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今の気持ちを大切にしたいからお雛様を断捨離しました


今日も読んでくれてありがとうございます。

映画大好きcandy@です。

あなたのお家に雛人形はありますか?

昨年の7月まではうちにもありました。

大袈裟かもしれませんが、27年間家にあった七段飾りの雛人形を一大決心をして手放した時のことを書いてみたいと思います。



昨年の10月のnoteには

ステイホーム・自粛生活で時間ができ心にも余裕が出たので部屋の断捨離をしたくなり、まずは押入れの半分以上を占めているお雛様の手放しから始めようと思った気持ちを書いていた。

“娘たちが中学生頃から飾っていないのでもう10年近く箱の中でお眠りいただいてた七段飾りのお雛様たちだ。

娘たちが小さい頃は毎年のように友達を招いてお雛祭り会をしたっけ。

わくわくしながらお雛様を彼女たちと飾るのが恒例のイベントになっていたのだが、いつしか私が一人で出しては片付けて(飾るというより出すという義務感で)・・・

いつの間にかそれすらしなくなり・・・

飾られなくなったお雛様に少し後ろめたさを感じながらやり過ごしてきた。

そんなお人形たちを手放す時が今なのかも!



娘たちの気持ちも知りたかったので、私はそれとなく「お雛様また飾ってみたい?」と聞いてみた。

娘たち・「えっ、存在すら意識してへんかったわ〜」

私  ・「もうそろそろ、手放してもええかな?」

娘たち・「どうぞ、どうぞ」

(あんたらダチョウ倶楽部か!)

お雛様の行末を迷い、考え、気を揉んでいたのは私だけだった。

というのも、私の両親がかわいい孫のために奮発して買ってくれた高価なものだし

「もったいない」と「申し訳ない」気持ちがあったのだ。

でも今回はそんな迷いをふっきって(親にはいまだに内緒だ)

お雛様断捨離作戦に突入した。


さすがに燃えるゴミでゴミ焼却炉へ ”どうぞどうぞ” とは

いくらなんでも考えられなかったので

色々と調べて検討した結果(誰かに譲るとか、メルカリで売るとか・・・)

人形供養をしている神社で供養をしてもらおうと決めたのである。

たまたま自宅から車で1時間弱のところにあったその神社に予約をして

15体もの雛人形を夫と一緒に持ち込んだ。

神主さんへお雛様を手渡す時

娘たちとの思い出が蘇って、私が泣くのではないかと夫は思ったらしい。

でも私は感慨に浸るよりも

長年、頭のどこかで気になっていた人形たちを供養という形でも

手放したことで清々しい気持ちだった。


そこには一つのことを終えた達成感みたいなものを感じた。

それから6ヶ月が経って、お雛様が卒業した後の押入れの空間に今は何も入っていなくて空っぽである。私はいま、そこに入れたいものはなにもない。そして多分これからもその空間を何か物で埋めることはないだろう。

物がなくて空間に余裕があるほうが

物がたくさんあってパンパンに詰まっていた時より

かえって心に豊さを感じるのはなぜだろう

何かに気を取られる時間がなくなると

次の行動や考えが見えてくるのかもしれない

時間は無限ではないから

やりたいことや好きなことでなるべくなら

自分を満たしていたい

物がなくて苦労した私の親の世代の人は所有することが豊さや安心につながっていたともいえる。そして自分の子供にはそんな気持ちを感じてもらいたくなくて必要以上に「もの消費」にお金をかけた。また60代前後の私たちの世代は物に溢れた生活に慣れてしまい麻痺してしまった人が多いのかもしれない。

私も比較的、最近まではそうだった。

でもこれからは

お雛様に限らずその時々で必要だったり、楽しませてくれたものでも

自分にとって必要でなくなったり、心がときめかなくなったら(これはこんまりさんの格言)手放してもいいんだと思った。   

もちろん、感謝をして。

お雛様 娘たちの成長を見守ってくれてありがとう。

娘たちも今は他のことに忙しくて忘れていても、楽しかったあの頃の思い出はいつまでも心に残ると思っている。


最後まで読んでくれてありがとうございました。




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