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ダークナイト:「狂気の重力」に屈しないために

今年2022年3月にはロバート・パティンソンがバットマンを演じる、
『ザ・バットマン』が公開になります。

今までのバットマンと独立しているので、復習や予習などは必要ない作品になるように思われますが、
クリストファー・ノーラン監督、主演クリスチャン・ベールのバットマン三部作、通称ダークナイトトリロジーを観る方も多いと思われます。

私も最近この三部作を観返したので、その二本目である『ダークナイト』の
考察について書いていきたいと思います。

一本目の『バットマン ビギンズ』についてはこちらの記事に書いているので読んでもらえると嬉しいです。

『ダークナイト』はバットマンの映画の中で最も評価の高い作品で、今年公開の『ザ・バットマン』はロッテントマトの現在の評論家評では『ダークナイト』についで二番手につけています。

『ダークナイト』の一つの強みはジョーカーであることは否定できません。
このジョーカーをどう扱うか、それについての考察をしていきます。

それではこれから『ダークナイト』のネタバレありでの考察をするので、注意してください。

ジョーカーにひと押しされても落ちないために

今回扱う言葉は物語の終盤、バットマンに捕らえられ、逆さ吊りにされたジョーカーの最後のセリフです。
See, madness, as you know… is like gravity. All it takes is a little push.
「いいか、狂気ってのは知っての通り重力のようなものだ。
必要なのはたったひと押しするだけだ。」

完璧なる正義を通していたハービーデントは最愛のレイチェルを亡くしたことにより自分の無力さに打ちひしがれます。そして、トゥーフェイスというヴィランとして彼女を守れなかった人たちへ復讐しようとします。
最愛のレイチェルを亡くし、ハービーが狂気に呑まれ、変貌するように仕向けたのはジョーカーです。これを彼はたったひと押しと表現しているのです。

ここでハービー、ジムゴードン、バットマンの3人の正義について考えていきましょう。

まずハービーですが、彼は完璧なる正義と呼んでいいでしょう。彼は検事として悪人を法的に片っ端から裁いていきます。今、完全に悪を無くすことを目的としており、悪の大小関係はなく、大義のために犯す悪でさえも許しません。したがって、ゴードンのチームにはマフィアから賄賂を受けている刑事がいますが、その刑事たちも排除しようとしていました。

それに対して、ジムゴードンは計画的な正義と呼んでいいでしょう。彼には悪の大小関係が存在し、大きな悪を排除するためには小さな悪は後回しにしています。具体的にはマフィアの崩壊という大きな悪の排除のために賄賂を受け取っている警官は後回しにしています。この小さな悪の排除にはリスクを伴うことを知っており、計画的に順序立てて罪人を裁いていこうとしています。

バットマンの正義は二人とは全く方向性が違います。彼の正義はまさに闇の正義と言えるでしょう。自分が正しい、正義だと思うことを行うためなら、自分は罪を犯しても良いと思っています。しかし、誤解してはならないのは、彼の正義というのはゴードンからの信頼を得ていたり、殺してはならないというルールを設けていたりと、決して自由に戦っているわけではないところです。

レイチェルが亡くなってしまった理由ですが、ハービーが完璧な正義を求めていたも関わらず、ゴードンは賄賂警官を排除することなく、彼らを戦力にしてでも、マフィアのボスやジョーカーを捕まえようとしていたため、賄賂警官をジョーカーに利用され、レイチェルとハービーが拉致されてレイチェルの救助が間に合わず死んでしまいました。

それでは、本題に戻ります。

See, madness, as you know… is like gravity. All it takes is a little push.
「いいか、狂気ってのは知っての通り重力のようなものだ。
必要なのはたった一押しするだけだ。」

この言葉は悔しいほど的を得ていると思われます。
私たちは重力に打ち勝つことはできません。同じように狂気に打ち勝つことはできないような気がしてしまいます。ハービーデントの無惨な例を見てしまった我々は、もう狂気には勝てないと、ジョーカーによって植え付けられるかもしれません。

しかし、こう考えてみてください。あなたが今、誰かにひと押しされたら落ちるでしょうか。物理的にです。どこかに立っていれば倒れることはあっても落ちることはありません。椅子に座っていれば椅子から倒れることはあってもどこかに落ちてしまうことはありません。

ひと押しされて落ちる時というのは崖のような安定していない足場にいる時です。

同じことが精神的な面にも言えるのではないでしょうか。

彼ら3人の正義は一致しておらず、正義の足場が不安定だったと言えるでしょう。
この正義の足場を不安定にしたままだったので、ジョーカーのひと押しでハービーは落ちてしまいました。

ゴッサムシティの社会で3人のどの正義が正しかったのかを決めることは難しいですし、それが正解なのかもわかりません。

それでもジョーカーに打ち勝つために正義の共有をし、どの正義を目指すのかを一つに定めて、ジョーカーと戦うことが必要だったのではないでしょうか。
正義の足場を固められなかったことがジョーカーに敗れてしまった最大の要因だと思われます。

ではジョーカーに打ち勝てた人たちをみてみましょう。

それはフェリーに乗っていた一般市民と囚人たちです。
彼らは囚人のジレンマのように相手のフェリーを爆破させれば自分は生き残る。しかし、12時までにどちらも生きていた場合、どちらも爆破する、というゲームに参加させられていました。
結果として、どちらのフェリーも起爆スイッチを押さなかったので、どっちかが爆破するだろうと思っていたジョーカーは自動起爆装置をつけておらずジョーカー自身で起爆しようとしたところバットマンに止められ、どちらのフェリーも助かりました。

これはジョーカーに対する唯一の勝利と言えるでしょう。

この勝利をもたらしたものは何か。それは結果的ではありますが、正義の共有だと思われます。

彼らは「自分のために相手を殺すことを許さない」という正義を共有しています。スイッチを投げ捨てる・箱に仕舞うことでその意志を示し、それに反対する者もいません。

ハービーはブルースウェインとの夕食の場でこう言いました。

You either die a hero… or you live long enough to see yourself become the villain.
「ヒーローとして死ぬか、長く生きてヴィランになってしまうか、そのどちらかなんだ。」

この言葉を言うハービーはヒーローとして死ぬことを良きと暗示していたでしょう。
White Knight として輝いて市民に見えていたハービーの影響でフェリーの彼らは「ヒーローとして死ぬ」と言う正義の一致を行うことができたのかもしれません。



最後に少し、ヒースレジャーについてです。
彼は「ダークナイト」の撮影後、薬物過剰摂取により亡くなってしまいました。
繊細であった彼が、ジョーカーの役を演じることは精神的な負担になってしまったと言われています。
命をかけてジョーカーに命を吹き込んだ彼のことを敬い、記憶に留め続けたいと心の底から思います。


以上になります。ここまで読んでいただきありがとうございます。
私は「ダークナイト」を観るごとにジョーカーに屈したくない思いが強くなっていくので、そのために何ができるかを考えてみました。
表裏一体のバットマンを極限まで突き進めた作品ですので、私の意見も一つの考えとして受け取っていただければ幸いです。

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