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ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者が残した名著 〜 『ソニー技術の秘密』 にまつわる話を

ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者

1946年 (昭和21)年に井深大、盛田昭夫により創設され、現在では世界的な大企業としてその名を世界に轟かせている

ソニー株式会社(Sony Corporation)

その創業期より数々の「世界初」「日本初」の製品を誕生させ、ソニー創成期の基礎技術を確立した、伝説の技術者がかつて存在していました。

1950 (昭和25) 年に発売された、国産初のテープレコーダー『G型テープコーダー』。

1955 (昭和30)年に、トランジスタから全て一貫生産を実現した、国産初のトランジスタラジオ『TR-55』。

1960 (昭和35) 年に完成し、ソニーの技術力を世界に知らしめた、世界初となるトランジスタVTR『SV-201』や、

同じく世界初となる家庭用VTR『CV-2000』、

いち早くマガジン化を実現し、報道業界に浸透し電子媒体を用いたニュース取材体制『ENG』の原点となった『U-matic』、

その高画質と高性能で家庭のみならず放送業界で活躍したベータ方式VTR『ベータマックス』、

さらには片手で操作可能な『ビデオムービー』、

今日のデジタルカメラの元祖となる電子スチルカメラ『MAVICA』etc...

ソニー創業者の一人井深大の秘蔵っ子として、ソニー株式会社の研究技術開発の要を果たし、

「ソニー創成期の基礎技術」

を確立させた、伝説の技術者・木原信敏 (きはら のぶとし、1926 - 2011) 。

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木原は磁気記録を基盤にしつつ、ソニーが世界に送り出してきた数々の製品のほとんどの開発に携わり、私たちの生活になかった、

「時間を切り取り、思い出を彩る、
今までにないもの。
日本初・世界初の夢の電子機器」

を、ソニーの前身である 東京通信工業 (東通工) の時代から、ソニーグループを卒業するまで、59年の長きにわたり創り続けてきました。


製品開発にまつわるエピソードの数々

1949 (昭和24) 年、戦後間もない焼け野原の東京・神田で、ソニー創業者の一人 盛田昭夫 と共に手に入れた薬品を、フライパンで煎って作った『磁気テープ』開発の話から続く、

木原が残した製品開発にまつわるエピソードの数々は、そのまま私たちが慣れ親しんできた「録音・録画文化の歴史」そのものです。

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■ 『木原学校』と呼ばれた開発現場

「人真似をしない」
「常識を打ち破る」
「自らの手を汚して取り組む」
「最後まで諦めない食らいつきの精神」

生涯を一技術者として全うした木原は、一貫した「技術屋魂」を貫き、自身の才能と技術を惜しむことなく開発に傾け、常に新しいことへチャレンジし続けました。

そして、多くの夢の機器を作り続けるだけではなく、

「人材を育てながら技術開発をする」

というポリシーの下で、自身の技術ノウハウを惜しむことなく、多くの優秀な技術者の技能向上のために役立て、後進の育成に力を入れていました。

木原の開発現場で共に学んだ技術者は誰からともなく、

「自分は木原学校の卒業生だ」

と語り、『木原学校』という愛称が、一つの技術者の団結のシンボル名になっていたのです。

研究開発の歴史を紐解く著書 『ソニー技術の秘密

1997 (平成9年) 年に木原が発表した著書『ソニー技術の秘密』は、技術者の目線から実際に見聞き経験し、そこで得た知恵や教訓を基に、ソニーにおける研究開発の歴史を、数多くの開発秘話とともに自らの言葉で記し、次世代の技術者たちへのメッセージとして書かれたものでした。

先人の業績を次世代の人々に伝えることで文明が発展する、その原動力の一つである磁気記録を、私は半世紀にわたってコツコツと開発してきました。当時はただ一生懸命働くばかりでしたが、今になって、世の中に大変役立つ仕事であったと思えるようになってきました。
 私は次の世代の人たちに伝えるべき目標をはっきりと提示できるだろうか。その問いにも、私は「はい、可能です」と返事したいのです。
 無我夢中で技術の蓄積をしてきた私のノウハウを、次の人たちに伝えなければいけないなと考えはじめて数年以上経ちましたが、やっとまとめることができたのがこの本です。
 私が考え、私が汗して作ったものは、私本人しか本当のことが書けないと思います。今まで何回となくインタビューを受け、新聞や雑誌に書かれてはおりますが、それらはすべて他人が見た私の姿であり、多少フィルターのかかった私の意見でしかありませんでした。
 その意昧で、この本には、本当の私の考え、本当の私の経験、本当にあった出来事、それに今まで話をしなかったようなエピソードも、包み隠さず書き留めておきたいと思い、筆を執った次第です。


ソニー技術の秘密』はじめにより

この『ソニー技術の秘密』に記された、木原の研究開発の歴史を改めて振り返りつつ、製品又は人物等にまつわる話、またより深く本書を楽しんでいただけるための情報等を、『「ソニー技術の秘密」にまつわる話』として本人の残した写真、資料等を交えて紹介していきます。

私たちの生活に彩を与えた「録音・録画文化の歴史」への入り口としてご覧になっていただければ幸いです。

木原信敏 (きはら のぶとし)
1926年東京生まれ。1947年早稲田大学専門部工科機械科卒。同年東京通信工業入社。1958年社名をソニーに変更。1967年第2開発部長。1970年取締役。1974年常務取締役。1982年専務取締役。同年開発研究所長。同年IEEEデービッド・サーノフ賞。1983年IEEEフェロー。1988年ソニー木原研究所社長。1989年ソニー相談役。1990年紫綬褒章。ビデオテープレコーダーなどで特許を約700件 (国内約330件、海外約370件)。

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木原信敏 開発略歴

1947 (昭和22) 年 I 東京通信工業 (現 ソニー) 入社
1949 (昭和24) 年 I 日本初の磁気テープ
1950 (昭和25) 年 I 日本初のテープレコーダー『G型』、家庭用テープレコーダー『H型』
1951 (昭和26) 年 I 日米統一規格普及型テープレコーダー『P型』放送用ゼンマイ式携帯用磁気録音機『M型』日本初の映画用磁気録音機『シネコーダー』
1952 (昭和27) 年 I 音の出るスライド『オートスライド』
1955 (昭和30) 年 I 日本初のトランジスタラジオ『TR-55』世界初の超小型録音機『ベビーコーダー』
1956 (昭和31) 年 I トランジスタテレビ
1958 (昭和33) 年 I 日本初の放送用真空管VTR
1963 (昭和38) 年 I 日本初の可搬型小型磁気録画装置『PV-100』
1964 (昭和39) 年 I 世界初のクロマトロン式カラーTV、世界初の家庭用ビデオテープレコーダー『CV-2000』
1969 (昭和44) 年 I 世界初カラービデオレコーダー『U-matic』VCR
1975 (昭和50) 年 I 家庭用ビデオシステム『ベータマックス』
1976 (昭和51) 年 I 放送用1インチ『オメガマシン』VTR
1980 (昭和55) 年 I カメラ/ビデオ一体型『ビデオムービー (8㍉)』
1981 (昭和56) 年 I 磁気記録方式スチルカメラ『MAVICA』
1982 (昭和57) 年 I カラービデオプリンター『MAVIGRAPH』
1988 (昭和63) 年 I ソニー木原研究所設立・代表取締役に就任
2006 (平成18) 年 I ソニーグループ卒業

受賞歴

1961 (昭和36) 年 I ソニー特別賞
1967 (昭和42) 年 I 科学技術庁長官賞「単一モーター方式小型VTRの開発」、科学技術功労賞
1968 (昭和43) 年 I 10th Annual WESCON Industrial Design Awards
1976 (昭和51) 年 I 第1回 ソニー井深賞
1977 (昭和52) 年 I 1977年度IEEE最優秀論文賞
1979 (昭和54) 年 I エドアルド・ライン賞(ドイツ)
1981 (昭和56) 年 I 第4回ソニー井深賞
1982 (昭和57) 年 I 1981年度IEEE最優秀論文賞 、IEEEデビッド・サーノフ賞、
1983 (昭和58) 年 I IEEEフェロー、IEEE 優秀論文賞
1989 (平成元年) 年 I インターカメラ国際名誉賞(チェコスロバキア)、写真技術150周年記念貢献賞(チェコスロバキア)
1990 (平成2) 年 I 紫綬褒章
1992 (平成4) 年 I オクラホマ大学名誉博士号(アメリカ)
1997 (平成9) 年 I 電機工業永年功績者
1998 (平成10) 年 I 電子写真学会学会賞

文:黒川 (FieldArchive)


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