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フィドルに「流派」はあるのか?

日本の伝統芸能には、茶道や華道、どんなものにでも「流派」がありますよね。師弟制度による教授方法は厳格で、流派ひとつひとつに名があるほど特徴がはっきりしています。アイリッシュフィドルでも、地域のスタイルが「流派」になぞらえて考えられたり、『フィドルが弾きたい!』などの教則本が「流派」に当たるという意見があるようです。スタイルと学び方の2つの側面から、フィドルにも日本の「流派」のようなものがあるのか見ていきましょう!


地域のフィドルスタイルは「流派」?

かつて、アイルランドには地域ごとにフィドルスタイルがあったといわれています。フィドルスタイルは、限定的な地域のレパートリーとテクニックの特徴的な要素が1つ、ないしは数種類認められてそう呼ばれていたものです(詳しくは『地域のフィドルスタイルについて』をぜひお読みください)。

例えば、ドニゴールスタイルであれば、シングルボウイングとリールの高速演奏、スライゴ―スタイルであれば、ロールなどの装飾音を多用した華麗な演奏、といったように共通の音楽的要素がいくつか挙げられるに過ぎません。

時代を経るにつれ、新しいメディアの登場、交通手段の進化などにより、演奏の平均化はまぬがれず、このような地域のスタイルは無くなってしまったり、薄まってしまったりしましたが、逆に言えば、もし、地域のスタイルが、「流派」のように細部にわたり体系化され、固定化されたものだったのなら、そうはならなかったはずです。


伝統の音楽では、非公式に学ぶのが一般的

伝統の音楽家の経歴には、公式に学んだ場合と、非公式に学んだ場合とが書かれていることがあります。

公式とは、家族や親戚、近所の人、巡回の教師など、先生となる人から教わることで、つまり、「レッスン」を受けることです。先生/生徒の関係で教わればそれは公式です。家族や親戚でなければ、通常レッスン代が払われます。

一方、非公式とは、セッションなどでそこにいた奏者をお手本にして学ぶことです。この場合、互いに先生/生徒と認識していないこともあります。この音楽の世界で「誰々に影響を受けた」という場合、たいていこのような学び方を指しており、実際のケースとして、公式に教わるより非公式の学びの方がずっと一多いのです。

 

スタイルが交じりあって個人のスタイルが形成される~ケビン・バークの場合

フィドル奏者ケビン・バークの音楽の経歴を見てみますと、8歳のとき、クラシックヴァイオリンを学び(公式)、10代にマイケル・コールマンとパディ・キロランのレコードをから影響を受け(非公式)、他にブレンダン・マグリンチ―、ボビー・ケイシ―、ショーン・マクガイヤー、パディ・カニ―といったイギリス在住のフィドラーたちの影響を受ける(非公式)となっています。

その後も楽器もさまざまな奏者たちの影響を受けた、とあります。彼は、スライゴースタイルに打ち込んだアルバムを多く作っていますが、実際にはクレアなどさまざまなスタイルの奏者に影響を受けており、このように個人の音楽遍歴は複雑で、スタイルで簡単で説明できるものではありません。

 

ひとりの先生につくクラシックとも学び方が違う

フィドルを学ぶにあたって、私は最初からピート・クーパー先生についており、先生のレッスンには大変満足していたので、先生から他を勧められなかったら、きっと最後まで先生一筋だったろうと思います。

どういうことかというと、習い初めて間もないある日、先生から「エディンバラでワークショップがあるから、行っておいで」と言われたのです。先生はそのイベントにかんでいたわけではなかったので、「他の先生のレッスンを受けておいで」という意味だと知ってとても驚きました。まるで武者修行に出される気分でした。

クラシックヴァイオリンの世界では、同時期に複数の先生につくことはご法度だと思っていたので、こうした学び方もフィドルの新しい世界だと理解しました。先生は、多くの奏者から学ぶことで、さまざまなスタイルがあることを知る大切さを示してくれたのでした。最終的に、私がフィドルを教わった先生は「公式」で25名にもなりました。

フィドラーひとりひとりみんなレパートリーも弾き方も違います。だからこそ、特定の先生にこだわらず、いろいろな奏者から学び、そこから自分に合うものを吸収し、自らの演奏の幅を広げていくのです。


教則本は単なる踏み切り板。自ら進めていく大人な学びの世界

地域のフィドルスタイルを構成するテクニック的な要素は、日本の「流派」のように細かく決められたものではありません。さらに、この音楽では師弟関係は珍しく、多くは非公式な場面で自由に学ばれます。昔からどんなフィドラーも、ケビン・バークのように、多くの奏者たちの影響を受けて音楽的に成長していきます。

このように、アイルランドのフィドル音楽は、スタイルにおいても学び方においても、日本の「流派」の概念が相容れない世界です。『フィドルが弾きたい!』の教則本には、以上のことをいろいろな箇所で説明しながら、この本を踏み切り板にして、さらなる高みを目指し、それぞれが自分の道を歩んで行ってほしいと結んでいます。

私たちは、新しい外国の文化に接する際に、自分の文化を物差しにして理解しがちです。これまで見てきたように、フィドル音楽を日本の「流派」で考えてみるのは少し無理があるようです。多様性のあるフィドル音楽は、師匠のいう通りにしていればそれでよし、という受け身の学び方ではそのよさが分かりにくく、自ら学び進めていく、大人な学びの世界なのです。

転載禁止 ©2023年更新 Tamiko

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フィドル教則本:「踏み切り板のようなもの」と著者もこの本の中で言っています。日本は、「非公式」に伝統の音楽が学べるアイルランドとは環境が違いますし、伝統の音楽の初心者にとって、その踏み切り板こそが必要だったりしますよね。みなさんのフィドルライフにぜひ、お役立てください。 


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