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民俗音楽に息づくアマチュアリズム

アマチュアというと、『広辞苑』には「職業としてでなしに趣味や余技として携わる人。愛好家。」とあり、”しろうとの手慰み””下手の横好き”といったように、一般的にプロに対して甘いというニュアンスが込められます。けれども、民俗音楽の世界では、プロ的な活動をしている著名な音楽家が別に本業を持っていたり、無名のアマチュアがプロのような演奏をしたりするので、そのような定義がかみあわないことに気が付きます。


プロとは、すなわちフルタイマーミュージシャンのこと

現在でも民俗音楽の世界では、音楽家がプロであるかアマチュアであるかは、ほとんど問題にされません。昔から、音楽を職業にしているのは特に事情の限られた少数の人でしたし、クラシックの世界のように、優れた奏者ならばそれを職業にすべき、とは普通考えられてきていないからです。

また、スポーツの世界のように、「報酬を得ない人」をアマチュアの定義とすると、演奏で”お祝儀”を得る機会も少なくないので、そういった意味でアマチュアではない”セミプロ”も、昔からたくさん存在しています。

音楽で生計を立てていることをわざわざ言及する際には、プロとは言わずに「フルタイマーミュージシャン」と言う方が一般的です。音楽にフルタイムで携わっている、つまり専業=プロというわけですね。


音楽の主役はアマチュア

西洋には、貴族や教会の高尚な芸術音楽に代わって、市井の人々が自らの表現と楽しみのために何世代にも渡って作り上げてきた音楽がありました。こうした第二の文化である民俗音楽は、社会の草の根的な構造にいるアマチュアによって支えられ、継承されてきました。

人々は平日の昼間に働き、仕事を終えた夕方に楽器を手にし、週末は家族や地域社会でダンスや音楽を楽しみました。人々にとって、音楽はあくまでも生活に根ざした楽しみであり、人と人を繋ぎ、人生を楽しむためのものなのです。

音楽のアマチュアリズムは、音楽が商業化されてきている現代もゆらぐことなく息づいています。世界ツアーをするような「プロ」たちも、舞台を降り、故郷に帰れば、家族や友人たちと気軽に音楽を楽しむことが知られています。

このダンス音楽の文化では、みなが平等です。尊敬されるフィドルマスターは確かに存在しますが、プロはアマチュアよりも格が上というヒエラルキー的概念や、お金になることがすごいといった商業主義的概念は、この音楽にはそぐわないのです。


アマチュアであることに誇りにしよう

1976年の『オックスフォード英英辞典 Concise Oxford English Dictionary』第六版に、アマチュアの項目に”技術が未熟”という拡大解釈がはじめて付け加えられたそうです。アマチュアにプロより劣るというイメージが付けられるようになったのは意外に最近のことなのです。

アマチュアは職業としていないからこそ、商業的な流行を追ったり、誰かに媚びたりする必要もなく、音楽そのものの独自性を保ち、何の雑念もなく演奏を楽しむことができるのです。

この音楽の世界においてアマチュアという言葉は、音楽が非常に好きで、技術も洗練されているけれども、単にそれを飯の種にしていない人のことを指します。そして、音楽を生活の中に取り入れ、仕事と心の安らぎのバランスを取っている人という意味に理解されているのです。


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トップ画像:©Patty Bronson アイルランド、ミルタウン・モルベイで撮影さた。 左端がボビー・ケイシー(1926-2000年)。彼は、ケーリーバンドに所属し、サマースクールの創設に関わるなど尊敬されたフィドルマスターでしたが、商業アルバムは一枚しか作らず、仕事をリタイアしてからイギリスからアイルランドに引っ越ししてきました。ほとんどの音楽家にとって音楽はお金を稼ぐ手段にはならず、あくまでも自分たちの楽しみだったのです。


拙訳『フィドルが弾きたい!』には、「プロ」のアイリッシュフィドラーが、仕事としての音楽と、自分の楽しみとしての音楽とのバランスを取る様子が描かれています(p70 Paddy Clancy's)。ぜひ、併せてお楽しみください。


参考文献:江波戸昭『民衆のいる音楽』1981年 晶文社

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