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 心にそこかしこに澄み切った闇がある。 僕は心に沈んでいる、宇宙を見上げる。夜の霊気が頬に沁み渡り、諦めた夢には黒い水が沈んでいる。

 もし、憤怒という残り火が、この心の中に火種を残していたのならば、僕は亡者のように地獄の業火に揉まれるだろう。僕は荒廃した城塞の地下室で、拙い手記をしたためるだろう。ドストエフスキーに恋焦がれて、褐色の狂気を装うのもいい。美しき悪魔による、小夜曲を聴いてみる。心は哀しきハルメーンの笛吹き男に誘拐された、少年少女の後ろ姿。

 敵勢に捕まり、拷問に耐え抜く勇者を己に重ね合わせ、自惚れたドン・キホーテのように、夢想するのも知ったことじゃない。いつまでも、世紀末の秘密結社に入りたがる、そばかすだらけの少年のように無邪気にはいられない。

 父を弑逆し、母と相姦する運命づけられた、オイディプス王をたぶらかした官能的なスフィンクスのように、僕は僕の人生に謎かけを試す。吟遊詩人がハープを引きながら放浪するように明日が見えないのに。暗い森に迷い込んだダンデが煉獄で見上げた、日輪のように希望なんて、自分から訪れるのだろうか。

 ほらほら、詩作を二十歳で放棄した呪われた詩人のように、地獄の季節の業火を見下ろそうじゃないか。

「あなたはまた罪を犯しましたね」

 姫の声が気忙しく、聞こえる。銀色の光を照らした、ベッドの上で目が覚めたら、身体中が汗だくだった。どうやら、月明りの病室で寝かされていたようだった。青い果汁を零したかのような色に染まったシーツが、得も言われぬ風情を醸し出している。

「無垢な少女をまた、痛めつけるんですね。あなたという人は」

 君の面影がどことなく浮かび、漣のようにその余映は砕け散った。

「違う。僕は何もしてない。螢ちゃんを……、螢ちゃんにはそっといるだけでいいんだ」

 僕は上手に他者の機微を感じられない。

 傷つけてばかりだった。なぜ、みんなその場限りの感情の綾を、いとも容易く操れるのだろう。 いや、常に感情の対立軸が存在しなかったらこの世から戦争なんてある筈もないか。僕は人間の馬面をかぶった、怪物なのかもしれない。 他者との境界線に一本の真紅の糸束が敷かれた、僕にとって嬲られるのは、生まれてきた意味への体罰だった。

「それならばなぜ、斯様な忌まわしい夢を見たのですか」

 僕は凍えるようなシーツの上で、耐え難き夢を追いながら、伸ばした筈の膝頭を注視しようと、小指まで震わせた。

「病院まで君は追いかけてくるんだね。ここは銀鏡じゃないのに」

 姫は妖気を漂わせた、月光の下でにやり、と笑った。

「この病院の近くはあの方の陵があるのですよ。かつては私も住んでいたところですから」

星神楽 53 自嘲めいた戯れ|詩歩子 複雑性PTSD・解離性障害・発達障害 トラウマ治療のEMDRを受けています (note.com)

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