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私の母のこと。

 昨日の夕飯はポトフーだった。
寒かったから、温かくて美味しかった。
作ってくれたのは母だったが、私は最近になって
母の有難みをひしひしと感じている。
 私の母は、あまり幸せな人生を歩んでこなかった。と、子どもである私が語るのはおかしいかもしれないが、一度は財産家の息子に見初められ結婚したが、子宝に恵まれず、おまけに使用人の女からの壮絶な嫌がらせにより神経をすり減らし、何もしてくれない夫に愛想をつかし、結婚6年目で離婚、次に私の父親となる男と再婚するが、父の女遊び、お金遣いの荒さ、働かないこと、そして、母の母からの遺伝の糖尿病が悪化して、私を産んだときに糖尿病性網膜症により目を患った。仕事も車の運転免許も何もかも失った母は、自殺未遂を考えたが私の母親だったから、生きようと決意したらしい。それから私が16歳の高校一年生の3学期に、母は愛人の元に行き、とうとう給料を家に入れなくなった父と離婚した。母は、私をなんとしても大学は無理だとしても、短大には行かせたかったらしく、自分が若い頃に働いた貯金と、私の修学金、母の弟である私の叔父からの援助を受け、私を短大に行かせた。
 母は苦労人だった。私はその事実を知っていたけれど、父の血を受けていたため、20代〜30代は特に自由奔放な人生を生きてきた。お金がない男たちや、働いていてもケチな男たちとも何人も交際してきたし、私自身も働いていたが、飲み歩いたり、結構為体な日々を送っていたこともある。それで詩を書いていたのだから、母の私の詩や文学に対する嫌悪は当たり前だった。母は長い間、私が詩を書くことを嫌がっていた。しかし、私は詩がなくては生きていけない。母に認めてもらうためには、やはり仕事しかないのだと、漸くわかったのが40代に入ってから。当時私は某結婚相談所の総務事務をしていたが、契約社員だったため、コロナの影響もあり、5年で満期になった。それからは派遣で働いてきたが、そんな矢先に今の彼と知り合い、彼が一回り年上で、離婚歴があるが、大手電気メーカーに勤務する
真面目で穏やかで、心優しく、趣味も豊富な彼だったため、母は私たちの交際を認め、更に私たちは結婚を考えているため、今度母と3人で会うことになっている。その彼が言ってくれたのだった。「お母さんは大事にしなきゃだめだよ」と。
 母はきっと、一番嬉しいことは私が幸せになることなんだと思う。私は、幸せになるために、幸せであるために、今自分が出来ることを精一杯やる。
 母の娘に、生まれてきてよかったと思う。
 温かくて美味しいポトフーが、私に母の大切さを教えてくれている。ありがとう、と心から思う。

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