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読書日記:「孤独の本質 つながりの力」

孤独とつながりについて。
この二つについて全く考えたことがない人っていないんじゃないかと思う。もうコロナなんてなかったことになりそうだけれど、特にコロナ禍において考えた人は多かったのではないだろうか。

とあるオンライン講座で出会ったIT系の経営者さんは、自分の部下がコロナ禍に入ってすぐに自殺してしまったことにひどく罪悪感を抱えていた。
「一人暮らしで、急に在宅ベースの生活になって孤独だし、すごく辛かったんじゃないかと思うの」そういって泣いている彼女を見て、コロナ禍においては経営者の責任の範囲はここまで及ぶのかと思って衝撃を受けた。
その時のショックは私の中で確実に跡を残していて、どこかに引っかかっているように思う。抜けない魚の骨のように。

今日は孤独の本質とつながりについて、個人的に思うことについて書き記したいと思います。
(今回のはガチで重めなやつです。苦手な人はパスでお願いします!
 そして長文になりそうなので、お時間のない方はまた今度。)


孤独の本質、つながりの力

第19代、21代アメリカ公衆衛生局長官のヴィヴィック・H・マーシーさんの書かれたこの本。「国家の医師」として、Well-beingを公衆衛生的に考えたときに健康と人とのつながりはどのような意味を持つのか。
かなり読み応えのある本です。

1孤独の進化史: 人間は社会的なつながりを築く能力を持ち、集団で行動することで文化や特性を獲得してきました。孤独はその欲求を満たせと伝えてくる警報として進化してきたと考えられています。
3つの領域: 孤独は「親密圏の孤独(感情的孤独)」、「関係圏の孤独(社会的孤独)」、「集団圏の孤独」の3つの領域に分けられます。これらが欠けると孤独を感じる可能性があります。
社会的処方: 各地で実践されている「社会的処方」が孤独を和らげる力を持っています。人はつながりを求めるものであり、社会的なつながりが健康に影響を及ぼすことが示されています。

「孤独の本質 つながりの力――見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす」Copilotによる要約

有名なハーバード大学のWell-beingに関する研究

まず思い出すのはYahoo!ニュースで紹介されることもある、超有名な米ハーバード大学のWell-being(心身の健康や幸福)の鍵を探す調査研究。
なんともう85年以上続いている、成人の発達に関するこの大規模コホート研究では人間関係の良し悪しが幸せな老後を決める、と結論付けられている。
そして「慢性的な孤独」は幸福度を下げるだけでなく、健康状態の悪化と関連があることも示されてる。

あくまで過去から現在までの調査結果であるから、ここから将来にわたる人類に対して必ず当てはまるとも言えないだろうけれど、これだけの規模と長さがあるとさすがに納得感がある。

人間関係があまり良くない環境で長い時間を過ごすとやっぱりモチベーション高くいることは難しいし、悩みがちになるし、健康的な習慣と縁が薄くなる。ついつい嗜好品に手を伸ばしたくなる。
私たちは潜在的に、人間関係が超重要なことは子どもの頃から何となくわかっている。だから小さい子だって他の人との距離感や関係性に悩んだりする。

なぜ今、私たちはつながりについて考えるのか

一つにはきっと通信・デジタル技術がここまで発達して、オンライン社会になってしまったから。そんな気がする。
私たちはいつだって、オンラインで誰かとつながることができる(やろうと思えば)。
たくさんのSNS。FacebookやInstagram、X、そしてこのnoteだって。
でも、本当につながっているのか?と言われてみれば案外怪しい。

オンラインでつながり過ぎると、物理的なつながりがどうしたって薄くなる。この間TVをたまたま見て驚いたことは、20代の一人暮らしの男女の約9割が動画を見ながらひとりで食事をしているという調査結果だった。

私たちはいったいいつから、人と食卓を囲む幸せを放棄しちゃったんだろう。確かに、私だって一人暮らし(大学~20代)の時の一人の時の食事はほとんど思い出せない。そう考えると、思い出せないけれど、本を読んでいたこともあればTVを見ていたことだってあるだろう。

携帯電話をはじめとした通信技術が常に存在することで、会話の感情的な質の低下が明らかになってきているのも不思議ではない。アンドリュー・シュビルスキとネッタ・ワインスタインの実験によると、会話中に携帯電話が視界に入るだけでも「相手から共感や理解を感じる度合い」にマイナスの影響があるという。

「孤独の本質 つながりの力――見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす」より引用

人と話すより、食卓に携帯電話があるのがいつからか当たり前に。
それって怖いな~と思う。私は子どもが生まれてから、食事中はほとんどTVをつけないけれど、割とテーブルにスマホはある。
今日からもうちょっと離れたところにおこう。

孤独と一人でいることは違う そして気になる社会的な分断

私がこの本を読むまで知らなかった単語、それはoneliness(一人であること)。たぶんちょっと古い時代に使われていた言葉。

「oneliness」はネガティブな意味合いが含まれた言葉ではなかった。「solitude(単独であること)」と同じで、内省する時間と空間があることを意味していた。感情的に不快な状態とはまったく違い、「oneliness」は神を身近に感じる機会だと考えられていた。そして神はすべての人とつながっていた。

「孤独の本質 つながりの力――見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす」より引用

いつからか、一人でいること=孤独だと学んだような気がする。それは私の場合は学校の中でだと思う、多分。そして私の元々の家族といるときに。
同時に一人でいることで豊かになる時間というのは存在する。でも、集団の中にいて孤独を感じるとき、何であんなに寂しいんだろう。

前の職場で逆パワハラが止まらなかった部下がいた。しょっちゅう「どうせ私は老害だ」と言ってみたり、メールを書いてまき散らしたり、「今のマネジメント陣は何もわかっていない」とわめいてみたり。彼はもう50歳をとうに超えていて、尊敬もされていたはずなのに、きっと孤独だったんだろう。
上司としてできるだけ気を配ったけれど、職場でできることには限界がある。そこまで踏み込むべきでもないだろう。

私たちは自分自身とつながっているとき、大いなる何かとつながっているとき、身近な人とつながって良い関係性を築いているときは、一人でいても孤独を感じにくいような気がする。少なくともネガティブではない。
一人の時間は、本を読んだり、のんびり時間を過ごしたり、芸術に触れたりする豊かな時間になりうる。

一方で、メディアはどちらかというと、常に分断をあおっている。
個人としての顔が見えない集団同士の分断。ハイスぺだったり、勝ち組負け組だったり、子持ち様問題だったり。
たしかにその方がアテンションは集めやすいと思う。でも、分断が進めば進むほど、私たちは孤独になり身の危険を感じる。

私はもっとのんびり、心穏やかに暮らしたい。

終わりに 早期退職と人との関わり方について

私が早期退職という選択をしてもうすぐ一年が経つ。
この思いがけない選択をしたことで、私の人生は確実に変わったように思う。楽なことばかりではなかったけれど、いつもと違う選択をしたことで。

この選択をして本当に良かった、と思うことは最近よくあって、その一つは『人とのつながり』というものに対して、適度な距離感をもって考える時間を持つことができた、というものである。

会社というつながりを失って、はじめて見えたもの、新しく繋がれた人たちというのが存在する。会社員時代には決して繋がれなかった人たち。
その人たちを通じて、改めて見えてきた自分。
これからどんな人と付き合い、どんなつながりというものを持ちたいのかという希望について考える時間。

そういうことは忙しい日常ではあまり考えない。

なんていったって仕事と会社という濃いつながりの中で、時に十分すぎるくらいの時間を使い、コミュニケーションをとってきたから。
ただ、もしかするとこの長寿社会では会社を出てからの方が長いので、この関係性にフルベットするのは危険かもしれない。
忙しいビジネスパーソンとしておじさんのような生活をしてきた私は、地域や友だちとの時間を十分にとれていなかったように今は思う。
そんな余裕もなかったという本音。

仕事仲間と良い関係性を会社を出てから維持できることだって、もちろんできる。でも退社すると明らかに彼らとの時間は減る。
当然、物理的なコミュニケーション量も関係性も変わる。
それが現実である。

あらたに物理的な時間と心のスペースができたことで、私は今新しいコミュニティや人とのつながりをもとめるようになった。少なくともつながる努力をするようになった。
そして、実際につながってみて味わった豊かな時間。
そういうものは目に見えなくても、確実に複利で私の人生の資産につながっているような気がする。

この本を読んでで決めたのは、とりあえず家族と過ごすときはできるだけスマホを遠くに追いやること。
私が自分や身近にいる人をもっと大切にできるように、そして今孤独を感じてる人に何ができるのか、もうちょっと考えてみたい。


参考:

おまけ:

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長文を読んでくださったあなたに、心から感謝します。

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