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コンパクトカセットに先駆けること7年! 〜 世界初のトランジスタ式マガジンポータブルレコーダー『ベビーコーダー』

『ソニー技術の秘密』にまつわる話 (29)

「トランジスタ回路を使って記録再生すること、機構部はマイクロ・モーターを用いて極力小型に作り上げること」

を目標に、東京通信工業 (現 ソニー、以下 東通工)の技術者・木原信敏によって開発された、日本初の超小型テープレコーダー『ベビーコーダー』試作機が、1954 (昭和29)年10月19~24日に開催された千代田区の東京会館、東京三越本店でのトランジスタ応用製品の展示即売会に出品されました。

東通工でのトランジスタ開発が進み、実際にトランジスタが製造できるようになってきた頃、木原はあらゆるテーマに片っ端から手を着けて「トランジスタの応用研究」を始めており、その一環として、マイクロモーターを用いてできるだけ小型にし、トランジスタを使って記録再生することを目標に開発されたのが、この超小型のテープレコーダー『ベビーコーダー』だったのです。
同時にトランジスタモーターの開発も行い、これは後のウォークマンやビデオなどに使われる「サーボモーター」の原型とも言えるものでした。

トランジスタ応用製品の展示即売会では、日本で初めての『トランジスタ (2T14型) 』及び『ゲルマニウム・ダイオード (1T23型) 』の販売と、併せてトランジスタ応用製品として、ゲルマニウム時計、ベビーコーダ、ゲルマニウムラジオ (試作品)、補聴器などが展示されていました。

しかし、この時展示された『ベビーコーダー』は展示即売会に間に合わせるために急遽発表することになったもので、木原は (ただのトランジスタ化、新しいアイディアが入っていない) 満足いく完成度ではないと判断、研究を一時中断します。これは木原がトランジスタラジオ『TR-55』の研究に加わったためでもありました。

これが、テープレコーダーにトランジスタを使用して記録再生ができた初めての試作品で、昭和二九年十月、三越本店での展示即売会でトランジスタを使ったベビーコーダーとして発表されたものです。しかしこれは、三越に展示を促されて出品したもので、私にとっては、まだまだ不満足なベビーコーダだったのです。
 それは小型にしてトランジスタ化しただけの作品で、そこには新しいアイデアがないのです。誰が見ても、今までにはない商品だと納得させるものがありません。
 ベビーコーダの開発は、さらによいアイデアを待つことにして一時中断しました。


ソニー技術の秘密』第3章より

1955 (昭和30)年7月、
日本初のトランジスタラジオ『TR-55』の開発を始めとする、トランジスタ関連の研究開発が一区切りついたタイミングで、木原はこの『ベビーコーダ』の開発を再開します。

これまで使用されていた肩掛け可能な『M型』テープレコーダーのようなオープンリールでは、取材中に素早くテープ交換を行うのは難しく、これを解消するためリールのテープをカートリッジとして入れ替えられるよう脱着式とし、2個のリールを二段重ねにしてマガジンに収納する仕様に完成させます。

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ベビーコーダーは、世界最少のモーターパワーで記録再生できるだけではなく、テープ交換を簡単にし、使用時の利便性を向上させ、さらに、マガジンの中にゼンマイを内蔵することでテープの駆動性を安定させ、磁気ヘッドとの接触性を向上させることで、高音質録音を可能にしたのです。

マガジンの箱に二つのリールを自由に回転できるよう軸に取りつけて、そのリール間にバランス用のゼンマイを挿入することで、本体から完全に独立したマガジンが完成しました。
 この方法ならば、リールに巻かれているテープは、右方向にも左方向にも自由にテープを外部からの力で走行させるだけで、一定の張力で巻かれるようになります。このベビーコーダのマガジン方式は、世界最初のマガジンであり、最小のモーターパワーで記録再生できるポータブル・テープコーダーでした。


ソニー技術の秘密』第3章より

女性アナウンサーが肩から掛けて街頭インタビューを行うという、これまでにない取材方法を可能にした、この世界初のマガジン方式のポータブルレコーダは、小型軽量の象徴から愛称を「Babycorder(ベビーコーダ)」として、1955 (昭和30)年7月に「ベビーコーダBC-1型」、同年10月には改良型「ベビーコーダPT-52」が、翌年1956 (昭和31)年4月に「ベビーコーダSA-2A型」が販売されています。

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後に世界統一規格となった、フィリップス社のコンパクトカセットに先駆けること7年の先見性でありました。

文:黒川 (FieldArchive)


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