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  十二月十四日の神楽の日、小さな山間の集落は焦燥感に駆られ、銀鏡神社、と記された藍色ののぼり旗が、冬空に向かって靡いていた。

 夕暮れ時になると法螺貝が鳴り響き、各神社からご神体である、鏡と神楽面が運ばれ、神送りが始まった。 道沿いに白い御幣と榊の葉が垂れ下がり、並々ならぬ境地へと訪問者を誘った。

 南方に向かって𨕫には天照大御神(あまてらすおおみかみ)、と記された、紅白の鳥居が鎮座し、星辰をなぞるように南北東西の妖獣を奉る、五色の天蓋(てんがい)が垂れ下がっていた。

 祝子(ほうり)が舞を捧げる御神屋(みこうや)には、真新しい茣蓙(ござ)が敷かれていた。奉納品の御煮(おにえ)である、笹の葉の上に載せされた、猪の頭が睨みを利かすように僕らを見つめている。

 両者には阿吽の呼吸のように龍の木彫りが鎮座し、奏者である祝子の楽団が、黒い玄冬の夕日を浴びていた。

 祝子の待機室である、内殿(うちでん)で着付けをさせてもらったとき、こんなにも素襖(すおう)姿が窮屈なんて、考えもしなかった。

 内殿でも大小様々の貢ぎ物が奉納され、この神事がどれだけ、山里の者に信仰されているのか、窺えた。境内には屋台も並び、真っ赤な林檎飴、キャラクターの袋に入っている綿菓子、匂いが濃厚な焼きイカが並んでいた。

 普段、お店が一軒しかない、銀鏡では豪勢な屋台が嘘みたいだった。今夜は綺麗な厳冬の晴れ間だった。試しに境内を練り歩いていると、駆け付けた君が訪ねて来た。篝火は奇術師が広げる、赤いハンカチのようにその赤い舌で、境内を飲み込んでいた。

「似合っているよ。辰弥さんの若い頃によく似ているねって、うちのお母さんが言っていたよ。これ、飲む? 寒いものね。はい、お茶」

 制服姿ではない、君の格好を見たのはこれで二回目だった。

 手伝いのために身に纏った、純白の打掛に紅色の袴の、巫女装束の上にコートを着ている。

 手袋をはめた手で、僕に温かいお茶の缶を手渡してくれた。似合っている、と言われると、自分自身が特別な存在になったような気がして、悪くはなかった。手と手が重なり、目を瞑りそうになり、心の奥底まで温かくなりそうだった。

「ありがとう、螢ちゃん」

「これから、大仕事なんだから。身体が冷えないうちに力を蓄えないといけないものね」

 横顔の輪郭線が蕩けた、生クリームのようにぼんやりと弛み、大きな瞳も健康そうな薄桃色の唇も、頬にできる笑窪も透き通った、ビー玉のように消えて見える。そんな熱情に侵されることがしばしばあった。

 顔と別の世界との境界線が曖昧になり、この世にある、全てのものが成し得ないような青い錯覚に襲われる。今すぐにでも、身体を重ねたい、という青い欲望に負けそうになる、穢れさえも一滴も交えない、麗しき心を。初めて知る男に、僕を駒に置いてほしい、と思うときも少なからずあった。澄み切った瞳をいつまでも、眺め続けてみたい。絶え間なく狂おしい、甘美な思いが込み上げ、禁断の園にいとも簡単に侵入する。


「どうしたの?」

「大丈夫、ちょっと、考え事をしていたんだ。寒いね。もうすぐ冬だもの」

「もうすぐってもう、冬じゃない」

 君の甘酸っぱい指摘に僕は、頬が火照らないか、心配した。

「初めての神楽で大変だと思うけれど、応援しているから。辰一君の凛々しい姿を楽しみにしているよ」

星神楽㊷ 天狼星の下、花の舞|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)

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