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バットマン ビギンズ:「本性は行動で決まる」は本当か

今年2022年3月にはロバート・パティンソンがバットマンを演じる、
『ザ・バットマン』が公開になります。

今までのバットマンと独立しているので、復習や予習などは必要ない作品になるように思われますが、
クリストファー・ノーラン監督、主演クリスチャン・ベールのバットマン三部作、通称ダークナイトトリロジーを観る方も多いと思われます。

私も最近この三部作を観返したので、その一本目である『バットマン ビギンズ』の
考察について書いていきたいと思います。

ダークナイトトリロジーは二作目『ダークナイト』のみでも傑作には違いありませんが、三部作を通してバットマンの誕生から引退・継承まで丁寧にかつダークに描かれているのでおすすめしたいです。

私の場合は『ダークナイト』をはじめに観て、しばらくしてから、三部作を連続で観ました。
おそらく三作目は前作、前々作を観ていないと理解しづらいと思われるので、私のように計4回観るか、順当に三部作を観るのが良いと思います。

2019年のホアキン・フェニックスが主演の「ジョーカー」はまた独立した作品になるので注意してください。

それでは、これからネタバレありでの考察をしていくので観ていない方は注意してください。

本性は行動では決まらないと私は言いたい

”It's not who I am underneath, but what I do that defines me.”
「人の本性は中身ではなく行動で決まる」

この言葉は今作品の中で最も印象的な言葉になると思われます。

富豪でありながらもゴッサムシティに貢献しようとしていた父を持つ、金持ち息子のブルース・ウェインが父のように街に貢献しようとはせず、ただ派手に遊んでいた時に幼馴染のレイチェルから言われた一言です。

レイチェルは検事として腐敗した街を再生しようと尽力していたという自負があります。だからこそ、この厳しくも力強いメッセージをブルースにぶつけたのでした。ここには怒りさえ感じます。
父が活躍しているところを目の当たりにしてきた金持ちが何もやっていない姿にレイチェルは怒りと失望を感じます。

ただ、この時、ブルースはバットマンとしての活動を始めよう準備を進めています。この準備の段階で彼の中身、つまり精神的な本性は街の腐敗をなくすという方向に向いていました。
だからこそ、彼女の言葉が決定打となり、彼はバットマンとして誕生したのでした。

さらにこの言葉はレイチェルに正体を明かすシーンでも象徴的に使われています。
何度もバットマンに助けられたレイチェルは、彼に名前だけでも教えてほしいと言います。
その返答として
”It's not who I am underneath, but what I do that defines me.”と返し、
彼がブルース・ウェインであることに気づきます。

この象徴的な言葉はノーランバットマンを決定づける一言になっています。
腐敗した街ではいくら高尚な考えを持っていても無意味であり、行動しなければ意味をなさないと。

これは間違いなく名言であり、ブルース・ウェインにとって人生の一言であったでしょう。

しかし、この言葉は正しいのでしょうか。その危険性について考えていきます。

この言葉には外的要因によって行動できない人を全否定する危険性があります。
ブルースには行動する手段がありましたが、常にその手段があるとは限りません。
それが外的要因にあるとき、このような厳しい言葉をかけられるでしょうか。今回はたまたま彼が手段を持っていたからよかったものの、もしなかったらこの名言は人を傷つける凶器へと簡単に変貌してしまいます。

この表裏一体な言葉が象徴的に使われるということは、
バットマン自体が善と悪の表裏一体であることを表しているでしょう。
今作品の続編である『ダークナイト』は暴力を助長すると言われることがありますが、その表裏一体性はバットマン誕生の時から存在したのです。

ここで「本性は行動で決まる」という発言の反証を考えていきます。
これを体現するのは刑事であるジム・ゴードンです。
彼の本性は行動ではなく、中身で決まっていました。

彼は腐敗した街に蔓延る賄賂については自分は決してしないとしながらも、
他人については見過ごしていました。
彼は中身では腐敗と戦っていましたが、行動には移せていなかったのです。
しかし、彼の中身が清らかなものであり続けたので、バットマンの信頼を得て、
バットマンという手段を手にした時、腐敗と戦うことができたのでした。
彼がもし、あの言葉で打ちのめされていて、中身が清らかなものではなく、腐ったものになってしまったら、バットマンはゴードンという協力者を得られず、戦うことはできませんでした。

このように彼は行動できなくても、中身が正義を持ち続けることの意味を体現したのです。

”It's not who I am underneath, but what I do that defines me.”
この言葉に勇気づけられることは素晴らしいことです。
しかし、この言葉があなたを抑圧するようなものになってしまった時、バットマンではなく、精神的に正義を持ち続けたゴードンを思い出して、正義を持ち続けることができればいいのかなと思います。
行動と中身がずれていたって気にする必要はありません。
いつか手段を持った時、その本性にあった行動ができると思います。



ここまで読んでいただきありがとうございます。
ダークナイトトリロジーでも十分に暗いですが、それを超えると言われる
『ザ・バットマン』はどのような作品になるのでしょうか。
楽しみです。



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