10万文字の長編小説をとりあえず書き上げた後に分かったこと (3000字)


( ↓ は前回投稿ぶんです)


物事には、やってみた結果として、わかることがあります。

今回は「10万文字の長編小説をとりあえず書き上げてわかったこと」を、メモ代わりに書きとめようと思います。

これは私自身、書き上げるまでは予想もしていなかったことです。
長編小説をまだ書き上げたことがない人はこんな楽しい事が待っているかもしれませんのでモチベーションアップの材料にしてくださると嬉しく思います。


1 創作したキャラと酒が飲めるようになる


創作したキャラと酒が飲めるようになる

こんなご褒美があるとは思ってもいませんでした。
しかし、冷静に考えればそれもそうです。

2~3か月近くの期間を、自分の心を彼ら彼女ら(時には動物やロボットなどのキャラもいるかもしれません)の住処として提供し、ともに過ごすわけです。
現実の人間を相手にしているのと何ら変わりません。
ましてや、その彼ら彼女らとは、つねに会話をし、心を共有し、大きなストーリーを乗り切るわけです。
(バッドエンドなら乗り切りませんが)

自身の心の中に一つの領域が生まれ、キャラクターが実在する人間以上の存在の力を有すのも当然の話かなと思います。

(すごく冷たい表現になりますが、現実の人間も、空想上のキャラクターも、当人の認識の産物という意味では同じものですからね。)

2 自分が潜れる水深がわかった


これも抽象的な話ですが、作家が描ける物語は

・自分の中にあるもの(俗な言葉で言うと引き出し)
 
 を基軸にして

・飛べる高さ
・潜れる深さ
・手を伸ばせる距離

などの身体をもって移動できる距離に限られると考えています。
もちろんですが、これは『仮想』の感覚的な身体空間になります。
現実的に、人が飛べる高さはせいぜい1m未満でしょうし
手を伸ばせる距離も似たようなものです。

(他にも温度や密度や想像力など、空間以外のモノもありますが、今回は割愛します 例 「自分の引き出し(+想像力)」×「熱量」×「密度」=描ける物語)

つまり、作家の表現は
飛べる高さまでしか飛べないし
潜れる深さまでしか潜れないし
手を伸ばせる距離の範囲までしか手を伸ばせない
わけです。

こういった感覚的な空間の中で文字を抽出し、文章表現をしないといけないわけです。

ただ、これは先天的才能というよりは、キャパシティ・許容量みたいなもので、後天的に鍛え上げることが可能だと思っています。

私自身、若いころに比べると、格段に深いところまで潜っても精神が持つようになってきました。
わかると思いますが「深い所」というのは、人間のもつ闇とか人間の正体の負の方面の比喩表現です。

ただやはり、人にはこれ以上踏み込むと、精神が持たないという深さがあります。
深く沈むと、浮上できなくなる危険性が常にあります。

その深さの到達点が、今回長編小説を書き終えて、はっきりと把握できたと思います。

3 自分の文章を書いているのか?そうでないか?がわかるようになった


これも意外な発見でした。

人間はだれしもが、自分の文章を書いているようで、自分の文章をかけていないんだと気づきました。
おそらく、というか間違いないのですが、プロとして仕事をされているレベルの方なら自分の文章を書いていらっしゃるはずです。

例えば、国内一流のマラソンランナーなら「自分の走り」を
プロテニスプレイヤーなら「自分のテニス」を
歌手の方なら「自分の声」を
それぞれ持っているはずです。
もし、それを外れたなら、同じ「走る」「テニス」「声」でも「自分の」それではない何かになってしまうのです。

そういった事が文章作家という世界にも、あるんだなと思いました。

まだまだ私自身は「自分の文章」か、それを外れているか?がわかる程度です。

そして、自分の文章の完成度は、まだまだ低いです。
しかし、その自分の文章を、どういった方向へ磨いていけばよいのか?
これは掴めていると思います。ですので、あとは正しい努力の手段を用いて修練を重ねていきたいところですね。

4 10万文字でどれくらいの物事が表現できるのか?なんとなくわかるようになった


これも大きな気づきでした。
今の自分が10万文字でどれくらいの質量の物事が、文章で表現できるか?ここが掴めた感じです。

今までは、どれくらいの文字数でどれくらいの表現が可能とか、考えたこともありませんでした。
それが、500文字ならこれくらい、1000文字ならこれくらい、1万文字ならこれくらいと、
どれくらいの文字数で、どれくらいの物語を作れるか?が分かってきました。

プロットを作成した場合すぐに「あ、これなら○○文字くらいのボリューム」だなと直感的にわかるようになりました。

ちょと嬉しいですね。

5 小説を見る(観る?)視点の変化

小説を見る(観る?)視点も、長編小説を書く前にくらべ格段に変わったように思います。
やはり、自分が書くことで、視点が鍛えられたのでしょう。

以前と同じように文章を読んでも
「ここは情景描写」「ここはセリフで世界観を表現している」「あ、このように身体をつかった感情の表現があるのか」
などと、発見の量がそれこそ100倍くらいになったように感じます。

ただ、私自身は油断すると、ついつい文章に引き込まれてしまい気づいたら何も勉強できずに文章を読み終えてしまったという事態がザラです。
ですので、文章を分析する視点を持ってみる時間をきちんととって、他の作家さんの作品をみています。

また、余談ですが漫画や映画や詩なども、日々時間をとって表現の分析をしております。
漫画はジャンプやマガジンを購入して、読者の視点の移動や、いかに読者を紙面に引き付ける工夫をしているか?の分析を赤ペンで紙面に記入したり、ときにはラフに1話分を書き写したりして研究しています(1日2時間×4日ほどで出来る)。
ジャンプやマガジンの人気連載などは、間違いなく1ページや1コマ、キャラの描写ごとにはっきりとした狙いがあり、ひとつの無駄もありません。
「この描画の狙いは何?」と問われて説明できないページ・コマ・キャラの描き方がないのです。
すべての描画に意味があります。読者を引き付け、次のページへ誘導していく精密な工夫が施されています。
ここは小説家も見習うべき点だと思っております。

6 余談、漫画(コミック)を読むスピードとスタミナが付いた


これは余談ですが、なぜか漫画本(コミック)1冊ぶんを読むスピードがあがりました。
そして、全然疲れなくなりました。
以前は、漫画本1冊よむと、ある程度の体力を消耗していましたが、今は4分の1ほどの消耗度合いです。

これはいったい何なのでしょう。
たぶん、脳の何かの処理能力がアップしたのでしょう。

7 まとめ


という感じで、長編小説をまがりなりにも書き終えた私の変化をまとめてみました。
小説書く前までは「キャラクターが勝手に走る」とか、話の上では知っていましたが本当なんだなあと驚きました。
プロットも作成していたのですが、前半からキャラが勝手に走って楽しくて仕方がありませんでした。
その分、話のつじつまが合わなくなり4日ほど執筆が進まず、鼻血を出したりしましたが、良い思い出です。

8 今後と 参考までに私の習作

今後は長編の2作目にかかります。長編2作目もとりあえずは自分のために書き、完成させることを第一目標にします。
現在、設定資料を作成中です。早ければ2023年8月に、普通に進んで9~10月までに完成出来たらいいなと思っています。
その中で、長編を書き進めるペースの作り方、これを見つけていくのが課題です。
(2023.7.14訂正 長編2作目は完全に『読者を意識して作成』する方針へ転換しています。
プロローグ、1〜3章(計30章ほどのうち)、オチは完成してるのですが、中間部分で超苦戦しております)

3作目からは、いよいよ読者が求めるものを意識した作品作りに取り掛かろうと思っております。(まだ話の構想すら思いついていませんが)

以下は、私の習作です。短い順に並べておりますので、お付き合いいただければ幸いです。

・小説『陣中見舞い』約1500文字
幼馴染かつ恋仲同士であった二人の大将が、戦場で最後の会話を交わす小説です。淡路時頼を大軍で包囲する少将・片桐凍子、その勝利の暁には自身の出世が約束されていた。凍子を前にし時頼のとった行動とは?

・小説『贈刀使者』1800文字
セリフだけで表現した小説です。歴史もの的な世界観です。師匠の使いとして刀を贈り物として持ってきた弟子と、素直に受け取れない女流剣士。
二人の女の戦いを描写しました。



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