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オクラ栽培から教わったこと。

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左脳と右脳の間を自由に行き来できる、研修講師&ビジネスコーチの川島雪子です。今日からnoteを始めました。日々、自身の子供たちや多様な受講者・クライアントと出会う中で思ったこと、や自己対話の結果、気づいたことを思いのままに書いていきたいと思います。

ーーーー今日はここからーーーー

コロナのStay home期間に、暇を持て余していた小6娘と一緒にミニトマトとオクラの種を植えた。ミニトマトは一足先に、そしてオクラはまさに今、収穫の時期を迎えている。今日は、その家庭菜園でオクラやその他の野菜を育てる中で感じたことを思ったことを、noteで書いてみたいと思う。

何となく日常に変化を欲していた私たちは、ある日ホームセンターでプランターと土と野菜の種を数種類購入した。その後はYoutubeやWebで「ミニトマトの育て方」「オクラの育て方」をチラ見して、種を植えただけ。大した肥料もあげていない。(追肥が必要と知り、最低限必要なものは後日アマゾンで購入している。)

日光と、水と、そして私の「育つんだよ♡」という愛情&期待を一身に受けたオクラは、発芽し、順調に育っていった。豆粒以下の大きさだった黒い種が、ひたすらこの3点を受けて育っていく過程は、私に、予期しなかった癒しや気づきを与えてくれた。

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<どんな癒しって?>

朝、「大きくなるんだよ。育つんだよ。」と思いを込めて目の前のオクラに水をひたすらあげていると、その瞬間すべての雑念・思考がどこかに行っていることに気づく。まさに目の前のオクラと、今の自分だけの世界に没頭している状態になる。これを何というのだろう、瞑想状態とでもいうのかな。余計な雑念・思考、もしかして悩みもそうかな、こんなものが一瞬どこかに消えて、「ここ」に存在できていることに対して何だかものすごい感謝の気持ちが生まれてくる。そして、私は今目の前の(こと)に全集中できているという感覚も後から振り返ると持てている。


ホットヨガに通って2年になるのだが、ヨガによる瞑想以上に、目の前の自然・生命と繋がっているときのほうが、瞑想状態に入りやすい、ということにふと気づいた。


そうだよ、私は小さな頃から身近に自然や生命を感じて生きてきたよなぁ。(私は山に囲まれた長野生まれ・育ち)

瞑想状態になることの効用は今回のブログでは言及しないが、自然や生命を感じることができる環境に身を置くことで、「自分に集中する時間を持つことができる」ことに、コロナが改めて気づかせてくれた気がしている。

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<どんな気づき>

そもそも、日光と水だけで、(あ、土と適量の肥料もね。)野菜はこんなにも育つのかと、当たり前のことだけれど大事なことに気づいてしまった。これってさ、子育てもあらゆる育成も同じじゃない?って


人が持つ命の可能性をただ信じて、憲法で定められている、「健康で文化的な最低限度の生活」を維持する上で必要なものを与えてあげるだけで、究極はいいのかもしれない。そこに色んなリスクを先回りして、色んなものを付けたり足したり引いてしまうから、「成長したい」という本来の欲求を制限してしまうんだなぁと。結果的に制限をかけ得ることになったのが、もしかしてスマホやコンビニ、加熱する受験戦争などなのかもしれない。


ただただ、その人にはものすごい可能性があると信じて、「その人自らの意思で」欲するものだけを提供していればいいのかもしれない。


実は、ミニトマトとオクラ以外に、失敗作がある。それは青梗菜。ある段階で芽を伸ばさなくなってしまい(と思い込んでいた)何種類かの肥料を上げたり、水が足りないのでは、と過度に上げたりしていた。その結果、何が起きたかというと・・・・


土の富栄養化が進みすぎてしまって、ミミズや虫まみれになっていたということが起こってしまっていた。(それ自体が発育に影響を与えていたのかはわからないけど、明らかに土は悪臭を放ち、青梗菜の根は弱っていた。)

何でもやりすぎはダメなんだね。成長の様子を見守って待つことも大事、ということを学ばせてもらった貴重な経験だったなぁ、と。青梗菜ちゃん、ごめんね。

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と、ここまで思いのまま、たらたらと書きながらこんな「問い」が私の中に浮かんだ。

「今の社会が、仮に大前研一さんが本で書かれていた『低欲望社会』(※中村さん、ご紹介ありがとうございました!)であったとしても、本来オクラが生まれつき持っているような「成長欲求」を誰もが取り戻すことはできるはずではないか?」

ということ。

「本来生き物として持っている「成長欲求」を大事にしながら育ってもらうために、私が未来の宝のためにできることは何だろう?」

ここまで書いていて、ふと一つのことに気づいた。

「あなたは、オクラのように、あなたの心が、魂が、体が本当に欲しているものを、果たしてもう一人のあなたと確認しながら、手に入れているの?目の前にちらつく、感情を揺さぶってくる情報やモノに支配されていない? 感情が揺さぶられるままに、まるでそれがあなたの本当の望みを満たしてくれるかのように錯覚して、身をゆだねて取り込んでいない?」

ということ。

「やっぱりここか。」

オクラの種は「日光」や「水」、そして「肥料」を自らの意思で取り込むだけで、その種からは想像できない実を成す。

私たち大人が、自分、そうもう一人の自分と対話することを怠り、目の前の大切な人の「目」を、その奥の「瞳」を見ながら、心を寄せることを怠り、自分が欲しいと思い込んでいる(思い込まされている)ものに、無自覚/無意識に飛びついて振り回されている限り、若者は、それに振り回され、未来に願望を描けなくなる、ということなんだろうなぁと、妙に合点が行った。

オクラを目の前に、もう一人の自分との対話の時間を深めながら、子供たちの未来のためにも、「本当に私の心が欲しているものと、しっかり向き合い生きていこう。」と改めて思いました♡

最後まで、お読みくださりありがとうございました。

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