見出し画像

「みんなで楽しみながら政治を変えていきたい!多様性が受け入れられる世界を」 【東京都・世田谷区】オルズグルさんに政治に挑戦する思いを聞いてみた!

こんにちは!FIFTYS PROJECTです。
『推しを見つけて応援しよう!』FIFTYS PROJECTインタビュー#16!

今回ご紹介するのは、ウズベキスタン生まれのオルズグルさん。13歳の時にひらがなに興味を持ち、14歳で国立大学に進学して日本語を学びました。母子家庭で育っていたため、16歳から仕事を始めます。日本人男性と結婚し、21歳で日本に移住したオルズグルさんは、その後15年間の生活のなかで何度も困難に直面してきました。今回、東京都世田谷区から挑戦するオルズグルさんに、「なぜ政治に挑戦しようと思ったの?」「どんな議員を目指しているの?」など、気になることをインタビューしてきました。

オルズグルさんポートレート

政治に関心をもったきっかけは?

 私の人生そのものにエピソードがつまっています!
 私はウズベキスタン出身です。母国の国立大学を卒業したあと、現地で16歳から日本語の通訳のキャリアを積みました。21歳で日本へ移住し、日本で就職活動をしていたのですが、当時はグローバルな人材には目を向けてもらえず、「日本の大学を出ていないから新卒ではない」「中途採用にしては若すぎる」という理由で53社から断られました。54社目でやっと内定を頂きましたが、多くの方は人を見た目や学歴などの表面だけで判断し、枠にはまらないものは受け入れようとも、理解しようともしないんだということを痛感しました。
 このような経験をきっかけに「学歴だけで判断されず、色んなバックグラウンドを持つ人にとって暮らしやすい社会」を実現したいという課題意識が芽生えました。日本人でも大学を卒業していないけれど立派な方は沢山いますし、学歴だけで判断するのはとても問題だと思っています。でも当時は就職すら困難だった私が、まさか日本で政治家になろうとするなんて思ってもいませんでしたね!(笑)
 また、当時内定をいただいた運送会社は男性が多く、当時、女性にとっては、さらに外国人社員にとっては「ガラスの天井」があったように感じました。私が「現場でも働いてみたい」と言った時に、断られたこともあります。私は諦めない性格なので、最終的には川崎市の東扇島の工業地区にある倉庫で働かせてもらいました。届きにくい女性の声を、社会にもっと届けたいと思いました。

ヘルメット姿でトラックの前に立つオルズグルさん。
運送会社の現場では男性社員に混じって働いていた。

 その後、会社を辞めて25歳で起業をしました。最初に起業したのはワイン輸入会社で、輸入のライセンスを登記するための事務所を借りるのに苦労しました。その後に、飲食店を開こうとして物件を色々当たったのですが「実績がないから」「外国籍だから(当時)」「女性だから」という理由で会社のための物件を貸してもらえませんでした。
 人種、性別、収入、学歴で判断される世の中は大問題だと思いますし、やはりここでも日本社会に対する課題意識が芽生え、声をあげたい、何とかしたいという思いが生まれました。

政治への挑戦を決めた理由は?

 日本での経験を通して、日本では起業など新しい挑戦とチャレンジをしようとする方にとっての壁が高く、「行政を変えないと解決しないことがある」「政治でしか変えられないことがある」と思うようになり、政治家になりたいと思いました。そして政治家が声をあげればこの問題を変えていくことができると思いますし、同じような悩みを持つさまざまな方の課題も解決できると思っています。
 私は生活の基盤が日本ですし、母国と同じくらい愛があります。日本国籍を取得して自分は日本国民だと思っているので、日本のマイナスな部分は小さい声でもいいから訴え続けようと思います。日本を愛しているからこそ放っておくことができないんです。

今回の挑戦を決意するまでに困難だったことは?

 正直、政治家になるということに対して不安はなかったです。ちょっと自意識過剰に聞こえるかもしれませんが、実行力だけは自信があるので、「私しかいない」と思ったんです!
 ただ、外国人だからこそ悩んでいることはあります。私は日本で生まれていないので、日本人の幼馴染や学校の友人がいません。政治には「地盤」と言われる地元の方との繋がりが大切とされていますが、それがないんです。自分が日本で事業をやりながらゼロから築いてきた方々に応援をしていただくしかない状況なので、そこに関しては倍の力が必要だし、難しいところです。

チラシを両手に持つオルズグルさん。
日本で築いてきたこれまでのご縁と、日々の地道な活動を大切にしている。

政治家になったら取り組みたいことは?

 一つ目は「多様性を大切にする社会をつくる」ことです。私はこれまで日本で暮らしてきて、本当にさまざまな困難に直面してきました。外国人であること、女性であること、日本の大学を卒業していないことで就職や起業の際に大変苦労しました。住む家すら見つからなかったこともあります。多様性を受け入れない社会は、外国人だけではなく、日本人にとっても生きづらい社会だと思っています。どんなバッググラウンドを持つ人でも、お互いを認め合える世田谷区にしていきたいです。
 二つ目は「挑戦する人を応援する」こと。特に新しいことにチャレンジをしようとしているフリーランス、起業家、個人事業主や芸術家の方々のバックアップをさせていただきたいです。今の日本は、新しい挑戦をしようとする時に、高い壁があります。ゼロから始めることの難しさを痛感してきた私だからこそ、そういった高い壁をなくし、やりたいことに挑戦しやすい環境を作っていきたいと思っています。
 また、より女性の声を聞くこと、自分自身が母子家庭で育ったからこそ一人親家庭や貧困の問題などにも取り組んでいきたいと思っています。

自分だからこそできると思うことは?

 私の強みはなんと言っても「実行力」ですね。やりぬく力は誰にも負けないです!21歳で日本に来て、就職活動で53社落ちた時も、事業用の物件を何十件も断られた時も、諦めずに行動してきました。政治の分野でも、何か変化が起きるまでは決して諦めません。行動を続ければ必ず実現できると知っているからです。
 そして外国人であることも私の強みです。同調圧力に負けず、忖度しないで伝え続けられます。もちろん空気を読むことはできますし、忖度もできますが、時によってはあえてやらないんです。日本を外の視点からも見れる私なら、同調圧力に負けずに本当に必要な政策を実現できると思っています。

なぜ世田谷区で挑戦しようと思ったの?

 世田谷区は東京23区の中で最も人口が多く、90万を超える人々が暮らしています。世田谷が変われば東京が変わり東京が変われば日本が変わると思っています。この街から世の中にインパクトを与えたい。そう思って世田谷区から挑戦することに決めました。
 また、世田谷区はさまざまな文化が生まれてきた多様性のある街です。この街でウズベキスタン人の私が何かを仕掛けることで、面白いことが起きるのではないかとワクワクしています!

世田谷の商店街で活動中のオルズグルさん

春に向けて、どんな活動をしていきたいですか?

 私を応援してくれるボランティアのみなさんには、この期間を思いきり楽しんでほしいと思っています!楽しみながら世の中を変えていけると実感してほしいんです。
 そして、ボランティアのみなさん同士が繋がりを持ってもらえたら嬉しいです。私は、人とのご縁は宝物だと思っているんです。みなさんの貴重な時間をいただく代わりに、人と人が繋がれる場をつくることも意識しています。
 区民の方の中には、政治に興味がなくて投票に行かない方も多いですよね。なぜ投票に行かないのか。どうやったら政治に期待してもらえるのか。会社員、主婦、フリーランス、起業家等のあらゆる暮らしや働き方を経験してきた私だからこそ、みなさまに寄り添い、政治に期待してもらえるように活動をしていきたいです。

3月8日、国際女性デーの街頭演説の様子

インタビューを終えて
「楽しみながら世の中を変えていきたいんです!」と力強くお話されていたオルズグルさん。政治について真剣にお話しながらもユーモアが溢れ、親しみやすさを感じました。人との繋がりを何より大切にしているオルズグルさんだからこそ、出会う人々と丁寧に対話し、巻き込みながら、前向きに社会を変えていけるのではないかと感じました。
取材・執筆:なぎさ&やまくぼ
取材日:2023年2月14日

オルズグル(基本情報)
ウズベキスタン生まれ。ウズベク語で"オルズ"には「夢」、"グル"には「花」という意味がある。14歳でタシケント国立東洋学大学に進学し、日本語を学ぶ。母子家庭で育ち家計を支えるために16歳から翻訳等の仕事に従事。21歳で日本人男性と結婚し日本に移住。会社員、翻訳家、主婦、タレント、フリーランス、起業家、飲食店経営などさまざまな経歴を持つ。

オルズグルさんについてもっと知るには?✨
・Instagram:orzugul_setagaya_tokyo
・Twitter:@orzugulsetagaya
・facebook:オルズグル
Webサイト

一緒に応援しよう!候補者ボランティア募集まとめ(FIFTYS PROJECT)

『推しを見つけて応援しよう!』FIFTYS PROJECTインタビュー#16、いかがだったでしょうか?オルズグルさんの想いが伝わっていたら嬉しいです!
次回もお楽しみに!✨

いいなと思ったら応援しよう!