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『母の日』を終えて感じたこと


今日も私のnoteを読んでくださりありがとうございます。

candy@です。

昨日は母の日。

上京して一人暮らしをしている大学生の娘から母の日に感謝のメールをもらったのが嬉しくて

昨日は私もつぶやきで娘からのメールを投稿させていただきました。

たくさんのスキやコメントありがとうございました。


noterの皆さんの『母の日』にちなんだ記事を読みながら、それぞれの母の日の過ごし方やお母さんに対する想い

お義母さんとの関係などいろんな形の母と子があるのだなぁとあらためて考えさせられました。

私と母の関係は今は良好だと思いますが、お互いずっと相思相愛だったわけではありません。

私は長女として子供の頃は母にとても厳しく躾けられ

「お姉ちゃんだから」といつも言われてました。

思春期にはその反動もあって母と顔を合わせると口喧嘩もしょっちゅうでした。

あまりにも母と私が言い合いするのをそばで見ていた父が

『天敵みたいやな』と心配したこともあったくらい。

でもどれだけ喧嘩して険悪になっても親子って不思議なものですね

翌日には何もなかったようにお互いケロッとして仲直りしていたりするんです。

でもまた衝突しては

仲直りする。

そんな繰り返しをしながらの学生時代でした。


それほど母に反抗的だったのが嘘みたいに

私が社会人になってからは

私と母の関係は親子というより楽しい時を一緒に過ごす友達か姉妹のような関係へと変わり、あまりぶつかる要因もありませんでした。

一緒にショッピングに行ってお茶や食事をしたり母娘で旅行に行ったり・・・



それが私の結婚を機会に私と母の関係が徐々に変わっていったのです。

30年以上前の結婚って結婚する本人たちだけでなくて

家同士の結婚という意識が強く、両家の繋がりも関わってくるし親の意見も聞かなくてはならない、そんな時代でした。

特に私の母は伝統や形式を重んじる昔の世代の人間。

結納や結婚式の話が進むにつれて母はたくさんのリクエストを夫にするようになりました。

夫のお母さんが結婚する前に既に他界されていたので

母は自分が両家の女手として”頑張らないと”と勝手に気合いを入れて思い込んでたようで何かと口をはさんできました。(アドバイスというより過干渉レベルで💦)

今から思うと夫も怒りもせずに、よく母の無理な要求に耐えたと思います(感謝)

母は嫁ぎ先に対して私の肩身が狭くならないように、私が夫の家族や親族に大事にされるようにあれこれ気配りしていました。

両家の顔合わせ、結納、仲人さんへのご挨拶、花嫁道具の荷入れ等々

ここには書ききれないほどのこまごまとしたミッションです。

母は最高の状態で私を結婚させたかったのでしょう。

私も二人の娘の母親なので私の母の気持ちもある程度は理解できますが

それにしても母の頑張り方は母が結婚するのか」と言われるほど熱心でした。

ただ母は忙しく立ち振る舞うことで私をお嫁に出す(今では死語ですかね?)寂しさをまぎらせていたのかもしれません。

無事に結婚式が終わった日、母は疲れと寂しさがどっと溢れて三日間泣いて寝込んだそうです。父が母の泣きはらした顔を見てびっくりして、「しばらく外に出るな」と言ったくらいにひどい顔だったと・・・

その頃私は箱根を巡る国内のハネムーンを夫と楽しんでいましたが😝

そんないつも私のために頑張ってくれる母を若かった私は当たり前のように頼って甘えていたのです。

ただ結婚して子供ができていろんなイベント(お宮参り、初節句、入園、入学など)があるたびに相変わらず干渉してくる母の態度が煩わしくなってきたのも事実でした。


言い方は悪いですが、いつまでも私を子供のように扱っては口出ししてくる母に違和感を持ち始めて、だんだんと私は心の中で母を避けるようになりました。(表面的には上手く付き合っていましたが)

母は二十歳そこそこで実母を亡くして以来、長女として自分のことよりも妹たちの面倒を見てきました。親の愛情に飢えている面も見られます。

そのころは鬱陶しく母のことを思っていたのですが、いま冷静に考えると、母は無意識に娘の私に過度に愛着を持っていたのかもしれないと最近になって私は思い始めています。

ただいつまでも私は母の娘だけではいられません。

私は自分の家庭生活の方を最優先にしたいと考え出していました。

お正月、お盆、両親のお誕生日、父の日、母の日、敬老の日やいろんな家族のイベントに全て参加しないと悪いことをしているような罪悪感を感じたくなくて(贈り物や準備を完璧にしたくて)

かなり無理をして良い娘、娘夫婦、娘家族を演じていたのです。


今思うと「ちょっと今回はしんどいからお菓子送るね〜」くらいでも良かったのかもしれません。


常に母からの期待に応えなくてはと気負っていたのかな?


昨年は567で今までのように会えなくなりました。

それがかえって私は母と適度な距離感を保てたんです。

「会いにきてくれて当たり前だと思う母」と

「行かなくちゃいけないと思う私」の考え方に変化がありました。

私が567なので会いに行けないと言い出す前に母は私や私の家族のことを心配してくれて

「無理に会いにくることはないから、感染しないように気をつけて」と言ってくれたんです。

それを聞いた時に肩の力がすーっと抜けて気が楽になったことを覚えています。

そしてこれまでもずっと私を見守ってお節介すぎるくらいにサポートしてくれていた母の私を想う優しさをあらためて感じられたんです。


母は私に特別なものを求めていたのではなかった

ただ元気な姿を見たかっただけだった・・・と


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567のせいで強制的ではありましたが母とのディスタンスを取れたことで

私の中の気を張っていた母との関係の何かが変わり

もしかしたら母の中の娘に対する何かも変化したのかもしれません。


理想的な親子の関係に捉われていたのは私も同じでした。

こうしなければいけないなんて疲れます。

こうしたいと伝えれば母もわかってくれたはずなのに

アラ還になってやっと母との距離感をつかみかけている自分を感じるんです。

時間かかりすぎですかね?

若い頃は母に変わってもらいたいとばかり思っていました。

でも人の心なんて変える力は私にはありませんでした。


私の気持ちを変えた時に母のことを受け入れることができたんですね。

母へ抱いた葛藤やわだかまりが全て消えたわけではありません

今でもいろんな想いはあります。

でも今年の『母の日』は何かが私の中で変わっていました。

昨日は私が母の日に送った洋菓子が届いたと母から電話がありました。

そんなに高価なお菓子でもないのに喜んでくれて

『今からお茶を入れて、お父さんと食べるわ。ありがとう。』と言ってくれる母と話しながら

今年の『母の日』の母が今までで私にとって一番好きな母になっていると思えた瞬間に

自分をなんだか素直に褒めたくなりました。

母に良い娘だと思ってもらいたいという気持ちを手放せた時に

初めて私は母のことを受け入れることができたのだと

そして80代で高齢の母に

義務感ではない愛を感じた私の成長を誇りに思いました。

自画自賛でごめんなさい。

そして抽象的でわかりにくいかもしれませんね。

まとまりのない文章かもしれませんがここまで読んでくださりありがとうございました。

いつも私の記事にお付き合いくださり感謝しています。



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