動、飲み物や念のための非常食、迷ったときのためのドローン、町に出たら異P世界の服装を隠すために羽織る薄手のマントなどを載せる。
「キックボードも持ってきたから載せよう。山の中じゃ役に立たないが、平地に出たらきっと役に立つヨ」
 タマサカ先生、そんなものまで持ってきたのか。
「キックボードは町の中じゃ、目立つよ」
 ここにはないものだから。パン太の指摘にタマサカ先生
「がーん」
 そんなことも気付かなかったんですかね。いい歳の大人で学者先生なのに。
「はぁ……。山中でも平地でも、ずっと歩きか」
 荷造りが終ると、ゴッちゃんがカモフラージュのため車に迷彩シートを被せた。カットちゃんは車の中だ。臨時の自宅……もとい自車警備員である。要するにお留守番だ。カットちゃんの姿は、このP世界ではキックボード以上に異様だ。人目のあるところを出歩いたらヤバい、ヤバい。
 準備万端、気を取り直したタマサカ先生、先陣を切って「しゅっぱーつ、進行!」元気に足を踏み出した……途端に、ギクリ。
「いてててて」
 足をくじいた。もう一歩目で。
「とほほほほ」
 そして気持ちもくじけた。
 足をくじいて、気持ちもくじいたタマサカ先生を仮名ポニーちゃんに乗せる。これで甲冑でも着ていたら、某P世界某国のディスカウントショップの名前の人みたいだ。ドンキなんちゃらっていう。 パン!

 さあ、気を取り直して、今度こそ、いざ、出発!
 るんるんとハイキング気分のパン太とキン子の後から、タマサカ先生の乗った擬態ロバの手綱を引いたゴッちゃんが歩いて行く。
 ん? 何だろう。この絵面。今度は、某P世界の超有名古典ファンタジーみたいだぞ。ちっちゃいメガネザル、健康優良児な子豚、どすこい熊河童、正体龍神息子の白馬ならぬ正体メカの擬態ロバ、それに跨がる高僧ならぬファニー・サイエンティスト。ぷっ。……おっと、これはおならじゃないですよ。ぷぷぷ、くくく……。 パン。パン。
 
 車中にひとり残ったカットちゃんは、退屈だった。
「せっかく万能ハサミ持ってきたのに、出番なしか。つまんない」
 暇だったからくっ付いてきたのに、やっぱり暇になってしまった。
 仕方なくタブレットにダウンロードしておいた映画を見始めた。大好きなデニー・ジップ主演のシーザーマンも、もちろん入っている。
 両手がハサミになっているシーザーマンと呼ばれるホームレスの男。そんな手では仕事にも就けず、残飯も漁れない。仕方なく床屋に行く金もないホームレスたちの髪を切って、残飯弁当のお裾分けしてもらって生き延びている。ある日、シーザーマンは、ホームレスたちの集落に迷い込んだ盲目の少女を助ける。シーザーマンと少女の間に芽生えるほのかな恋心。ホームレス狩りの不良たちや仲間のホームレスたち、シーザーマンの過去も絡んで、泣いたり笑ったり、戦ったり――。ハサミ手であるがゆえの苦悩、絶望、哀しみ、憎しみ。そして希望……。
 カットちゃんのために作られたドラマのようだ。いつ見ても泣ける。
 本命は後からのお楽しみでとっておいて、まずはネズミーのファンタジーアニメを見始めた。ところが、すぐに一人で画面を見つめているのがつまらなくなった。
「もういいや」
 タブレットの電源を落とすと、自分も睡眠モードに入った。退屈なときは寝るに限る。後部座席をバタンと後に倒し、おやすみなさい。
  パーン。

 さて。時間は戻って、キンパン里帰り隊一行のピクニック――もとい里帰りの前日である。キンパンの元世界では、思わぬ先客が思わぬところで思わぬ目に遭っていた。 パン。

 全身を荒縄でぎっちり縛り上げられ、ミスター・スタンは、奉行所の土間に転がされていた。
「絶対、この面は賞金首だと思ったんだけどねぇ」
 ミスター・スタンを見下ろして姐さんが残念がると、舎弟どもも、うんうんと頷いた。
「面構えが面構えだからな。でも賞金首録には載ってないぞ」
 お役人が帳面をめくりながら答えた。
「確かにアタシらが持ってるデータにもなかったんだけど……ま、どっちにしろ饅頭泥棒だし」
 姐さんがミスター・スタンを足先で小突いた。痛い、やめてと無体な姐さんに懇願しながら、ミスター・スタンは
(どうしてこんな目に……)
 己の運の悪さを嘆いていた。
 さてはて。一体どうして、ミスター・スタンはこんなことになったのか。
  パン!

 遡ること一日半前――。
 個人タクシーの運転手が、空のタッパーを抱えて力なく後部座席に座るミスター・スタンに言った。
「そこでよければ、お連れしますよ」
「そうか。思い当たるところがあるか……だが、残念だ。金がない」
 着の身着のままだからな。暗い声で応えるミスター・スタン。
「お金と身の回りの物を取りに一端戻ります?」
「冗談じゃない」
 ミスター・スタンは身震いする。
「第一、家に帰っても本当に金がない」
 国を出るとき、どさくさで何とか持ち出した外貨は、ここのP世界の通貨に換金したが、もう僅かしか残ってない。例の黄金の翼のオング衣装は、このP世界に密入境するときに業者への手数料と必要経費に消えた。あの古い洋館も彼らに手配してもらったものだ。
「あんパン一個買ったらもう終わりだ。あとは何の価値もないスタン通貨だけだ」
 子供のおもちゃ紙幣より価値がないぞ。それならわんさか、腐るほどあるぞ。ミスター・スタンは暗い顔で自嘲した。
「いや。スタン通貨、結構、価値ありますよ」
「何を言う。我輩の元P世界でだって、もう流通していないんだぞ」
「いやいや、そういうのを好んで収集しているマニアがいるんですよ。むしろスタン通貨、希少価値だっていうんで、最近、人気なんです」
 えっ。そうなの。知らなかった。 パン。

「じゃあ、こうしましょう」
 運転手がミスター・スタンに提案するには、まずミスター・スタンを彼のことを誰も知らないP世界連邦外のP世界に運ぶ。それから運転手がこのP世界に戻って、ミスター・スタンの家に行き、金品など必要なものを持ち出す。
「それから、コイン商のところでスタン通貨を金(きん)に替えましょう。金なら融通が利きますからね」
 金本位のP世界は、P世界連邦加盟P世界にしろ未加盟P世界にしろ、なぜか多いのだ。P世界が変わっても人類が考えることはそう違いがないということなのだろうか。
「私は、そこから相応の運賃と手数料をいただきます」
 大丈夫、ぼったくりませんよ。
「必要なら、また業者さんにも連絡します?」
 業者さんというのは、P世界密入境ブローカー、つまりフィッシュヘッドのことだ。
「やっぱり餅は餅屋ですからね。身分や住まいなどは、私では手配できませんから」
 それもそうだなと、ミスター・スタンが肯く。先ほどとは打って変わって、目に力が戻ってきた。
「じゃあ、それで手配を頼む。とりあえずは、アンタが思い当たる場所に運んでくれ」
「承りました」
 運転手が応えると同時に、タクシーは、ひゅんと道から姿を消した。 パン!

「着きましたよ、お客さん」
 ミスター・スタンが乗ったタクシーが亜空間を抜けて出たのは、どことも知れぬ山中の、うっそうとした雑木林の中にぽかりとある空き地だ。きっと上空から見たら山の十円ハゲみたいに見えるだろう。ここは自然にそうなったのか、人為的に設けられたのかは不明だが、人知れずPTAの発着をさせるにはおあつらえ向きではあった。
 外に出てみると、どうやら早朝であるらしい。あちらのP世界を出てくるときは昼頃だったはずだ。
「あれ? また時間軸設定間違えちゃったかな……」
 運転手が周囲を見渡しながら、少々不安になるようなことをぶつぶつと言っているのが聞こえた。
 自分で迂闊なことを言ったと思ったのだろう。あっという顔を一瞬して、運転手はミスター・スタンに向かって爽やかに微笑むと
「こっちは、朝ですけど、この程度の時差は、P世界越えではよくある話なんでね」
 問われてもいないのに、自主的に言い訳をする。
 それから、ちょっと顔を引き締めて
「ええと、確認しますね」
 ミスター・スタンから渡されたメモを読み上げる。
 スタン紙幣に貨幣、着替えに、タオルに洗面道具一式、サングラスとスマホと……
「スマホはP世界が違うと使えないんだけどなぁ」
「待ち受けが詩々緒ししおちゃんなんだ」
「へえ、ああいう強面こわもてがタイプなんですか」
 詩々緒というのは、モデル上がりの女優でエキゾチックなスレンダー長身美女だ。キツめの顔立ちと強気の発言から、強面アイドルの異名をとる。格闘技有段者で腕っ節も強い。クラブで絡んできた「ヤ」のつく人を叩きのめして警察に突き出したという武勇伝がある。本当に強面である。
 車に戻った運転手は、
「じゃあ、このリストのお荷物を持ってきますから、それまでここで待っててくださいね……あっ、そうだ」
 とダッシュボードを漁る。
「念のためにこれ、持っててください」
 ミスター・スタンに大きめのバリカンのような黒光りするものを渡した。スタンガンである。
 そして、絶対、絶対、勝手に動かないでくださいよ、これまでのP世界と勝手が違うんですからと、くどく念押しして、つい先ほどまでミスター・スタンが住んでいたP世界へと戻っていった。
  パン。

 ひとり山中に取り残されたミスター・スタンは、木の根元にポツネンと座って、運転手の帰りを待った。
 到着したときは陽の位置はまだ低く、空き地に届く日差しは木々の間から差し込む数本の光の線だけだったが、今では木立の上に上り詰めた太陽から空き地にまんべんなく陽が注ぐ。
(まぶしい。暑い)
 日差しを避けて、彼は空き地の反対側にある木の根元に移動した。
(早く戻ってこんかな)
 やがて彼は、モジモジし始めた。小用を足したくなったのだ。
 木立の中に少し踏み込んで、適当な木の根元で用を足す。空き地には誰もいなかったが、こういうときには隠れたくなっちゃうのが人間の心理である。
「喉が渇いたな。腹も減ってきた」
 用を足して落ち着くと、今度は渇きを覚えた。何しろ、辛くて濃い味のタンドリーチキンを二枚食っただけである。水分は全然補給していない。
「こんなに時間がかかるなら、水ぐらい置いていってくれたらいいのに」
 気が利かないヤツだ。そもそも、ちょっと待ての「ちょっと」って、どのぐらいだ。全然、ちょっとじゃないじゃないか。
 ブツブツと一人文句を言いながら、ミスター・スタンは、その辺に水場はないかと、好き勝手に張り巡らされた枝葉をかき分けて木立の奥を覗き込んだ。
 すると、同じように枝葉を手でかき分けた格好で、むさ苦しい三つの顔が目の前に出て来た。
 ミスター・スタンには初見の顔、でも、皆様は初見ではございません。このP世界の前出の三人組と言えば、キン子を掠ったあの三人組でございます。 パパン。

 一人と三人は、しばし、黙って見つめ合った。
「……」
 あんまり仰天しすぎると、逆に声が出ないもんである。
「……えっと」
 三つの顔の真ん中がようやく声を出した。だが、その後が続かないらしく左右の顔に視線を送る。左側の顔が「やっぱり、決まり文句じゃねぇ」、右の顔が「そこから始めないと、仕事にならんべや」。真ん中の顔は「やっぱ、それか」頷くと、ミスター・スタンに向かって
「やい、金を出せ」
 すごみを利かせてそう言った。
「金? ないぞ」
 状況が把握できていないのか、はたまた開き直ったのか、ミスター・スタンがキョトンとして応えた。
 あまりのキョトンぶりに、今度は三つの顔がキョトンとした。再び顔を見合わせる。
 左の顔が
「じゃあ、身ぐるみ置いていけ」
 と、ミスター・スタンに命じた。すると、右の顔が
「ちょっと待った。こいつの服、変じゃねぇ」
 真ん中が
「古着屋に持ってったって、売れねえだろ、これは」
「じゃあ、人買いブローカーのところ」
 左が言う。
「こういうくたびれてむさ苦しいオジサンは、買い叩かれるんだよな」真ん中がため息を吐く。
「人肉ラーメン屋に売る? 肉は硬くて不味そうだけど、出汁だしにはなんべ」右が言う。
「やっぱ、それしかないか」三人揃って頷いた。
「じゃあ」と真ん中が掛け声を掛けると、三人一斉に枝葉に隠れていた全身を現した。
 現れた三人は、明らかにミスター・スタンとは違うファッションセンスの衣服を身に着けている。そして、手を懐に忍ばせると匕首を取り出した。
 それを見た瞬間、ミスター・スタンは、バネ仕掛けの人形のように飛び跳ねて一目散に逃げ出した。
(強盗? 追い剥ぎ? 人殺し?)
 とにかくヤバい。ようやく身の危険を察知したニブチンのミスター・スタンは、木立の中に駆け込んだ。自在勝手に伸びる木の枝に手足や顔が当たろうが、髪に蜘蛛の巣が巻き付こうが、構ってられるものかと、闇雲に走る。
 すると、元いた空き地にポンと出た。空き地には誰もいない。まだタクシーは戻ってきていない。後からは、三人組が追いかけてくる。ミスター・スタンは、空き地をぶっちぎり、反対側の木立に突進した。雑にみっしりと枝葉が生い茂った空間に、見境なく勢いのまま突っ込んだものだから、彼は木の枝が額がぶつかって、「痛いっ」と尻餅をついた。
 その時、彼のポケットから大きめのバリカンのような黒鉄の物体が落っこちた。しかし、動転していた彼はそれに気付かず、四つん這いのまま、フルスピードで雑木の茂みにガサモサと消えていった。 パン。

 ミスター・スタンたら、随分と間抜けでございますねぇ。スタンガンで三人組を撃退したら良かったのに。使うことなく、その存在を思い出すことすらなく、落っことしちゃった。腹が乾いていて、腹も減っていて、思考力が低下していたんでしょうね。いや、やっぱり筋金入りで運が悪いのか。よじれているのか。
 よじれ運。新語として流行らせたいなぁなんて思ってるんですけど……あっ、すみません。余談すぎましてございます。
 おっほん。気を引き締めて、先を読みましょう。
  パン!

 三人組に追われて、後先考えずに山中に逃げ込んだミスター・スタンは、ものの見事に迷った。自分が今どこにいるか、すぐにわからなくなった。迷うも何も全然知らない場所である。最初からどこにいるのかわからなかったといったほうが正しい。
 うっそうとした森の中を彷徨うミスター・スタン。どのくらい歩いたのだろうか。木々の間から僅かに差し込んでいた光が黄みを帯びながら段々と弱くなってくる。どこからか微かに水音がする。沢があるらしい。水音のする方へ、えっちら、おっちら、進んでいく。
 ほどなくして立ち塞がる木々が途切れて、岩や石が散らばる沢岸に出た。幸いにも沢の水は澄んでおり、ずっと飲まず食わずだったミスター・スタンは、沢に直接口をつけて、貪るように水を飲んだ。
 一息ついたミスター・スタンが顔を上げたときには、もう周囲は薄闇に沈みかけていた。彼は沢近くの緩やかな斜面を昇り、大きな木の根元に腰掛けた。闇はいよいよ濃くなり、すぐに自分の手もわからないほど真っ暗になった。疲れ果てていたミスター・スタンは、深い闇に恐れも不安も抱く間もなく、そのまま意識も闇に沈んだ。 パン……。

 鳥のさえずり、流れる水の音、目蓋を通して白い光を感じる。沈んでいた意識が次第に外界に浮上していく。
(どこだっけ)
 目を開けたミスター・スタンは、自分の置かれている状況をすぐには理解できなかった。なぜ、こんなところにいるのかも思い出せず、しばらく呆けていた。
 ――ぐーぎゅるぎゅるぎゅる。
 腹が鳴った。
(腹を壊している?)
 一寸そう思ってから
「違う。腹が減ったんだ」
 空腹に気が付いた途端、ミスター・スタンの意識が全覚醒した。何か食わねば死ぬ。
 よろよろとミスター・スタンは立ち上がり、沢に沿って下流の方向に歩き出した。子供の頃、ボーイスカウト活動をしていたことがある。そのとき、山中で道に迷ったら川や沢を探せ、そして水の流れていく方に歩いて行けと教わったことを思い出したのだ。水の流れる先に人里があるのだと。
 沢の音を頼りに森の中を歩く。しばらくすると、急斜面に出て、沢に沿って歩いて行くことが困難になった。できるだけ沢から離れないように急斜面を外して、歩けるところを探して歩く。そうこうしているうちに、沢の音が聞こえなくなった。仕方なく、森の斜面が下っていく方向に歩き続けた。
 どのくらい歩いただろうか。途中で拾った木の枝を杖代わりにして、ようやくとミスター・スタンは足を運んでいた。
(もう駄目だ)
 がっくりと膝をつきそうになったとき、目の前の木立が薄くなっていることに気が付いた。
(明るい?)
 この先に木立が切れた場所があるのだ。人里に出たのか。
 ミスター・スタンは最後の力を振り絞って、木々をかき分けて行った。すると――
  パン!

 森が開けた。そしてその先に一軒の茶屋があった。そこから蒸した饅頭の良い匂いが漂ってくる。まるで夢遊病者のようにミスター・スタンは、店先に盛られたほかほかの饅頭に引き寄せられていく。
 ――がっ。
 饅頭をむんずと掴むと、ミスター・スタンは口に押し込んだ。がつがつ、むしゃむしゃ、もぐもぐ……ごっくん。がっ。ばくばく、はくはく、もりもり……ごっくん。饅頭の山がみるみる崩れていく。
「うっ」
 突然、ミスター・スタンがうずくまり、目を白黒させて胸をドンドンと叩き出した。あまりに急いて饅頭を貪るから、喉を詰まらせたのだ。
「誰だい。勝手に売りもんの饅頭を食ってる奴は」
 頭の上から女の声が降ってきた。
「ぐっ」
 更に喉を詰まらせるミスター・スタン。顔面蒼白にしてひっくり返った。
 続けて女の背後からバラバラと強面の軍団が現れた。詰まらせた饅頭で酸欠状態のミスター・スタンの頭の中に黄色地に黒で「」と描かれた危険警告の看板が点滅する。身を守ろうとする本能が、彼の手を無意識にズボンのポケットに導く。が、
(ない!)
 頼みのスタンガンがなーい‼ 
 今回は、スタンガンのことをちゃんと思い出したが、もう後の祭り。落っことしちゃってるんだから。
  パパン!

 そして、こうなった。奉行所の土間に全身荒縄でふん縛られて転がされているというわけである。
「く、食い逃げではない」
 ミスター・スタンは役人に訴えた。
「代金は連れが払う。今、金を取りに行っているのだ」
 姐さんがふんと嗤って
「連れって、アンタ一人しかいなかったじゃないか」
「ほ、本当だ。連れを待っているときに山賊らしき輩(やから)に襲われて、逃げてるうちに道に迷ったのだっ。元いた場所に行けば、連れが来る。いや、もう来てるはずだっ」
 必死で訴えるミスター・スタン。やれやれと役人が首を振った。こういう言い訳するヤツって多いんだよね、という顔だ。
「元の場所ってどこなんだい。連れって誰だい。え? 適当なほら吹いてんじゃないよ」
 姐さんも呆れ顔だ。後に控えている強面さんたちも鼻を鳴らして嗤う。
「あの山の中にある沢の、たぶん上流の方に森が途切れたような空き地があるのだ。ちょうどあの庭ぐらいの広さの」
 ミスター・スタンは、顎で奉行所の案外広い中庭を示した。姐さんが「おやっ?」という顔をする。思い当たる節でもあるようだ。
「つ、連れは……異国の人間で……異国の通貨しかなかったから……」
 ミスター・スタンは窮した。P世界のことを話すわけにはいかない。話したとしても、信じてはもらえないだろう。逆にほら吹き確定だ。
「ふうん……」
 姐さんが腕組みして、ミスター・スタンを見下ろす。何を考えているのか。
  パン!

「おい、もたもたすんな」
 強面さんたちにどつかれながら、ミスター・スタンは山中を歩いていた。相変わらず上半身はガチガチにふん縛られている。
(どうなるんだ我輩)
 ミスター・スタンをとっ捕まえた茶屋の連中は、今度は彼をどついて例の空き地に案内させようとしている。
(案内しろったって、わかるわけないじゃないか)
 どこをどう歩いて来たかなんてわからない。完全に迷子だったんだから。とりあえず、沢を目指して歩いている風を装っている。
 よたよた歩いているミスター・スタンの後ろ姿を眺めながら、姐さんは考えていた。
(よく見れば服装がこことは違うんだよね。もしかすると、もしかするかもね)
 ここの連中ではわからないだろうけれど、コイツはここの人間ではないかもしれない。だとすると、コイツの言うツレというのは……。
「あのう」
 ミスター・スタンが足をもじもじさせながら、恐る恐るといった態で口を開いた。
「ち、ちょっと小用を足したいのだが」
「小用?」
 額の両脇にそり込みの入った強面さんの一人が片眉を上げた。
「小便ってことだよ」
 別の強面さんがそり込みの強面さんに教えてやる。そして、おっさん何気取ってんだよと笑った。
「しょうがねーな」
 そり込みの強面さんがミスター・スタンを木陰に連れて行く。縄を解き
「さっさとしろよ」
 縛られて硬直した腕を二、三回摩ると、ミスター・スタンは木の根に向かって放尿し始めた……が。突如、くるりと振り返り、背後にいたそり込み強面の顔面に小便を浴びせかけた。
 何だこれ。既視感があるぞ。どっかで誰かが同じ手口を使っていたような……。
「ぶはっ!」
 そり込みの強面さんがひるんだ隙に、ミスター・スタンは駆け出した。それはもう脱兎のごとく。黒いもじゃもじゃの毛玉が坂道を転がるがごとく、手足をフル回転させて走る走る。そして、あっという間に森の中に消えていった。 パン‼

 逃げ出したはいいが、どこをどう逃げていったらいいかわからない。ともかく、あのおっかない茶屋の連中から遠く離れよう。それだけを考えて、ミスター・スタンは山中を必死で歩いた。
 やがて日が暮れた。またしても野宿だ。疲れた体を大きな木の根元に横たえる。
 疲れ果てているのに不安でなかなか寝付けない。涙が出そうになった。だが、涙は出てこなかった。疲れすぎていると感覚が麻痺するのか。哀しいが泣けない。不安でたまらないが絶望できない。ミスター・スタンは体を丸めた。このまま、もう闇に溶け込んでしまいたかった。 パンン……。

 まぶしさに、彼は目を開いた。木立の隙間から朝日が真っ直ぐにミスター・スタンの顔を照らしていた。眠れなかったはずなのに、いつの間にか寝入っていたらしい。
 最後の力を振り絞って、ミスター・スタンは立ち上がった。夕べは気が付かなかったが、この辺りは森の斜面の傾斜が随分と緩くなっている。里に近いのだろうか。
 ふらふらと数歩歩むと、突然、目の前が開けた。
「へっ?」
 見知った場所だった。
「何てこった」
 知らず知らず、例の空き地のすぐ近くまで来ていたのだ。
 木陰からそっと空き地を覗く。静かだ。誰もいない。個人タクシーの運転手の姿もない。
「……まだ戻ってきていないのか」
 それとも、戻ってきたらミスター・スタンの姿が見えないので探しているのか。
「とりあえず、動かずに待っているしかないか」
 運転手が来たらすぐにわかるように空き地の方を向いて、木陰に座った。
(まぶしい。暑い)
 時間が経つごとに日差しが強くなってくる。ミスター・スタンは、またしても無意識に日差しを避けてようと、座っていた木の根元をぐるりと空き地と反対側の木々が生い茂る側へと移動した。
 強い日差しから逃れてほっとしたところで、ミスター・スタンは、こっくりこっくりと船を漕ぎ出した。チイッという小鳥の高い声に、彼は、はっとする。
(いかん、いかん)
 これでは、個人タクシーの運転手が戻ってきても気が付かない。ヤツからも見落とされるかも知れない。ミスター・スタンは、日陰を求めて移動することにした。
 彼がよっこいしょと立ち上がったその時、背後からざわめきを感じた。人の話し声がする。大人と子供、複数の声だ。
 とっさに木の陰に隠れ、そっと空き地を覗き見る。バンが停まっていて、そこから荷物を降ろしている人たちの背中が見えた。
(ピクニックか?)
 ここ、人が来ないようなところじゃなかったのか? いや、追い剥ぎには遭ったぞ。そんな物騒なところで何と呑気な連中だ。それにしても、どこかで見覚えがあるような後ろ姿だが……。
 ピクニック客風の人たちが、こちらを向いた。その顔を見て、彼は驚愕した。
ええええっー‼
 心の中で大絶叫する。
  パパン、パン‼

「木陰にシートを敷こう」
 前期高齢者のマッド・サイエンティスト――自称ファニー・サイエンティスト――がこちらの方を指さす。すると、レジャーシートを抱えたU字ヘアーの巨体がのっしのっしとこっちへ向かってくる。後から子豚のような子供とメガネザルのような子供がバスケットやら水筒やらを手にスキップしてくる。ハサミをチャキチャキさせているロボットまでいる。つい先日までの隣人、タマサカ家の一行であった。
(や、やばい)
 誰にも見つかりたくないが、特にあいつらには、どうしたって見つかるわけにはいかない。とにかく逃げねばと、ミスター・スタンは一目散に森の奥深くに駆け込もうとした――ところではたと立ち止まった。
 また山中をさまよい歩くのはごめんである。身を低くして、空き地が辛うじて見えるぐらいのところまでそろそろと奥に進むと、空き地からの距離はそのままに、今度は数メートル横にズレ進む。
 座り心地の良さそうな木の根元に腰を下ろして、賑々しくはしゃぎ回る連中を固唾を呑んで見張る。むしゃむしゃと飲み食いするのを唾を呑み込んで見張る。
 ミスター・スタンは、しばらくタマサカ一行の様子を伺っていたが、そのうち退屈になってきた。瞼が重くなってきて、うつらうつらと船を漕ぎ出した。
 はっと気が付くと、周囲が静かになっている。つーと垂れていた涎を慌てて手の甲で拭う。空き地の方へ目をこらすと、シートの上で巨体と子供たちが寝ていた。
(腹一杯食べて、昼寝か。ちくしょー)
 腹が立ってきた。
(スタンガンがあったら、一泡吹かせてやれるものを)
 無念に歯がみしながら、呑気に寝転けている連中を見ているうちに、ミスター・スタンにも再び眠気が忍び寄る。
 ガサガサと梢が揺れる音で、またしてもはっと気が付いたミスター・スタン。小鳥が数羽、頭上の枝から飛び立てって行くのが見えた。
 すっかり寝込んでいたらしい。周囲はシーンと静かなままだ。空き地の様子を伺うと、
(はて?)
 タマサカ一行の姿がない。帰ったのだろうか。
 ミスター・スタンは、立ち上がると、恐る恐る空き地の方に向かおうとして何かに蹴つまづいた。足元を見ると
「おお、こんなところに落としていたのか」
 個人タクシーの運転手から護身用に渡されて、ズボンのポケットに仕舞っておいたはずのスタンガンだ。
 天敵――タマサカ一行はいない。なくしたはずの身を守る武器が見つかった。何という幸運。天は我輩を見捨てていなかったと、彼は心の中で喝采した。
 個人タクシーの運転手は、まだ戻ってきていないようだ。もしかして、ミスター・スタンが離れていた間に来て、またどこかへ行ったのかもしれない。ミスター・スタンがいなかったから探しているのかも。
 もしそうなら、何か目印でも残しておいてくれているかと、彼は周囲をぐるりと見渡した。すると、空き地の隅に迷彩のカモフラージュシートがかけられた物体があった。
「もしかして、あのバンか」
 形状がそうだ。するとタマサカ一行の車か。とすれば
「PTAだ」
 ミスター・スタンは、シートの端をそっとめくった。それこそ衣擦れの一つもさせないようにそぉっと。やはりタマサカ一行の車だ。
(誰かいたら、このスタンガンで……)
 スタンガンを握りしめ、車中を覗く。人の気配が全くない。無駄と知りつつ、助手席のドアに手をかけた。当然、ロックされているはずだ。ところが
  ――パン‼

開いたー‼
 ゴッちゃん、痛恨のロックかけ忘れ。信じられない。たぶん、カットちゃんをお留守番に残してたので油断したんでしょう。でも掛けとけよ鍵。カットちゃんもカットちゃんです。内側から鍵掛けとけよってもんです。全然、自車警備員じゃないっつうの。まったくもう。
 こそっと助手席に入り込むミスター・スタン。誰も居ないけれど、なぜかこそこそしてしまう人間の心理。特に悪いことをしているという自覚がある場合はね。
 ドリンクホルダーに置きっぱなされていた飲みかけの缶コーヒーに気付くと、腹ぺこの彼は、それを一気にあおった。甘いカフェオレであった。
(旨い)
 甘いコーヒーを飲むのは、何年ぶりだろう。懐かしさと今の我が身の惨めさに、彼の目に涙がうっすらと浮かんだ。目元を手で覆い、背もたれにぐったりと体を預けた。今、彼が座っているのは、固く冷たい木の根本や土間ではない。ほど良い弾力と柔らかさのある車のシートだ。思わず小さな安堵のため息が漏れた。
 ちょっと休もう。もはや精根尽き果てていたミスター・スタンは、シートに身体も心もすっかり預けきって、目を閉じた。
(奴らが来たら、これで脅せばいい……)
 腹の上に置いたスタンガンを両手で抱くように包み、ミスター・スタンは、先ほどまでのうたた寝とは違う、ほぼ気絶の眠りに落ちた。端から彼の姿を見たら、棺桶の中から死体を取りだして置いたのではないかと思うほど、微動出せぬ静かな姿であった。
  パァン。

 キン子で始まったこの一席、最後は、またしてもミスター・スタンで締められましてございます。もはやどちらが主人公かわからない。予定調和なんてそっちのけの、このストーリーにぴったりの展開となりました。
 さて、次はまた意外な展開と相成ります。意外な人物同士の関係が次々と知れてまいります。奇縁、因縁、腐れ縁。血縁、無縁、何でお前そこにおんねん……。
 知りたいお方は、次回もご視聴のほど、よろしくお願いいたします。
  パパン。

    🍙 🍙 🍙 🍙 🍙

 七席目が終った途端に、タマサカ先生が叫んだ。
「うわっ、ミスター・スタンにピクニックを覗かれてたの?」
「何か嫌」
 カットちゃんがハサミをチャキとする。
「でも、かわいそうな気もする」とパン太。
「腹ぺこは辛いもんね」とはキン子。
 パン太は、前々回のミスター・スタン過去話と相まって、彼の身の上に同情気味である。キン子は、どうしても空腹に同情がフォーカスしてしまう。
「はいはい、今日はここまで。ご飯にしますよ」
 アイン君がパンパンと手を打って、本日の動画鑑賞終了と晩ご飯の合図を告げた。
「続きは明日ね」
 明日、アップ済みの八席目まで視たら九席目からはライブ視聴だと、アイン君はウキウキしている。
「明日は、動画鑑賞お休みだヨ」
「えっ、何で?」
 アイン君がビームが発射されそうなほど、目を見開いた。
「明日は、キン子とパン太が通う学校に行かなきゃならないんだヨ。先生との顔合わせと、学校指定のランドリュックと体操着、上履き、その他諸々も用意しなきゃ」
「あ。そうだった。忘れてた」
 アイン君が額に手を当てて、あちゃーっと天を仰いだ。
「体操着は、もしかしたら特注になるかもしれないし……」
 タマサカ先生がキン子をチラリと見る。
「早く発注しないと、新学期に間に合わないもんね」
 アイン君、キン子をチラリと見て納得。そして、がっくりと肩を落とし、
「明日のメニューと家事スケジュールを考え直さなきゃ」
 痛恨だよ、家族のスケジュール忘れるなんて……ブツブツと独りごちる。
(そんなに動画の続きが見たかったのか)
 そんなアイン君に一同揃って同じことを思って、でも、誰も口には出さない。タマサカ家絶対主夫が怖いから。

 〈続く〉


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