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東通工 (現ソニー) 独自の技術成長と、新しいアイディアを産み出した 〜 『G型』テープレコーダー試作機(GT-1型)

ソニー技術の秘密にまつわる話 (8)

『G型』試作機誕生

東京通信工業 (現ソニー、以下 東通工) はその創業時より「大衆向けの新しく独特な商品」を開発することを模索しており、その最初のチャレンジとして『ワイヤーレコーダー』の開発に取り組みます。

『ワイヤーレコーダー』開発のお話はこちら↓

しかしその後、東通工の調査に訪れたGHQの将校から「テープレコーダー」の存在を知ることとなり、その音や操作性の面から経営陣の判断で「テープレコーダー」開発へと移行することとなり、東通工入社2年目の技術者・木原信敏にその開発が託されました。

「テープレコーダー」開発始まりのお話はこちら↓

日本のメカトロニクス機器の原点ともいえる、国産初のテープレコーダー『G型』は1950 (昭和25) 年8月に販売が開始されますが、同年1月には『G型』試作機が木原の手により完成していました。

ソニー創業者の一人・井深大がGHQの将校から「テープレコーダー」の存在を知り、その開発を企図してから約半年余りのことでした。

井深さんからは、もっとよい音で長時間続けて記録ができるものがほしい、とか、外野からの注文もかなり出てきて、次の機械の構想がなかなかまとまりませんでした。そのころから、大勢のお客様が東通工に見えるたびに、井深さんが「機械を働かしてみてくれ」と、仕事場に案内することが多くなりました。
 なかでも、特に懇意の谷勝馬さん(ティアック社長)が見えた折、私が設計していた一時間用のリールの図面を見て、「このリールはあなたがデザインしたのですか。素晴らしい感覚ですね」と誉めてくれました。
 この一言で私は、一時間の長時間記録ができるテープレコーダーを次の開発テーマにしようと決心しました。リールだけでなく、テープレコーダー本体も素晴らしい感覚と言われるような「商品を作ろう」でした。
 それから三ヶ月ほど経ち、昭和二五年一月に試作品ができました。それは技術的にも性能的にもアメリカの機械の模倣から脱却した、東通工独自のテープレコーダーでありました。

ソニー技術の秘密』第1章より

東通工独自の技術ノウハウを集約

井深大 が提唱する、

「最高の技術を確立し、その技術を民生用に活かす」

という理念のもと、木原は開発過程においてその高音質追求にこだわり、テープスピード毎秒19㌢、10号リールで1時間の録音再生を実現させています。

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また、心臓部であるヘッド部分は東北大学や東北金属からの協力を仰ぎ、テープの回転に重要なモータ部分については日本電気音響 (現DENON) の協力のもと、振動が小さく回転数を安定させたヒステリシスモーターを共同開発しこれを実装。

「テープレコーダー」の筐体は製品の信頼性を第一とし、井深大がスカウトしてきた元東京計器技師の三好謙吉 (みよしけんきち) と共に、丈夫でゆったりとした据え置き型の業務用として木原は設計します。

先に開発されていた『試作1号機』での研究開発で得た、

「アメリカの機械の模倣から培ったノウハウ」

は、東通工独自の技術の成長と新しいアイディアを産み出し、この『G型』テープレコーダー試作に集約され、日本のメカトロニクス機器の原点ともいえる製品として完成したのでした。

『試作一号機』開発のお話はこちら↓

『G型』で録音された歴史的音声録音

1950 (昭和25) 年8月6日、
木原の手により完成した『G型』テープレコーダーが、東通工初の登録商標を取得した『テープコーダー (Tapecorder)』の名を付け『GT-3型 テープコーダー』として市販が開始された直後に、東通工念願のテープレコーダー完成を記念し、井深大、盛田昭夫 らと共に当時の心境を録音したテープが残されています。

井深さんや盛田さんらのトップが、テープレコーダーを作ろうと考えてからちょうど一年経ったので、記念に皆の声を録音しようではないかと、世田谷区代田二丁目の盛田さんの自宅に集まり、記念録音をしました。そのときのテープが、四五年後の平成七年に倉庫で発見され、G型機で再生すると明瞭な音で聞こえるではありませんか。
 我々が作った紙テープとG型の機械は、約半世紀経った今でも音が消えず、機械は故障せず働いてくれたのでした。大変感慨深いものでした。

ソニー技術の秘密』第1章より

この録音に残された木原の声は、以下の内容でした。

「えー、木原であります。一年前を振り返ってみますと、よくもあんなに感度の悪いものでよくやって、ここまで漕ぎ着いたものだと感心しております。えー、僕は粉のほうも機械のほうもだいぶ突っつきましたけど、なんだかどうもバリッとしたものができなくて、がっかりしております。あと一年後、ま、どんなものができるかと思って楽しみにしておりますが、これから皆さんと一緒に、相当張り切ってやらないと、これ以上いいものは、だいぶ長いことかかるんじゃないかと考えておりますけど、その心配が、一年後に非常にいいものができたものと比べて、紀憂だったことを喜びたいと思います」
ソニー技術の秘密』第1章より

この録音の翌年1951 (昭和26) 年には、木原の手によって日本初のインダストリアル・デザインを採用した『H型』テープレコーダー、

さらに日米統一規格に対応し、視聴覚教材として広く普及する『P型』テープレコーダー、

肩がけが可能となる小型化を実現した携帯用磁気録音機『M型』テープレコーダーと、立て続けに進化を遂げたテープレコーダーたちが続々と誕生します。

同時に「テープレコーダー」自体の普及も、教育現場を中心に加速していくことになり、それまで日本国内ではその存在すら知られていなかった「未知の機械」であった「テープレコーダー」は、日常生活に重要な役割を持つようになっていくのでした。

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そして、いよいよ東通工の社運をかけた『G型』の販売が開始されます↓

文:黒川 (FieldArchive)


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