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これまで叩き殺してきた蚊とコバエの数をおぼえてますか?

 

 今年の夏はなぜか蚊もコバエも少なかったが、10月になってから出てきた。夕食のぬか漬けの胡瓜にたかったり、半袖を着て外を歩くと腕にとまっていたり、テレビを見ていると液晶の光に影がサッと入ってきたりする。気象の移り変わりを実感する。

 以前の僕なら時間をかけてでも格闘して蚊もコバエも叩き殺していたと思うのだけど、最近はどうしても理由があってできない。胡瓜にたかろうがモニター上を這いまわっていようが、とりあえずそっとしておく。


 僕はいま精神的にも仕事的にもかなり困っているのだが、もしもなにかの拍子に死んで地獄に堕ちたら、この蚊かコバエが助けに来るんじゃないかと思うからだ。お前は何を言っているんだ?と思うかもしれないが、少しだけ聞いていただきたい。

 血の池地獄で僕が溺れ苦しんでいたり、針山地獄で串刺しになってお尻からどぼどぼ血を流しているとする。すると、上方から蚊かコバエがヘリみたいにホバリングしながらゆっくり下降してくる。蚊かコバエが「ちょっとはなしさーん、つかまってつかまって!」と言うのか、無表情と無言ですーっと降りてくるのかわからないけど、とにかく助けに来る。

「ありがとう!!!」

僕は蚊かコバエに掴まって地獄を出ていく。
 

 最初からそんなことを考えていたわけではない。何事もきっかけはある。それは、知り合いのお医者様の言葉に感銘を受けたからだ。「何が大きな問題で何が小さな問題かわからない。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を読めばわかる」。

 ご存知の通り「蜘蛛の糸」は、地獄に落ちた罪人が、生前のたったひとつの功徳によって救われる話だ。正確には糸は途中で切れてしまうのだが、話の骨子はそこではない。裁判で極刑になってもたったひとつの功徳で天国への道が開ける。ふつうに考えれば有り得ないことだ。この文章では、それが骨子である。

「何が大きな問題で何が小さな問題かわからない」。これはつまり、現世での人間の眼では見えない何かがあり、その何かがさらに人間にはわからない価値判断をしていることを示している。その何かとは、この小説では蜘蛛のことであり、価値判断とは「地獄」とそこに垂れてくる一筋の「蜘蛛の糸」である。

 政治やGAFA間の闘争や、グレタ・トゥーンベリが怒っている環境問題や、人間がどうやって社会参画していくかということは確実に大きな問題だ。しかし、大きな問題はそれだけではないということだ。蚊やコバエが小さいというのは必ずしも言い切ないのだ。地獄に助けに来るかも知れない使いであり、一体何が「使い」なのかは日常では見えないのだ。人間の判断を超えたところで小さなものが最大の価値をもつかも知れない……ということだと思う。

 あなたが書いた文章や、歌や、絵や、なにかの図面や料理がどこかで人を救っているかも知れない。もっと言えば、なんとなく始めた研究が成果を上げるかもしれない。助けた亀が竜宮城に誘ってくれるかも知れない。


 はじめて聞いたときはちょっと面白いこと言う人くらいにしか思っていなかったのだが、あれから時間が経った。将来の仕事の見通しが立たなくてこのまま一人で駄目になっていくんじゃないかと考えていた時、この言葉を思い出すと救われた。今でも反芻して気持ちを軽くしている。

 散文的な言い方になるけど、どこでどう人が世界に繋がっているのかなんてわからないのだ。


 そして、蚊やコバエを見ているとこれまでなかった感情が湧いてきて困った。思わず叩いてしまうと本当に申し訳ない気持ちになる。自分で叩いておいて心臓マッサージできないかと慌てるときさえある。もちろん蘇生なんかしないので手を合わせることしかできない。

 蚊かコバエが南瓜の煮物に止まっていても手を出さないとなると、「なんでボーっと見てるの!?」と母親に言われるけど、「いやこれは僕が地獄に落ちたときに……」と説明したくなってしまう。


 えらく脱線するのだけれど、こういう時、以前テレビでやっていたチベットのお坊さん特集を思い出す。修行の道を続けたいお坊さんと普通に働いて欲しい奧さんの口論を映していた。お坊さんも奧さんも字幕がなくて何言っているのかわからないのだが、奧さんに修行を認めてもらえなくてしょんぼりしてるお坊さんはとても涅槃の境地には遠そうに見えた。世界中でこういう関係があるんだなと思う。つまり母がここでいう奧さんで僕がお坊さんなのだ。修行の道は険しい。


 でも蚊とコバエを殺したらかわいそうだよ。

 蚊とコバエの話に戻るが、もし仮に僕が「蜘蛛の糸」ならぬ「蚊かコバエのヘリコプター」で地獄から引き上げられて天国に行っても、一つ問題がある。天国では生前の僕が殺してきた蚊とコバエが莫大な数でいるので、一触即発の事態になるのではないか。

 やっと天国に行って家族団欒しているときにかつての加害者が来たら嫌でしょう。蚊かコバエの子供が「パパ、今日は僕を助けてくれた人間を連れて来たよ。一緒に食事しよう」と言ったら、父親が「あぁ!?そいつは俺と母さんを叩き潰した奴じゃないか!」なんてこともあるかも知れない。僕を助けたほうの蚊かコバエの子供も厳しい立場に置かれると思う。そういうことを考えるとやっぱり地獄にいたほうがいいのかも知れない。


 蚊とコバエは日本語も英語も話せないから、交渉するために今の内に話しかけて言葉をおぼえてもらうのもいいかも知れない。

 結論・今の内に蚊かコバエに話しかけて日本語を覚えてもらう。

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