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「学ぶ」って人生だ!~#私の学び直し~

「Andyコーチ、いつ勉強してるんですか」
「常に学び続けててえらいですね」

と、時々周りの方に言われることがある。
「日本の社会人は1日6分しか学んでいない」というのが一時期話題になった中、確かに私は本や記事を読んだりスキルアップにも時間を費やし、日々「学び直し」をしている。

けれども、私は「学び直し」を続けるのを頑張っているつもりないし、特別なものだとも思っていないのだ。

下記の募集をきっかけに、私の学びの変遷を思い出し、私にとっての「学び」とは何なのか考えみた。

学び方を学んだ学生時代

私は中学を卒業して親元を離れ、工業高等専門学校(高専)で学んだ。中学生の時はモノづくりに興味があり、その中でも自動車メーカーに興味を持っていた。そんなこともあり卒業後の進路は工業系の高校を考えていた。

中学2年生の前半くらいまでは勉強の楽しさを感じることが出来ず、成績も全体の中位をキープ。ところが、何を思ったか中学の夏休みに何となく参考書を買って勉強して、休み明けのテストでよい点数を取ったことがきっかけとなり、勉強って面白いのでは?と思うようになった。

中学校生活の後半からは勉強をすることで知識が増え、それをテストというモノサシで測れるということに面白さを覚え、自分なりの勉強スタイルが確立されていった。それに伴い成績も向上し、テストの度に学年の上位で争えるまでになっていた。

中学3年生の時の進路選択に大きな迷いはなく、工業高校への進学を進路希望調査で提出した。その後の担任の先生、親、私の三者面談で先生から「あなたは普通の工業高校に進むのではなく、さらにレベルの高い高専に進んだほうがいい」と言ってもらった。

当時の私は高専という存在を知らず、戸惑いを覚えた。しかし、面談以降も担任の先生はことあるごとに私に高専を勧めてくれるので、私も自ら情報を集めるようになっていた。

中学卒業と同時に親元を離れて寮生活をする可能性もあったので正直悩んだが、結果的に私は高専への進学を決意した。今考えればよく決意したと思うが、その時の自分に感謝したいと心から思う。

高専では文字通り専門性を身に着けるための授業が中心で、普通高校に比べて赤点の基準も高い。座学だけでなく実験や実習などのカリキュラムを沢山こなさなければならなかった。中学校の時とは様変わりし、教科数も格段に増えた。テストだけではなく多くのレポートもこなさなければならなかった。

そんな状況でも挫けずにやり通すことが出来たのは、中学時代に身に着けた自分なりの勉強パターンを確立するスキルを活用できたこと、そして何よりも共に学ぶ仲間がいたということが大きい。大変なのは自分だけではなく、仲間と励ましあいながら勉強に臨めたことは私の人生にとって大きな収穫となった。

社会人になっても「学び」は終わらない

高専では本当にたくさんのことを学んだ。それはなにも勉学だけに留まらない。部活や寮生活を通じて学んだことは数えきれない。中学卒業後の人格形成期において、親元を離れて様々な学びを得られたことには感謝してもしきれない。

高専を卒業し、私は大手メーカーに技術者として入社した。入社後から高専時代に学んだことを活かしながら様々な仕事に取り組んできた。

社会人になってから感じたことは、「勉強」は学生時代で終わるかもしれないが「学び」は決して終わることはないということである。むしろ、学生時代で学んだことが使えるのはほんの少しであって、それを使ってどうやって仕事に取り組むかは学び続けなければならないある意味で常に学び直す必要があるのだ。

実は私自身、学生時代は全くと言っていいほど読書をしてこなかった。本を読むという行為が苦痛以外の何物でもなかったのだ。しかし、入社してから配属された現場のTOP(経営者として抜群のセンスを持っていた)の執務部屋に呼ばれたときに衝撃を受けた。本が山のように置いてあったのだ。聞いてみると隙間時間を利用してとにかく読書をしているとのことであった。私はその方を尊敬していたので、とにかく真似をしてみようと思った。安易ではあるが読書をすることでその人のようになれると考えたのだ。

以降、ビジネススキルや哲学、宗教などあらゆるジャンルの本を読むようになった。その習慣は今でも続いている。その時の読書との出逢いがなければ、学び直すこともなかったし、今の私はないといっても過言ではない。

社会人になってからあらゆる事柄を読書から学んでいる。これまでの社会人人生の後半では読書のみならず様々なセミナーや研修を積極的に受講しながら、その時に必要な学びを深めている。もはや私には「勉強をしている」という感覚はなく、良質なアウトプットを出すために学び(インプット)をしているという感覚しかない。例えば、社会人になりたての頃は社会人として大切な人の動かし方や仕事の進め方について学んだし、プロジェクトリーダーや組織責任者を任されたときにはチームマネジメントや人材開発、組織開発について学んだ。

私の感覚として「その時の私に必要な本が、必要なタイミングで現れる」というのがある。必要な情報が必要な時に与えられるのだ。そのある種のお告げに従って学ぶ領域を決め、学び続けている。

学ぶことは生きること、「学び直し」が人生にもたらすもの

私にとって「学び」とは、自分を高め、自分らしさを実現するための手段である。

知らなかったことを知り、それを活かしてできなかったことが出来るようになる。つまりそれは成長である。人は成長を感じることで生きる悦びを感じることが出来ると私は信じてやまない。それは子供を見ていても強く感じる。出来なかったことが出来るようになった時の子供の無邪気で純粋な表情は生きる悦び以外の何物でもないと私は思う。

学生時代の「勉強」から自己実現を図るための「学び」に遷移してきたが、これからも学びは続けていく。というより学ばなければ自分らしさを見失ってしまうと私は考えている。学ぶことは生きること。私は常に学び直しを続けている。

江戸時代の儒学者である佐藤一斎(いっさい)は次のように述べた。
これは私が学び続ける、学び直す理由として一生大事にしていきたい言葉である。

少くして学べば、則ち壮にして為すことあり
(少年の頃に学んでおけば、壮年になって事を成すことができる)
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
(壮年の時に学んでおけば、老年になって衰えることはない)
老いて学べば、則ち死して朽ちず
(老年になって学んでおけば、死んだ後も朽ちることはない)

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