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 伯父さんはその籠を車庫の前にある、切り株に置いた。
 伯父さんが前に余った、大木で作った切り株だ。
 すると伯父さんは、車庫の物置の倉庫から大きな俎板を取り出し、なぜか、ついでにハンマーと釘も持ってきた。
 なぜ、ハンマーと釘が必要なのだろう、と思いつつも僕はその状況に注視し続ける。
 捌くためのナイフもあった。
 僕は気持ちを切り替え、心行くまで集中した。
 伯父さんが籠の穴を持ち上げると、その中から大きな鰻がうねるように、勢いよく出てきた。
 伯父さんは物怖じもしないで、その動き回る鰻をあっという間に、素手で鰻の頭を掴んだ。

 鰻は龍のように上へ下へと俊敏に動き、ウニョウニョと絡まり合いながら、尾にカーブを描いて、円を描くように動く。
見慣れない光景に見惚れていると、伯父さんが何とその鰻の頭の上に釘を打ち始めたのを目の当たりにした。
鰻の尻尾を左手で掴んだまま、右手で鰻の首の付け根を強く押さえ、俎板の表面に向かって頑丈に打ち込んでいく。
 頭を打ちこまれた鰻は勢いを保ったまま、尻尾を高く持ち上げ、動き続ける。
「よく見るんだよ。生き物だって生きているんだ。つい、前まで川で泳いでいたんだからな。このナイフも命を頂くためにあるんだよ」
 伯父さんは尻尾をさらに強く掴み、ナイフで鰻の腹の皮を丹念に切り始めた。

 次第に鰻は漲る力を失い、尻尾の動きは緩慢に止まった。
 山から湧いた真水で一度、鰻もろとも流血まで洗い、最後に臓腑まで丁寧に切り始めた。
 鰻は本来、龍だったはずだった。
 人間が食べるために、その龍も命を絶たねばいけなかった。
 その生き物の躍動を見た、僕は今まで犯した罪を思うとなぜ、最初から気付かなかったんだろう、と思った。

 その日の夜は待ち望んでいた鰻の蒲焼だった。
 アツアツのご飯の上に載った天然物の鰻の蒲焼は見ているだけでも食欲を注いだ。
「食べたことがないから、鰻の蒲焼も」
「ええっ! 鰻も食べたことがないの? 今まで一度も?」
 勇一は毎年、食べているから、驚きを隠せないようだった。
「鰻を食べたことがない人っていたんだ。辰一お兄ちゃん、食べたら美味しいよ、すごく」
 久しぶり、相見える勇一の朗らかな、笑顔に僕は安堵した。

「やっと飯か! ほらほら、食べるぞ。辰一、勇一」
 義展さんが僕の隣に腰を下ろしたので、足を崩していた僕は正座に直した。

「辰一君、食べてごらん。初めて鰻を食べるのか。美味しいんだぞ。採れたての鰻は」
 伯父さんが台所からおぼんの上に載った、味噌汁やきんぴらごぼうなどを食卓まで運び、正子さん、茉莉子さんともに食事の支度が終わり、卓袱台の前にみんなで座った。

 伯父さんが焼いてくれた、鰻の蒲焼はこんがりといい焼き目がつき、たっぷりと甘辛そうな醤油だれがふんだんにかかっていた。
「辰一君は育ち盛りだから、たくさん食べないといけないぞ。俺も心配しているんだからな」
 伯父さんが僕のお茶碗に大盛りでついでくれたのでちょっと多いな、と思いつつも素直に受け取った。
 伯父さんがついでくれた、味噌汁には豆腐が五切れ、玉葱と和布がこんもりと束になって入っていた。
 伯父さんは料理が本当に上手なんだな、と感心した。

 みんなで合掌する、と勇一が急かされたように箸を持った。
 僕は先に味噌汁をちびちびと飲んで、みんなの様子をじろじろと観察した。
 食卓に並べられた、鰻の蒲焼はなかなか、生々しい。
 中身が程よく、焦げた鰻が地球を侵略する、異星人みたいに見える。
 箸で突いて、確認しているうちに勇一のほうを見ると、もう、鰻がなくなっていたので、負けるまい、と意気込んで鰻に食らいついた。
 口の中に蒲焼の甘さが広がり、鰻の内面は脂がのって、コリコリしていた。何回奥歯で強めに噛んでもなかなか切れず、肉厚の旨味がじんわりと口の奥まで広がっていく。

「ほら、やっぱり、美味しいだろう? 鰻を食べたらたくさん食べないと」
 伯父さんも無我夢中で鰻に食らいつく。

 伯父さんの憎しみ。
 あの伯父さんの憎しみはカリコボーズが見せた幻影だったんだろうか、と食後になっても、喉にシコリとなって残り続けた。

 鰻は初めて食べたけれども、口には言い表せないほど美味しかったし、一度、発射した食欲は止まらなかった。
 こうやって、みんなでご飯を食べるだけでいいんだ。
 毎日が何事もなく終わればいい。
 毎日が普通であればいい。
 その普通がどう、普通なのかは簡単には言い表せないけれども、食べながら僕は思わず、涙が出そうだった。

「天然物の鰻を食べたら養殖の鰻は食べられなくなるな」
 本当にその通りだった。
 食べ終えてしまうと美味しすぎて、久方ぶりにゲップが出てしまった。
「良かった。辰一君が元気になってくれて」

星神楽 63 両者成敗|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)


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