映画『空軍大戦略』(1969)Battle of Britain
こんにちわ、唐崎夜雨です。
今日の映画は1969年の『空軍大戦略』。原題は『Battle of Britain(バトル・オブ・ブリテン)』。いまなら原題のカタカナ表記を邦題にするかな。
本作は1940年のイギリス空軍とドイツ空軍の戦闘を描いたものです。監督は『007ゴールドフィンガー』のガイ・ハミルトン。
マイケル・ケイン、ローレンス・オリヴィエ、クリストファー・プラマー、ロバート・ショウなど名優が出演していますが、誰が主役ということはない群像劇。いろいろなエピソードが続きます。
結果としてこの空中戦は英国側の勝利なのでしょうが、英国本土の制空権をかけた争いなので、イギリスが勝ったというより守り抜いたといえる。
これによりドイツはイギリス上陸を断念せざるをえず。ドイツ空軍もかなりの痛手を被り、それはヨーロッパ戦線の風向きが大きくかわってゆく要因のひとつかもしれません。
あらすじ
1940年5月フランスのダンケルクから英仏軍が撤退。イギリスはドイツ軍の英国本土襲撃に備えていた。レーダーによる防空システムはあるけれど、戦闘機のパイロットの絶対数は不足していた。
8月、ドイツ空軍によるイギリス空爆が開始される。空軍基地やレーダーなどが襲撃される。9月に入るとロンドンへの空襲が始まる。
空中戦の醍醐味
特殊撮影も使われていますが、実際に戦闘機を飛ばして撮影しているので、臨場感はあります。
クライマックスの空中戦では、飛行音や爆発音といった効果音を使わず、セリフもほとんど排除され、音楽だけが流れる印象的な映像になっています。
ただ、私自身があまり戦闘機に詳しくないので、英独双方が入り乱れる空中戦になると、一瞬英独どっちが映っているのか分からなくなってくる。
そして数テンポ遅れて、ああイギリス側ね、これはドイツ側ねと脳内処理される。
パイロットが地上にいるときは軍服や言葉、その場の状況や役者の顔により判断できますが、狭いコックピットでゴーグルをかけられると、もうピンとこない。
名優ぞろいの群像劇
英国の戦闘機軍司令官ダウディング大将に英国の名優ローレンス・オリヴィエ。パーク少将に『第三の男』のトレヴァー・ハワード。
そしてパイロットたち。キャンフィールド少佐に『バットマン ビギンズ』の執事役はじめクリストファー・ノーラン監督作品に常連だったマイケル・ケイン。
スキッパー少佐に『007ロシアより愛をこめて』の殺し屋や『ジョーズ』の船長で知られるロバート・ショウ。
『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐ことクリストファー・プラマー。
出番は少ないが、マイケル・レッドグレイブ、エドワード・フォックスなどの顔も見える。
英国の誇り
この映画は、ドイツ軍を迎撃撤退させた自国の輝かしい歴史にイギリス人が陶酔するための作品かなとも邪推する。
このところ続けてみているこの時代が舞台の映画から察するので恐縮ですが、ダンケルクの撤退からバトル・オブ・ブリテンの流れは、英国民の国民意識というか民族意識をくすぐる効果がありそうです。
実際のバトル・オブ・ブリテンから映画は約30年経っている。我々はかつて一致団結して戦ったという国家の記憶を呼び覚ますにはいい頃合いかもしれませんね。
もっとも、そこまで深読みしないで鑑賞できる娯楽映画だとは思いますが、ある期間のエピソードの羅列は特定の個人への感情移入が難しく、国家や組織といった大枠の全体的な流れを見てしまう。
さきほど「我々」と書きましたが、イギリス空軍側はイギリス人だけではなく、ドイツによって国を追われたポーランドや英連邦のカナダ、オーストラリアからも兵士が参加している。英空軍のパイロット不足は彼ら外国人たちによって補われていた。
子どもたちは未来か
本作では子どもが出てくる。とくに後半のロンドン空襲にあってからお見受けする。
空軍中心の戦争映画なので、ほとんど本編に子どもは関係はないのですが、ないからこそかえって気になる。
ドイツ機の襲来に川で遊んでいる子供、空爆のロンドンで救出された子ども、避難所を駆け回る子ども、庭先に落ちた落下傘のパイロットに煙草をあげる子ども。
ここに出てくる子供たちは子供たちの日常を過ごしているにすぎず、戦争の悲壮感はない。
戦時下での市民の日常を描いているに過ぎないかもしれないが、彼らはイギリスの未来である。ドイツに空爆を受けても無邪気に遊ぶ子どもを見ていると、英国の矜持がそれとなく隠されているように思えてくる。
この戦争は大人の利益によるものではなく、子どもたちの未来を守るものなのだとしているともいえる。
先日見た映画『鷲は舞いおりた』では、兵士が駐屯する村で演習しているのを子供たちが楽しそうに見ている。戦時中の子供たちにとって軍人はあこがれの存在でもあったろうと思う。タカラヅカじゃないけれど、軍服はかっこよくみえるもの。
そんなことをつらつら思うと、ひるがえって日本の戦争映画ははてどうだったかしらと考えてしまう。
話がそれだしたので、本日はここまで。