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どら焼きの山を越えて

頼んでいたチョコレートが、いくつもの夜を越えて、瀬戸内海を越えて、関ヶ原を越えて、相模川を越えてやってきた。

テトリスのように巧みに詰められたチョコレート箱のすきまから、「わたしも来ちゃった」と言わんばかりに顔を出したのが、これ。

ひとめぼれしてしまった

10年近く大量お取り寄せしているからなのか、たまにこういう「老舗の心づかいの化身」のようなものが一緒に来てくれる。

そして、長手長栄堂さんが本来は和菓子屋であることを思い出す。思い出させようとして入れてくれているのかもしれない。

それにしても、いちじくのどら焼きとは、わたしのツボを知ってか知らずか激押ししてくる。出荷作業もピークだろうに、大変ありがたい。

・・・ん?みかさ?


関西で働いていたときに、「〇〇印刷さんからいつものミカサ頂いたで!」「わ~ミカサや~」「おいしいよなあ、ミカサ」という会話が社内で飛び交っていたのを思い出した。

みかさ?ミカサ?MIKASA?

当時、関西に移り住んで数か月だったわたしは、なにかいいものを頂いたんだな、ということだけはわかった。

ミカサと称されたそれをみて

 私A「どら焼き」

 私B「どら焼きでは」

 私C「どら焼きにみえる」

 私D「中身があんこではないのかも」

ひとくち頂いて

 私A「どら焼き」

 私B「どら焼きだ」

 私C「どら焼きである」

 私D「『みかさ』という和菓子屋さんか」

 私E「関西で有名な和菓子屋さんなんだ」

 私F「上野の『うさぎや』みたいな」

と一人複数役で勝手にガッテンしていた。

そのとき「ミカサトハ、ナンデスカ」と聞いていれば済んだものを、早ガッテンしておいしく頂いてしまった。

そしていま、心づかいの化身がわたしに「関西圏ではどら焼きを三笠と呼ぶことが多い」と知らせてくれた。

奈良の三笠山に姿が似ていることから、その呼び名が付けられたのだとか。

天の原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に 出でし月かも

古今集

遣唐使として唐にわたり、玄宗皇帝に気に入られすぎて日本に帰れなかった阿倍仲麻呂が、故郷を想って詠んだ歌に登場するあの山だ。

あと、どら焼きはあんこが見えていて、三笠は見えないという、もはや作り手の力加減の違いではないかと思しき説があったが、おいしい和菓子であることは間違いない。

この皮に はさまれたまま 眠りたい

そういえば、関西にいたときもうひとつ、見知らぬ食べ物と出会った。

コノハドン、である。

当時の社食は、お弁当かそば・うどんが選べた。毎週金曜日のお弁当は、寸胴に用意された温かいカレーや丼物をご飯にかけて食べるシステムだった。

案の定、そば/うどんを頼んでおきながら、ルーをかけてカレーそば/うどんにカスタマイズするひとが発生。

純粋にカレーを頼んだ役員・・のルーが足りなくなるという痛ましい事件が発生し、その行為はオフィシャルに禁じられることとなる。

その「金曜日の丼物」として突如登場したのが、木の葉丼だった。

初めて見る丼物だったが、周囲が当たり前のように食べているのと、わたしがモノを知らないだけだと思い、おいしく頂いた。

木の葉丼(このはどん、このはどんぶり)は、薄く切った蒲鉾と青ねぎを鶏卵で綴じた丼物である。蒲鉾とねぎ以外には、椎茸や三つ葉、筍などを入れることもある。

名前の由来は、具材を舞い散る木の葉に見立てたもので、近畿地方の発祥である。安価な食材を使用しており簡単に作れるので、庶民的な家庭料理として親しまれ、近畿地方ではうどん屋や大衆食堂の定番メニューとなっている。

wikipediaより

これも近畿地方の出身だと、いま知った。

「コノハドントハ、ナンデスカ」と問いかけても差し支えなかったらしい。そういえば、社食でしか食べた記憶がない。

三笠といい、木の葉丼といい、西日本は自然の風景を切り取った風流な呼び名をつけるものだ。

いちじくに 濃く染められし 白きあん

心づかいの化身は、ふんわりした生地に白あんベースの果実感あふれる甘みが洋菓子を彷彿とさせ、とても好みの味だった。いちじく特有のプチプチもほどよく残っていた。

イチジクみかさはオンラインショップには出ていない。どら焼きだから日持ちもあまり長くないだろうし、そもそも新商品なのかもしれない。
淡路島の本店まで行かないと、再度出会えなさそうだ。

我の腹 どら焼きみれば 音がなる
三笠の山を 越えて行くかも

パクリじゃない、影響を受けたんだ

今度はわたしが関ヶ原を越えて、どら焼き、もとい三笠の山を越えて、瀬戸内海を越えて会いに行かなければ。

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